第一の無我の扉「Mighty Wing」

 闇の書を廻る事件が終わり、私、フェイトとなのは、そしてはやては各々の生活へと戻ることになりました。
 戦いの日々とは打って変わって平和な時間に、私たちはいつのまにか溶け込んでいって、より深く友達へとなることができました。
 これは、そんな私たちが時空管理局へと入り、新人教育に勤しんでいる時の話です。
 遅れてきた私の青春、はじまります。


・SIDE フェイト

 
 かつかつと、自分の足音が響く。
 道行く顔と言葉を交わしながら、私は歩みを進める。
 ここは時空管理局、私が働く場所。
 今日は、私の部隊に新しい人が入る日だ。
 別段、戦力が足りないわけではないけれど、今後訪れるであろう戦いの前に強化を図れと言われては、断る理由もない。

「(戦いに慣れた隊員は必要だけど……育成にかかる時間を考えて欲しいなあ)」

 口だけ言うのは簡単だけど、新人育成は時間がかかる。
 エリオとキャロに関しては、元々私が見ていたから、厳密には新人とは呼べない。つまり、まっさらな新人を育成するというのは、これが初めてということになる。
 不安を抱えた顔をしていないだろうか? 手鏡で自分の顔を見てチェックする。隊長たるもの、常に強気でなくてはならないと、様々な方向から言われているけれど、相変わらず鏡の中の自分は正直だった。

「ふう。いけない、いけない。第一印象が肝心だもん。頑張らなきゃ」

 自分に活を入れ、奮い立たせる。
 気がつけば、既に目的の場所だ。迷っている時間はもう殆どなさそうだ。
 意を決し、扉の前に立つ。機械的な音と共に開いた扉が、心音のピッチを急速に上げていく。
 せっかく奮い立った気持ちをしぼませてはいけない。私は即座に言葉を発する。

「おはよう、私がライトニング隊の隊長の、フェイト・テスタロッサ・ハラオウンです」

 相手がいることも確認せずに発した言葉だったけれど、どうやら新人さんはしっかりと時間に間に合い、部屋の中にいてくれたようだ。
 声に反応して、動く音が耳に入った。

「聖祥学園中等部三年、テニス部部長、手塚国光です。本日から、そちらの部隊でお世話になります」
「え……っと、うん、よろしくね」

 つい、戸惑ってしまった。
 目の前にいる男の人は、どう見ても成人男性、私よりも年上に見える。
 なのに、中学生? 思わず自分の耳を疑ってしまう言葉だった。

「あの、身長高いけど、何センチ?」
「179センチですが」

 思わず噴出してしまった。
 だって、中学生の頃なら、どんなに高くても160台がせいぜいだと思うし、自分が中学生だった時も事実そうだった。
 驚くべきは身長だけにあらず。表情も、立ち居振る舞いも、声も、全てが中学生と思えないほどに年季を帯びている。

「(ふ、老け顔……でも、美形だなぁ)」

 年相応とは言いがたい顔だけど、物凄く美形だ。
 まるで別の世界からやってきたようで、想像上の王子様がそこに現れたような、そんな印象を受ける。
 つけている眼鏡も、よく似合っていて、彼の魅力を引き立てているようだ。
 いけない、本来の予定とは打って変わって、個人的なことに走ってしまった。

「ん、ごめんなさい。つい気になっちゃったものだから」
「いえ、慣れています」

 やっぱりみんなから言われてるんだ……。
 私は、彼が今まで受けてきた言葉の数々を想像し、ほんの少し苦笑いを浮かべた。

「私の部隊、ライトニング隊は、現在私を含め四人の隊員がいます。副隊長のシグナム、そしてエリオとキャロ。後で紹介するから、その時にまた今みたいに挨拶してね」
「部隊はいくつもあるのですか?」

 貴族みたいな声だなあ。

「うん、スターズとライトニング。主にこの二つの部隊かな。スターズの方も、もちろん後で紹介するから」
「跡部?」
「後で、ね」

 一瞬、外跳ね髪の俺様キャラが頭に浮かんでしまったけど、一体何なんだろう。

「この後は、手塚くんのデバイスを取りに行くから。君の来訪に合わせて、ちゃんと間に合わせてもらったんだよ」
「デバイス……ですか?」

 怪訝そうな表情で聞き返す手塚くん。
 デバイスなんてものは、およそ一般人が使うものではないし、聞きなれない言葉であることは当たり前だ。
 でも、仮にも今日からうちの隊員なのだから、そういった説明くらいは受けていてもいいと思うけど。 

「あれ、もしかして聞いてなかったのかな。う〜ん、とにかくじゃあ、一緒に行ってみようか。そこで色々と説明するから」

 職員の怠慢を気にしても仕方ない。私は手塚くんを連れ、デバイスが待つメンテナンスルームへと歩き出す。
 特に急ぐわけではないけれど、私は早足になってしまう。
 理由は後ろにいる手塚くんの一歩が大きすぎて、私の歩幅との差異が大きすぎるせいだ。
 本当に、彼が一歩歩くだけで、私の三歩分くらいありそうなほどに体格の差は歴然だった。

「あれ、フェイトちゃんやないか。そないに急いでどしたん?」

 通路の横から、ひょっこりと八神はやてが出てきた。彼女は私たちチームをまとめる、頼れるリーダー……なんだろうか。
 威厳はあまりなく、こんな風に、まさに神出鬼没といった感じで飛び出してきたはやてに、私は思わず足を止めてしまう。
 案の定、後ろから来た手塚くんが、私の背中にぶつかる形になってしまった。
 うう、自分より20センチ以上も身長差があるから、すっぽりと包み込まれてしまって、なんだか威厳もへったくれもないよ。

「あ、申し訳ありません」
「ううん、大丈夫」

 背中越しに感じたのは、手塚くんの鍛え上げられた肉体の感触。
 直接見なくても分かるほどに、彼の体は硬く、それでいてしなやかだった。
 あんまりこうやって、男の人の体に触れる機会なんてなかったから、頭が勝手にそんなことを考えてしまう。

「ん? フェイトちゃんの後ろの彼……ひょっとして新人くん?」

 さっそく興味を示したようだ。急いでいるので早めに抜けたいけれど、はやてに捕まるとそうも言っていられない。
 余り言うことじゃないのだけれど、はやては恋人いない暦イコール年齢と言う、典型的な独り身さんだ。
 はやてだけではなく、私もなのはもそうなんだけど、それは仕方が無いこと。仕事が忙しいから。

「うん、手塚国光くん。今日からライトニング隊の所属になる人だよ」
「聖祥学園三年。手塚国光です」

 深々と頭を下げる手塚くん。礼儀正しいのはいいけど、やっぱり中学生には見えない。
 風に揺れる前髪が、やたらと芝居がかっているように見えて、私は本日何度目かの苦笑いをしてしまう。

「聖祥言うたら、ウチらの卒業したとこやないか。って! 自分中学生かいな、見えへんなあ、まったく見えへんよ」
「よく言われます」

 さすがにはやて。オプラートに包むことなく、一直線に自分の言いたいことをぶつけている。
 尊敬はするけど、絶対に真似したくない行動だ。反面教師として、これからも役に立ってくれるだろう。

「はあぁ……大きくて細くて、なんやアイドルみたいやな。これで眼鏡が伊達やったりしたら、ウチは惚れこんでしまいそうや」
「自分は本物です。知り合いに伊達はいますが」

 話しかけながら、はやては手塚くんの体にぺたぺたと触りはじめる。
 なんていうか、あまりにもその動きは慣れすぎていて、もはや自然なタッチングだ。でもセクハラだ。
 私となのははちょくちょく男性から声をかけられることがあるのに、はやてにそれが無い理由。それはきっとこんなところにあるんだろうな。
 おっと、さすがに初日からはやてのセクハラはまずい。そろそろ引き離さなくては。

「ほら、私たちはこれからデバイスを取りに行かないといけないから、その手を止めなさい」
 
 私のほうも慣れたもので、はやてがしきりに動かす右手を掴み、そのまま気をつけの体勢まで持っていかせる。
 対はやてセクハラ問題は、部隊を超え、時空管理局を脅かすほどの事件になっているので、こういう行動もマニュアル化されていたりするのだ。
 私の場合は、中学生の頃からやってきたため、恐らく世界で一番手馴れているかもしれない。

「なんや、フェイトちゃんは自分の部隊で占領できるからええやないか。ウチは今しか楽しめへんのやで。それとも、もう予約済みちゅうことか?」
「ちょ、ちょっとはやて。変なこと言わないでよ」

 まさかセクハラの矛先が私に来るとは思わなかった。
 しかも、ボディタッチのような直接的なものでなく、間接的な攻撃だ。
 男性経験がまったくない私には、こういった話題についていくことが出来ず、本当にすぐ恥ずかしくなってしまうので、知識もない。
 それを逆手に取り、たまにこういった攻撃をしてくることもあったけど、それが今とは……つくづく尊敬してしまう。皮肉を込めて。

「フェイトちゃんも、もうええ歳やしな。将来設計を考えるんもおかしくない。うちらの部隊じゃ、まともな男言うたらエリオくらいしかおらへんしなあ」
「よ、よりにもよってエリオって……歳の差を考えてよ!」
「愛があれば歳の差なんて関係あらへん!」

 まずいまずい。術中にはまりつつある。
 このままだと、既成事実だとか言われて写真の一枚でも取られ、六課中に噂が広まってしまう。
 新人である手塚くんに、いきなりいづらい環境を作るわけにはいかない。ここは、私が食い止めなければ。

「んで、手塚くんの好みのタイプってどないな娘なんや?」

 と、意気込んだ瞬間に話題が変えられてしまう。
 百戦錬磨のはやてにとって、突っ込まれるタイミングをずらすことなんて、造作もないことなんだろうか。とにかく、危機はまだまだ去らないようだ。

「何でも一生懸命にやる人です。例え失敗してもいい、それをバネに、また一生懸命やれる人が好みです」

 即答だった。
 まるで、用意していたように言葉を紡ぎ、まっすぐ視線をはやてに向ける。
 真摯な態度とは、こういう人のためにあるんだろうなと、自分はふと思った。

「あ、はは……。なんや、自分こういうの実は慣れとるん? まさか、逆に口説かれるとは思わんかったわ。あー危ない危ない」

 でも、それはまずい、クリーンヒットだ。
 はやては冗談めかした付き合い方や、強引なスキンシップで友好を深めるタイプで、こんな風に目を見て、まっすぐに言葉をぶつける人とは相性が悪い。
 まるで熟れたりんごのように、はやての頬は赤く染まっていて、例え言葉でどうそれを誤魔化そうとしても無駄なことだった。
 決まりが悪くなったのか、はやてはわざとらしい笑い声を上げて、どこかへ立ち去っていってしまった。
 うん、きっとはやての心の中は、バーニング状態になってることだろう。

「何か、まずいことを言ってしまったでしょうか?」
「ううん、全然。さ、目的の場所へと急ぎましょう。時間もなくなっちゃったことだしね」

 まだ会って間もないというのに、早くも大物の片鱗を見せている手塚くん。
 もしかしたら、対はやての切り札になるのかもしれない。不謹慎ながら、少し笑ってしまった。
 案の定、そうしていたら、また手塚くんにぶつかられてしまうことになってしまったけど、何だかそんなことが気にならないくらい、私は楽しかった。





 ここはメンテナンスルーム。私たちが使うデバイスの整備、強化などを一手に引き受ける場所で、下手をしたら、訓練のたびにお世話になることもある。
 今、この場所は手塚くんの使うデバイスのために、ほぼ貸切のような状態になっている。
 ただ一つのデバイスのために、部屋一つを貸し切ることなどまずないのだけれど、手塚くんのデバイスは特殊で、整備に手間取ってしまったため、こういう扱いになっているそうだ。

「ここにあるのが、手塚くんのデバイスだよ。テニス部での実績をかって、その特性を生かした、専用の一品だって」

 手塚くんのデバイスは、テニスで使うラケットの形をしている。
 カートリッジシステムをあえて削除し軽量を図り、フレームの強化を優先した、新しい形のデバイス。
 攻撃ではなく、完全な防御の形を取らせることで、それがひいては最大の攻撃となる……らしい。
 正直なところ、テニスというスポーツはよく知らないし、魔法バトルにおいて、一体何の役に立つのか分からない。
 謎だらけのデバイスだけど、とにかくこれが手塚くんのデバイスだ。私は、それを手塚くんに手渡す。

「どう? 握ってみての感想は」

 どうやら彼は左利きらしい。ふとなのはのことを思い出したけど、別に左利きだからといって、それ以上の共通点はなさそうだ。
 ラケットを握った手塚くんは、何度か上下に振ってみると、途端に表情が変わった。驚き、握ったデバイスをまじまじと見つめている。

「握りやすく、軽いですね。ガットの硬さも申し分ない」

 言いながら、また何度か素振りをしている。
 テニスのことは分からない私だけど、そのフォームが美しいということは感覚で理解できた。
 流れるようなモーションに、思わず目を奪われる。呼吸をするのも忘れるほどに、私の視線は釘付けにされていた。

「……よし、これならば扱えそうだ。いいものをありがとうございました」
「え? あ、ああ、うん」

 不意に現実に引き戻されてしまい、上手く言葉が繋げなかった。
 なんだか学生時代に引き戻された気分だ。普段ならここまでボーっとしていることなんてないというのに。
 いけない、このままでは隊長の威厳がっ! 

「じゃあ、せっかくだから……デバイスの性能を試してみる? ちょうど今日は模擬戦の予定もないし、場所は確保できるよ」
「なるほど、実戦形式で覚えていくほうが、早く覚えられるということですね」

 いや、口から適当言っただけなんだけどね。
 とにかく、このデバイスの取扱説明書を、今からちゃんと読まないと……。
 私は支給された資料を、今更になって読み返す。まるでテスト前のようで、内心とても焦っていた。





 なるほど、理解できた。
 このデバイスは、私たちの魔法攻撃を直接受けて、反射することが出来るらしい。
 テニスボールを返すように、フォームを変えることで、いかなる場所へのカウンターも可能とのことだ。
 さらに、使用者の魔力を球状にして、こちらからの攻撃にも対応しているようで、まさに攻防一体と言ったところだ。
 強力な魔法攻撃にフレームが持たないのでは? と思ったけど、それは本物のラケットから技術を流用することでどうにかなっているようだ。手塚くん曰く、ラケットはとても丈夫なのだそうだ。

「自分が見た試合では、ガットが切れることはあっても、フレームはビクともしませんでした」
「ふぅん……物凄い合金でも使っているのかな?」
「木製だそうです。神秘のウッドパワーで骨格がどこまでも強化されると聞いています」

 神秘のウッドパワー……?
 まあ、そういうことなので、魔法によるダメージでデバイスが破壊されてしまうことはないらしい。
 その代わりに、テニス経験者にしか扱えず、使用者の力量に左右されるのが欠点だけど……。だからこそ、手塚くんが呼ばれたらしい。

「資料見せてもらったよ、今。聖祥のテニス部部長で、全国大会出場経験もあるって……本当にすごいね」
「いえ、自分一人の力ではなく、チーム全体の結束があったからこそです」
「それでもすごいよ。私はこうやって大きな記録なんて残したことないからね」

 学生時代は平和な世界を謳歌していた。
 ただ、体に染み付いてしまった戦いの記憶は消えず、私たちは、平和な世界を楽しみながらも、自らの鍛錬を忘れることはなかったから、平和な中でも、心はいつでも戦いに向いていたけれど。
 そして、いずれ来るであろう戦いを考え、時空管理局へと入ってしまってからも、それは後悔していない。だけど、やはり目の前に漂う青春の匂いは、私が置き忘れてきたもののようで、心をときめかせてしまう。

「さ、それじゃあ行こう。今の時間なら、多分誰もいないはずだよ」

 私たちは連れ添って、模擬戦仮想スペースへと移動する。
 途中、色々な人に挨拶をされていた。手塚くんが。
 どうやら手塚くんは私の上司だと思われているみたいだ。う〜ん、やはり中学生には見えない。
 普段なら十分の道を、手塚くんとの挨拶周り(不本意な)で倍近く時間をかけて歩いてしまった。ようやく、模擬戦のスペースだ。

「あれ、エリオにキャロじゃない。どうしたの?」

 誰もいるはずのない模擬戦場に、何故かうちの隊のエリオ・モンディアルとキャロ・ル・ルシエがいた。
 二人とも私の保護下で暮らすライトニング隊の隊員で、素直な心で私たちの教えをどんどんと吸収し、今ではなくてはならない存在になっている。
 どうやら二人で訓練をしていたようだが……確か今日はなのはの座学があったはず、どうしたのだろう。

「なのはさんが漢字読めなくて、中国大陸を滅ぼしてやるの! とかのたまいだしたので、ひとまずヴィータさんに鉄槌してもらって」
「ああもう言わなくてもいい分かったから」

 なのはが座学と言う辺りで気づくべきだった。あのお方に高尚な話など出来るはずがない。失礼なようだけど、事実なのだからしょうがない。
 勉強は出来る、いや出来たと言ったほうがいいか。
 なのはは管理局入りしてからというもの、己の能力をアップさせることに固執して、学問とは程遠い生活をしていた。
 もちろん普段生きていくのにそれは困らないことだけど、隊員の育成には困る。
 二人は授業がなくなったのでどうしようもなくなり、ひとまず模擬戦でもしよう、という流れだったのだろう。まったく、なのはは……。

「こちら、今日からウチに配属されることになった、手塚国光くん」
「聖祥学園三年、テニス部部長、手塚国光です。よろしくお願いします」
「あ、よろしくお願いします。エリオ・モンディアルです」
「キャロ・ル・ルシエです」

 初めて出会う手塚くんに、元気よく頭を下げる二人。
 そういえば、一応エリオたちが先輩になるから……手塚くんは敬語を使うのかな?
 う〜ん、ありえない。

「手塚くん、この二人は年下だから、敬語とか使わないでいいよ」
「よろしいのですか?」
「はい、自分たちは構いません」

 柄じゃないですし、とエリオが付け加える。

「それで、もしかしてこれからデバイスのテストですか?」

 キャロが手塚くんのデバイスに興味を示したようだ。
 見たこともない形をしていて、カートリッジもないというシステムだから無理もない。
 実のところ、私もさっきから興味津々だった。

「そう、だから少し離れていてね。まだ実験段階のデバイスだから、何が起きるか分からないし」
「では、お願いします」

 私と手塚くんは距離を取り、お互い十分だと思ったところで停止する。
 ざっと100メートルくらい離れているだろうか。これくらいの距離から目視で魔法を避けられなければ、機動六課のお荷物だし、ちょうどいいだろう。

「じゃあ、最初は一発ずつ撃つからね。速度もゆっくりで……」

 精神を集中して、雷撃を打ちやすい球状にして作り出す。
 威力はそこまで高くなく、さらに連射が可能なので、まさに今回の訓練には持って来いだ。
 息を吐き出すタイミングで、雷球を押し出す。
 大体10キロ前後の緩やかな速度で、手塚くんに球が迫る。

「ふんっ!」

 それを、中学生らしからぬ掛け声で易々と叩き返す手塚くん。
 返された打球は私の横をすり抜け……って!!

「は、速っ! 今、多分200キロくらい出てたよね!!」

 超高速だった。
 10キロ程度だった私の球は爆発的に加速し、まるで雷撃のように変化し、私の視界から一瞬で消え去る。
 振り返ると、着弾点が黒く濁っていた。もし命中していたら、私もただではすまなかっただろう。

「……? ええ、まあそれくらいは出ていたかもしれませんが」
 
 それを、さも当然のように語る手塚くん。

「いやいや、そんな平然と言われても! 私、すっごくゆっくり撃ったよね。なんでそんなに加速できるの?」
「これくらい出来なければ、聖祥のお荷物です」

 なんと、自分の卒業した中学ながら、なんていうレベルの高さだろう。
 まずい、このままだと六課全体のレベルが低いものだと思われてしまうに違いない。挽回せねば!

「よ、よし! 次は10個同時に行ってみようか」
「えええフェイトさん! いきなりすぎです、極端ですよ!」
「あー聞こえない聞こえない。魔力集中しているから何も聞〜こ〜え〜な〜い!」

 ややあって、合計10個の雷球が出来上がった。
 大小さまざま、これならさすがに先ほどのように返すことは出来ないだろう。
 まずは右手を動かし、5個を先に突撃させ、時間を少し置き、残りを放つ。時間差攻撃だ。
 手塚くん目掛けて突撃する球は、それなりに不規則な弾道を描き、なるべく生存率を上げている。速度も上げているし、これを打ち落とすのは難しいだろう。
 加えて、後発隊の5発がある。例え前半を凌いだとしても、こればかりはどうしようもないはず。
 自分でも少し意地が悪いかな、と思うが、六課のメンツに関わることだ。ここは徹底せねば。

「つあっ!」

 まず手塚くんは一番早く到達した球を、軽く打ち返した。
 打ち返された球は、真っ直ぐに私の横を抜け、後ろの壁に突き刺さる。ここまでは予想の範囲内だ。
 だが、次からはそうも行かないはずだ。一撃目で崩された体勢から、二撃目、三撃目と撃つことは次第に難しくなり、しかもそれらは弾道が読みにくいものだ。まず今のようには行かないだろう。

「ふっ!」

 冷静にバックハンドで打ち返し、続く球も反転して、ラケットのスイートスポットで返す。
 その次も、その次も……何故か手塚くんは体制を崩すことなく、平然と球を私の方へと打ち返し続ける。

「(おかしい。私は間違いなく弾道を一つずつ変えているのに、何故か、吸い込まれるように全てが手塚くんへ向かってる)」

 後発隊の五発も同じだった。ジグザグな起動を描かせたはずの球は、刀が鞘を見つけたかのごとく、手塚くんのラケットへと吸い込まれていき、打ち返される。
 十発、全部が彼のラケットによって、私の背中の壁に打ち付けられた時、私はやっと気づいた。
 彼は、先ほどから一歩もあの位置を動いていない。円を描くようにターンをするだけで、不規則な弾道で迫る球を全て打ち返したのだ。
 
「見て、キャロ。手塚さんの足元に、円が出来てる」
「本当だ。でも、なんで?」

 微かに風を感じる。
 内巻き、外巻き、どの方向からの球もその風に流され、回転がかかり、手塚くんの下へと向かっていくようだ。
 その能力が、彼の足元に小さな波紋を作り出し、強力さと確実さを物語っている。

「手塚くん、これがあなたの魔法なの?」
「いえ、魔法ではありません。手塚ゾーン、誰かがそう呼び、それが名前となりました」

 手塚くんが急に冗談を言い出したのかと思ったが、彼の表情はマジメそのものだ。
 どうやら、ウケ狙いで言っているのではなく、本当にそういうネーミングらしい。ある意味、名づけた人間を尊敬する。

「ほ、本当に物凄い力だね」
「フェイト隊長、何故半笑いなのですか」

 本当だったら腹を抱えて笑いたいところだ。
 その顔でそのネーミングは、なのはのSLBのほうがマシに思えるほどに辛い。彼のセンスでお腹が辛い。
 さて、ひとしきり笑ったところで状況を整理しよう。
 どうやら手塚くんのデバイスは正常動作しているようで、しかも彼の持っているレアスキルと相まって、恐ろしいまでの力を発揮している。
 こんな能力は我がライトニング隊、いや、管理局全体を見回しても所有している部隊はないだろう。ユーノレベルの防衛能力を持っているといっても過言ではない。
 まさしく期待の新人登場! と言った所か。どうやら、お荷物になるなんて心配は必要なさそうだ。

「うん、デバイステストは順調と。それじゃあ、後は建物の中を案内して……」
「フェイトちゃ〜ん! ちょっと待って待って!」

 声がしたほうを見ると、見慣れた影が物凄い勢いで飛んで来ていた。既にバリアジャケットを着用済み、やる気まんまんの状態でだ。
 高町なのは、私の友達にして、スターズ隊の隊長だ。
 その能力は折り紙付きで、向かうところ敵なし、完全無敵と持てはやされる、現状で最も強い魔法使いだ。
 確か、座学をサボってどこかへ雲隠れしていたはずだけど、今更何をしに来たのだろう。

「なのは、今は新人の訓練中だから」
「どうしてそんな面白そうなことに私を呼ばないのっ!? 自分の部隊に配属されるからって、これはひどいよっ!」

 びしっ! と人差し指を私に突きつけて歎くなのは。
 年齢は私と同じなのに、たまにこうやって、子供のような面を見せる彼女を見ているとため息が出る。 

「いやそう言われても。なのははなのはでやることがあったはずだし」
「言い訳なんて聞きたくない!」

 基本的になのはは人の話を余り聞かない。
 昔はそうではなかったと聞いているが……というか同じ時を過ごしてきたから分かるけれど、この時空管理局に入ってからは、今のように様変わりしてしまい、私をこうやって困らせる。
 たくましく成長したのだなぁと言えなくもないけど、私としては、落ち着きがない今のなのはは、トラブルメーカー以上の何者でもない。

「と、言うわけで新人くん……? えっと、新人さんですよね? スターズ隊長の高町なのはです」
「ええ、聖祥学園三年、テニス部部長、手塚国光です」

 ああ、なのはですらこの顔は驚くんだなぁ。
 使い慣れない敬語で、おっかなびっくり挨拶をするなのはに、冷厳な瞳で返す手塚くん。

「ちゅ、中学生とは思えないくらいに色んなところが育ってるの! 例えて言うなら、複数原画で一人だけやたら濃いキャラがいるような感じなの!!」

 割と失礼なことを言っているなのはだが、当の手塚くんは気にした様子もなく、淡々と話を聞き流している。
 う〜ん、大人だ。やはり中学生とは思えない。それとも言われ慣れているんだろうか。

「っと、そんなことはどうでもいいの。手塚くん、あなたと私、どっちが勝つか勝負しようなの!」
「勝負? 先ほど俺とフェイト隊長がやっていたようなものででしょうか」
「見てなかったからよく分からないけど、察するにそんな感じなの。私の魔法を、手塚くんが返せなくなったら負け。全部返したら手塚くんの勝ち」

 打つ側のほうが相当有利な条件になってしまうルールだけれど、なのはが言い出したことだったら、多分何を言っても曲げないだろう。私は特に口を出さずに見守ることにした。
 手塚くんがなのはの言葉に頷き、先ほど私たちがやったように、互いに距離を取る。
 そして静寂。二人は始まりの合図を待つ。

「行くよ、レディ……ゴー!!」

 いつの間に詠唱したのか、なのはの周囲には五つ、六つ、七つ……アクセルシューターが大量にばら撒かれている。そして、今なお増え続けている。
 振りかざしたレイジングハートに従い、その全てが手塚くん目掛けて襲い掛かっていく。
 速い、なのはは手を抜くつもりなどないようだ。
 
「はぁっ!!」

 高速で迫るそれを、手塚くんは慌てることなく対処する。
 一回一回振りかぶっていては間に合わず、一撃を弾いた後、スライドするようにラケットを動かすことで、全身をカバーし、断続的に打ち込まれる球を全て弾く。
 打ち返された球は、ラケットに当たっただけにも関わらず、しっかりとなのはの前方後方へと落としている。あの辺りがテニスの得点圏なのだろうか。

「へえ、魔力を完全に断絶してるのかな? でも、今のはほんの挨拶代わり。まだまだこれからだよ」
「先輩の胸を借りるつもりで、全力で当たらせてもらいます」
「むむ、殊勝なセリフをありがとう。じゃあ、しっかり受け止めなよ〜〜」

 ガコン、ガコンと、レイジングハートのカートリッジが駆動する。
 吐き出された熱風と共に、薬莢が地面に落ちる。それと同時に、なのはの詠唱も完了した。

「って! ちょっとなのは、さすがにディバインバスターはまずいよ!! 受け止めるなんていう次元じゃないよ、それはっ!!」

 ディバインバスターは、先ほどのアクセルシューターとは打って変わって、一撃必殺の攻撃力を持った魔法だ。
 とてもじゃないが受け止められるというものではなく、回避するのが精一杯。私もまともに食らったら生きていられるか自信はない。
 そんな魔法をいきなり新人に放つなんて……なのは、恐ろしい人。

「手塚くん! それは受け止められないから、避けて!!」
「ちょっと〜フェイトちゃん! 今口出しすると興ざめだからやめてっ!!」
「問題ない。返せない魔法ならば、返さなければいい」

 まっすぐになのはを見据える手塚くんの言葉は、その意味は分からないものの、自信に満ち溢れていた。
 その言葉は聞こえなかっただろうけれど、なのはの気合は高まっていく。
 いつのまにやら空高く舞い上がり、レイジングハートを手塚くんの方向に突きつけ、詠唱を開始する。

「ディバインっ! バスタァッー!」

 ついに解き放たれてしまった、なのはの一撃必殺魔法。
 もはや、これを逃れる術はない。今から逃げたところで間に合うはずがない。
 いざとなれば、私が全能力を持って───。

「う……ん? フェイトさん、なんかあのディバインバスター、曲がってませんか?」
「え? そう言われてみれば……」

 よく見ると、ディバインバスターの角度がおかしい。
 あのままだと、手塚くんの横を大きく反れていって、当たることはないはずだ。
 なのはが標準を外すとは思えないし、あれを曲げるだなんて、そんな魔法……。

「まさか、手塚くん!?」

 そうだ。さっき手塚くんは自分に向かって球を引き付けていた。それはつまり、逆に引き離すこともできるということなんじゃないだろうか?
 吹き荒れる風を感じる。渦を巻き、ごうごうと音を立て、大地を駆け抜ける風だ。
 ディバインバスターの直線ラインは、そう簡単には揺るがないもののはずなのに、それを強引に捻じ曲げてしまうほどに強い風。これは、魔法なのだろうか。

「すごいですよフェイトさん! これはまさに、手塚ファントムとでも呼ぶしかないんじゃないですか!?」
「うん、これは手塚ファントムですよね、フェイトさん!」

 ファントム……?
 しかし、これはとにかくすごい。どこから風が吹き荒れたのかとか、魔法の角度すら変える風圧って何よとか、そういう突っ込みは置いておいたとしても、恐ろしいまでのスキルだ。
 大地をえぐるディバインバスターの音も、命中しないと分かっていれば、それはただの演出にしか過ぎない。
 残されたのは、平然とたたずむ手塚くんと、唖然とした表情でそれを見つめるなのはだけだった。

「ちょっと、ちょっと! 何今の、魔法が曲がっちゃったよ!?」

 声を荒げ、手塚くんに詰め寄るなのは。
 そんな状況にも関わらず、手塚くんはただ一言。

「次も油断せず行きましょう」

 とだけ言い放つ。

「ふええ……よし! こうなったらSLBで行くっきゃないね!!」
 
 ま、まずい。そろそろ止めないと、本気で危険だ。
 なのはのSLBは、放たれたが最後、敵を倒すまで決して止まらないという、なのは最大の魔法だ。これ以上、自分の部下を傷つけられるわけには行かない。
 よし、止めに行こう。と私が決断した時だった。

「あ、あれ……? バランスが、取れない?」
 
 空中で静止していたなのはが、突如バランスを崩し、ふらふらと危なげに地上へと落下し始めた。
 まさか、ディバインバスターを打った時の消費で、集中が揺らいだ? ありえない技で返されただけに、さすがのなのはといえ、気が緩んでしまったのかもしれない。
 助けに行かなければ! 私は走り出した。足には自身があるけれど、間に合うかどうかは微妙なところだ。
 その時、私よりも早く地を駆ける影が飛び出た。

「手塚くん!?」

 速い。何かオーラのようなものすらも見えるけれど、それを視覚で捉えようとする頃には、既にその場所に彼はいない。
 空中浮遊の魔法も切れたのか、重力に引かれるままとなったなのは。地面からもう1メートルもないという、ギリギリのところで、手塚くんが滑り込み、なのはの体をがっちりと支える。

「なのは! 手塚くん!」

 衝撃が見て取れるほど、大きな音がした。
 二人の安否を確認するべく急ぐ足は、その思いとは裏腹にもつれ、遅い。
 ようやく視界に二人を捕らえた時、私は言葉を失った。
 二人はちょうど、お姫様抱っこの体勢だった。手塚くんがしっかりと支え、なのはも怪我などないように見える。
 状況から考えれば、そういう体勢になってしまうのも分かるけど……。
 
「大丈夫? 二人とも」
「う、うん。私は平気なの。手塚くんに抱えられたら、なんだか衝撃が消えたような感じがして、全然痛くなかったの」

 おかしい、衝撃は見て取れたはずなのに。
 もしかしたら、手塚くんはなのはにかかる衝撃だけを殺したんだろうか。 
 だとしたら、それも彼の能力……?
 
「俺は平気ですが、なのは隊長はひとまず医務室のほうへ運んだほうがいいかと思います」
「むー。なのはさんなら平気だよ。ほら、下ろしてみて」

 言われたとおり、手塚くんはなのはを地面に下ろす。
 その途端、なのははバランスを崩して、倒れこみそうになってしまう。

「っと、ほら、やはり行くべきです。無理をすることは、頑張るということではありません。ここはしっかりと休まなければ」

 そこを手塚くんにがっちり前から支えられ、倒れることは避けたなのは。
 でも、身長差のせいで、なのはの顔は手塚くんの胸にスッポリと埋まってしまう。

「がふぅ……。うう、年下なのに説教されちゃったよお。仕方ないから、医務室行くよ」

 しぶしぶながら、なのはも了解したようだ。
 それにしても……見方によっては抱き合ってるように見えちゃうなぁ。
 案の定、後ろから追いついてきた二人は、すっかり頬を赤らめてしまっている。若いなぁ。

「あ、でも今私歩けないから、どうしよっか」
「俺の背中でよければ」
「にゃ、にゃはは……それはちょ〜っと恥ずかしいかなと」

 さすがになのはも恥ずかしいらしい。
 そりゃそうだよね。うん、ここは私が一緒に行くべきで……。

「いえなのはさん! ここは恥じらいを堪えてでも行くべきですよ!」
「そうですっ! 今行かないと、後で大変なことになっちゃうかもしれないですよ!!」

 な、何、二人とも。どうしてそんなに力を入れて、なのは達を行かせようとするの?
 はっ……まさか二人とも、この状況を楽しんでいる?

「あのなのはさんが躊躇ったり戸惑ったりしているところなんて、一生に何度も見れるものじゃないもんね、キャロ」
「うん! しっかり目に焼き付けておかないと、絶対に後悔しちゃうよ」

 私の育て方が悪かったのか、二人はどうにも下世話な方面に興味の対象が移ってしまったようだ。
 どうするべきか迷う。常識的には、私がなのはと一緒に行ったほうがいいんだろうけど、それをやると、二人の楽しみを奪ってしまうことになるし……。
 そんな躊躇いを見せていると、手塚くんは待っていられないといった様子で、なのはと抱き合っていた状態から反転し、素早く彼女を自らの背中にもたれかけさせた。

「うひゃあ! ちょっと手塚くん、強引!」

 なのはは目を白黒させて、手塚くんの頭をぽかぽかと力なく叩く。
 まるで少女のようななのはに、私は昔の彼女を重ねてしまった。

「すみません。しかし、なのは隊長の体を気遣うならばとの考えです。お許しください」
「むむ……そ、そうなんだ。うん、よきにはからえなの。とりあえず、医務室までゴーなの」

 手塚くんの殊勝な態度に気を良くしたのか、なのはは笑顔で腕を振り回す。
 下にいる手塚くんはさぞかし迷惑だろうな。

「了解しました。それではフェイト隊長、俺は医務室まで行ってまいります」
「え? ああ、うん。分かった」

 しどろもどろになりながらも、口が勝手に動いてしまった。
 本当なら、色々と言いたいことはあったはずなのに、手塚くんの素早い行動を前にしたら、急に何も言えなくなってしまった。
 小さくなる二人の背中を見て思うことといったら、なのははバリアジャケットを脱がなくていいのかとか、手塚くんはそういえばバリアジャケット着てないなぁとか、そんなくだらないことばかりだった。
 

・SIDE なのは


 面白そうな新人が入ってきたとの情報をはやてから得て、それからちょっとだけ遊んで、今はその新人くんの背中にいる。
 我ながら、思いつきで動いたな〜とは思うけれど、こうして大きく、広い背中に揺られていると、これもいいものだなぁと思ってしまう。

「ね、ね。手塚くん。私、重くないよね? 大丈夫だよね?」

 青春を全て戦いに捧げてきたといっても、こういうことは気になってしまうものだ。
 もちろん、ここで重いだなんて言われたら、少し頭冷やしてやろうかというところなのだけれど。

「ん? 俺が普段背負っているバッグよりも軽いくらいです。まったく問題ない」
「もー、重さの例えに私が分からない物出すの禁止! 褒められてるのか貶されてるのかわかんないよ」

 それはすまなかった。と、私には見えないところにある手塚くんの顔が微笑んだ……ような気がする。
 やけに大人びているけれど、どうにも私より年下らしい。絶対におかしい。
 ゆらり、ゆらり、揺れる景色。こんなに高い場所から床を見下ろしたことなんてなかった。
 まったく、年下で身長も高いだなんて、なんだかむかつくの。

「なんか手塚くんに敬語使われていると、変な気分なの。とりあえず、私に敬語はいらないの」
「しかし、それでよろしいのですか?」
「なのはさんがOKを出したら、それは六課全体がOK出したのと同じなの。じゃあ、私のことはなのはさんって呼んでね」
「分かった、なのはさん」

 思わず噴出しそうになった。
 この顔とこの声でさん付けはありえない。腹を抱えて笑う一歩手前にまで追い込まれる。

「なのはでいいよ……さんもいらないから」
「ふむ……では、なのは」
「はいはい。なんでしょか」
「医務室の場所が分からない。すまないが案内してくれないか」

 そう言えば、彼は今日始めてここに来たんだった。あまりの貫禄に、昔からここにいたような気がしてならないけど、彼は新人だ。
 
「しょうがないね、ほら、そこの角を右に曲がって……」

 手塚くんの背中から身を乗り出し、手を伸ばしてみた時に気づいた。
 この体勢、自分の胸をぎゅっと手塚くんの背中に押し付けているようなものじゃないか。

「? どうかしたか、なのは」
「な、なんでもないの」

 途端に恥ずかしくなって、広い背中に縮こまってしまう私。
 こんな体勢になったことはないし、さらに、兄以外の男性とここまで接近したことなど、数えるほどしかない。
 というか、押し付けられている側は何も感じないのだろうか。いや、それ以前に女の子をおぶるなんていうシチュエーションに緊張しないのだろうか?
 小声で医務室までの道を指示しながら、手塚くんの表情をうかがって見る。
 横顔しか見えなかったけれど、その表情はとりたてて慌てたり、緊張した様子はなさそうだ。

「(もしかして、こういうことに慣れてるのかなぁ)」

 中学生離れした外観に、貴族みたいな声だ。しかもテニス部部長らしいし、きっとモテモテだったのだろう。
 緊張しているのが自分だけだと思うと、なんだか目の前の背中が急に憎らしくなってきて、なんとかして慌てさせてやろうと、悪戯心が芽生えてくる。
 試しにもっと押し付けてみよう。ダメだ。自分がさらに恥ずかしくなってくる上に、まるで誘っているみたいじゃないか。
 なら、こう、首筋に唇を押し付けて……って! もうそれは変態の域に達してるの! というか、そろそろ押し付けるから離れよう!
 なんだか、策を練れば練るほど、自分が恥ずかしくなってくるようだ。もう、大人しく引っ付いているだけにしよう。
 そうすると、どくん、どくんと、心音が聞こえてくる。はじめは自分のものかと思ったけど、違うようだ。
 ずいぶんと速いリズムで刻まれる心音。私でないのならば、もう目の前にいるこの人しかいないだろう。

「(ああ、なんだ。やっぱり緊張してたんだね)」

 表情には一切出さないけれど、心臓は誤魔化せなかったようだ。
 次第に、その鼓動の速さは伝染して、私の心音も早くなる。相乗効果が止まらない。

「ね、ね。こうやって誰かを運んだこと、あるの?」
「……部員ならばあるが、女性ではこれが始めてだ」

 さすがにこの時ばかりは手塚くんの頬も赤く染まる。
 それを見届けた瞬間、何故か私はガッツポーズがしたくなるほど、喜びたくなってしまった。
 そんな私のにやけ顔を横目で見た手塚くんは、ため息をひとつ吐いて、またいつもの堅物な顔に戻る。
 けれども、その心音は相変わらず速いままで、私はまたそれを聞いて微笑んでしまうのでした。





 コンコン。

「はーい、どうぞ」
「ごめ〜んシャマル。今平気?」

 医務室へとたどり着いた私たちは、閑散とした様子を見てほっとした。
 もしベッドが一杯だなどと言われてしまったら、また手塚くんの背中でドギマギしなければならない。それは、手塚くんのほうも同じだ。

「あら、あら、あら! なのはちゃんが男の人の背中でっ! ていうか物凄くカッコイイ人の背中でっ! きゃーもうたまらないっ!!」
「う、うるさい黙れ年中お花畑!」

 医務室の主、シャマルが声を荒げる。
 どうやら今の状況は、彼女にとって騒ぎ立てるほどの代物だったらしい。
 まあ、確かに気持ちは分からなくもないけど、よくもまあそこまで騒がしくできるものだ。

「あ、申し遅れました。私、ロングアーチの補佐、ヴォルケンリッターが一員、湖の騎士シャマルです」

 長い、長いよその肩書き。
 普通にシャマルですですむところを、何ゆえ長々と言うのか。

「聖祥学園中等部三年、テニス部部長、手塚国光です」
「って対抗して長々といわなくていいからっ!」
「部長の手塚国光です」
「ええ! もしかして、遺失物管理部の部長さんですか!?」
「あーもう! さっきテニス部部長って言ったでしょっ!!」
「遺失物管理部の、テニス部部長さんですか」
「そんなものあるかぁ!!」

 つ、疲れる。しかも今のは手塚くんの背中から怒鳴っているため、目の前には顔をしかめる美青年の姿がある。ごめんなさい。

「とりあえず、かくかくしかじかで今立てないの。とりあえずベッドよこせなの」
「はいはい。それにしてもカッコいいわね〜、落下するなのはちゃんに駆け寄って、がっしりとお姫様抱っこだなんて」
「そ、そんなことまでは私言ってないの!」
「かくかくしかじかだなんて言うから、どこまで説明したか分からなかったのよ」

 次からはしっかり事細かに説明しよう。私は心に強く誓った。

「それじゃあなのはちゃん、楽な服に着替えてもらうから、バリアジャケットは脱いでね」
「あ、忘れてたの」

 言われるまでジャケットを開放することを忘れていた。
 多分、予想外の事態で頭が回ってなかったんだと思うけれど、むう、なんだか恥ずかしい。

「それじゃあ着替える……って、手塚くん!」
「どうした」
「も〜! 着替えるからこっち見ちゃダメなの!! 恥ずかしいこと言わせないで欲しいの!!」
「あ、ああそうか。すまない」

 ポッと赤くなり、後ろを振り向く手塚くん。
 大人びてるけど、やっぱり中身はまだまだ子供……いや、もしかして確信犯?

「なのはちゃん、バリアジャケット脱ぐのなんて一瞬じゃない。そこまでしなくても」
「は、恥ずかしいものは恥ずかしいの! 人前でポンポン脱いでたら、なのは淫売みたいなの!!」
「そういう言葉を平気で口にするほうが恥ずかしいとは思うけど」

 万全の注意を払いながら、バリアジャケットを開放する。
 本当に一瞬のことだけれど、それでも裸になることに変わりはないのだから、見られるわけにはいかない。
 はっ、そういえば手塚くんの荷物チェックとかしてなかった。実は手鏡とかで後ろをチェックしてたりとか……。

「て、手塚くん! 見てないよね!!」
「ああ、何も見てはいない。目も瞑っている」

 むむ、しかしそうやってまるで興味がないようにされるのも、女としては微妙なところだ。
 とりあえず着衣をただしてみたものの、何か物足りない。

「ほらほら〜、振り向いたらなのはさんいるよー。チャンスだよ〜」
「(ちょ、挑発してる……なのはちゃんが……)」

 シャマルが今にも噴出しそうな顔でこっちを見てるが、気にしない。
 
「あー暑いから少し脱いだままでいようかな〜。ふぃ〜風が気持ちいいなぁ」
「……そのような挑発に乗る俺ではない」

 なんと、ここまでやってもビクともしないとはっ!
 ちくしょうめ、こうなったら奥の手だい。背中ギリギリまで迫って、後ろからだ〜れだって……。

「うわあぁぁ!! あまりの恥ずかしさに死んでしまうわぁっ! というか、それなのはさん一人バカップルなの! 脳みそ筋肉なの!」

 あまりのピンクでブルーな想像に、自分自身が耐えられなくなってしまった。
 だって、そんな馬鹿な真似、フェイトちゃん相手にだってやったことないっていうのに、ぶっつけ本番で出来るはずがない。

「その、大丈夫か?」

 挑発されてる方から心配の言葉を受けるとは、もう本当に情けなくなる。
 なんていうか、こう、年下の男の子をかわいく弄ぶお姉さんになってみたかったのだけれど……中々慣れない事はするものではない。

「うん、実はもう着替えとか済んでるからさ、振り向いても平気だよ」
「やはりか。衣擦れの音は聞こえていたから、おかしいとは思っていたんだ」
「ってぇ! な、何耳を研ぎ澄ませて聞いてるのっ!!」
「い、いや、目を瞑ると他に神経が集中してしまってな」
「むぅ〜〜〜!! もう知らないっ!!」
「まあまあなのはちゃん。落ち着いて、病人なんだし」
「いえ、迷惑をかけたのは俺です。それでは、失礼します」
「あ……」

 頭を深々と下げ、そのまま手塚くんはこちらを振り向きもせず、医務室を出て行ってしまった。
 
「あ〜らら、本気にしちゃって出て行っちゃったね」

 悪戯な微笑を浮かべながら、シャマルがこちらに寄ってくる。
 
「……なによ、その顔。言いたいことでもあるの?」
「別に、べっつに〜。いやぁマジメそうな子だったな〜って思ってるだけ」
「ふん、別にシャマルのところには関係ないでしょ。手塚くんが入るのはライトニングだし」
「そうだね、ライトニングだからね。スターズじゃあないんだもんね〜」
「うう……」

 何だかシャマルがすごく調子に乗っている気がする。
 人の足が動かないと思って、ここぞとばかりに反撃に出てきたらしい。

「シャマル、私は別に手塚くんのことをどうこう思ってなんかいないの。そんな揺さぶりにかけたって、通用しません」

 先手を打って、シャマルの話題を潰しておく。
 どうにも恋愛話のほうへ持っていきたいようだけれど、その手には乗るもんか。

「ふ〜ん、じゃあ私が攻めに行っちゃってもいいよね。年下でカッコよくて、かわいくて……もう正直たまらないの!!」
「だ、だめなの!!」
「え〜どうしてよ〜。スターズは関係ないんでしょ? だったら別にいいじゃない」
「だめなものはだめなの! だ、大体そんなのフェイトちゃんが許すはずないの!」
「じゃあフェイトちゃんが許せばOKなわけなのか〜。ふ〜ん」
「ゆ、許すはずないの!」

 きっと多分おそらく……。ああ、でも、フェイトちゃんは押しに弱いところがあるから、もしかしたらシャマルの勢いに飲まれて頷いちゃうかもしれない。
 考えてみたら、私はなんでフェイトちゃんにそんな信頼を寄せてるんだろう。今もこうして、心配の種となって心を締め付けているというのに。
 そうだ、信じられるのは自分だけだ。だから、この状況もフェイトちゃん頼みではなく、自分で打破しないといけないってことだ!

「じゃあフェイトちゃんのところに行って聞いてこよ〜っと」
「前言撤回なの! フェイトちゃんが許しても、このなのは様が許さないの!!」
「ってえええ数秒の空白の間に、なんでそこまでの心境変化がっ!?」
「女の子の心は移り変わりが激しいの。なのははお年頃の娘だから、人一倍なの」
「……まあ、いいんだけどね、そういうことを言っちゃえるってことは、それはそれでネタになることだし」
「どういうことなの?」
「はぁ、気づいてないの? 今なのはちゃん、手塚くんは渡さない宣言したも同然なのよ」

 言われてみて初めて気づいた。なのは、物凄く恥ずかしいことを言ってしまってました。
 
「ふえぇ……は、恥ずかしい……。べ、別にそういうんじゃないのっ、ただ、さっき助けてもらったから、その、なんというか」
「好きになっちゃったの?」
「そう……って違うの! 誘導尋問かっこ悪いの! それに、今日会ったばかりの人に、好きだとか嫌いだとか、そんなのないの」
「まぁ、うちの隊長たちは揃って青春を置き忘れてきちゃってるもんね。そういう感覚に疎いのも分かるかな」
「本の擬人化に言われたくないの」

 確かに自分たちは戦ってばかりだったから、そういった色恋沙汰は縁がなかったというのはある。
 だからって、今日始めて会った男の人に恋をするなんて、そんなのありえないの。
 だけど、胸の奥にはよく分からないモヤモヤがあって、ありえないと言った自分の言葉に呼応し、どんどんとその面積を増大させていっている。
 もしこれが、恋の前兆だとしたら……この先、私の心はどうなってしまうんだろう。
 
「お薬出しとく?」
「え?」
「便箋か電話か、それとも直接か。好きなのを選んでいいわよ」
「はあ、もういいよ。シャマルにこんな気持ち、分からないよね」

 ベッドに倒れこみ、そのまま塞ぎこむように布団を被る。
 暖かいベッドも、なんだかむずがゆくって落ち着かなかったけれど、体は勝手に休息へと沈んでいった。

「(また、ああやっておんぶしてもらえるのかなぁ……)」

 意識が落ちる前に思うことは、あの大きく広い背中のこと。
 ゆらりゆらり揺られる私の体。この心も、いつしか宙ぶらりんになって、同じように揺らされてしまったようだ。


・SIDEティアナ


 風のない昼下がり。照りつける太陽は雲に隠れ、その輝きを発揮できないままでいる。
 そんな空の下、私はいつも通りに自主トレをする。
 普段の訓練だけでは、私の求める強さは手に入らないから。元より私は、人一倍頑張らなければ、強くなんてなれないから。
 クロスミラージュを握る手は、いつだって強張っている。突出した私の意志が、体を緊張させてしまっているらしい。

「ふう……。慣れないわね、この感じ。筋力は強化できたって、心がついてこないんじゃ意味がない」

 一人ごちても状況は変わらない。傍にスバルでもいれば、少しは気が紛れるのだが、あいにくその相棒は連れてきていない。
 しかたないことだ。私は壁に描いた的に、クロスミラージュを合わせる。
 左のショットを右のショットで打ち落としたり、あるいは複雑な軌跡を描かせつつ、最終的には的に当てるといった、思いつきのような訓練だ。実際、役に立っているのかどうかは分からない。
 考えを切り、冷静になろうと努める。

「ショット!」

 まずは左だ。螺旋を描きながら的に向かうそれを、右のショットで射抜く。
 手馴れた動きで、私は右手のクロスミラージュを滑らせる。

「あっヤバ!」

 タイミングは悪くなかったが、弾いた方向が不味かった。
 壁に当たるはずだったショットは、見事にあさっての方向へと弾け飛んでいく。
 誰か人がいたら大変だ。私は振り返り、ショットの軌跡の先を見る。

「……! そこの人っ! 危ない、避けて!!」

 そこには見知らぬ男性が一人いた。
 散歩中であったのか、彼はゆっくりとした足取りでこちらに向かってきているところで、声を上げる私を不思議そうな目で見ている。
 その刹那、事態に気づいたのか、男性の表情が引き締まる。

「逃げる気がないの……? 危ないわよ!!」

 もう避ける方法は、しゃがむか、飛びのくくらいしかない。
 目の前の男性はどうみても私服の一般人で、そんな緊急回避が取れるとも思えない。
 しまった。弾けたショットを私が迎撃するべきだったんだ。
 後悔に苛まれる私をよそに、男性はとても落ち着いた様子で、手に持っていた何かをかざす。

「はぁっ!!」

 気合の篭った掛け声と共に、男性に当たるはずだったショットが、弾けて……私の後方の壁に叩きつけられた。
 見ると、見事に私が描いた的を射抜いている。一瞬の出来事だった。
 
「な、何が起こったの? 魔法を、跳ね返した!?」

 動揺する私に、男性が近づいてきた。
 遠目でも分かるほどの長身で、近くに来るとそれがより一層際立つ。
 流れるような髪に、細身の眼鏡。そして手には、何故かラケットが握られていた。

「あっ! もしかして、開発中のデバイス? 確か、あれは魔法を弾くことを目的に作られていたはずだし……」

 っと、いけない。そんなことよりも、まずは謝らなくちゃ。

「その、ごめんなさい。自主トレの最中で、周囲が見えてなくって」

 普段なら侵さないようなミスだ。自分でも信じられないほどに、今日は運が悪かった。いや、このミスが私の実力そのものを物語っているんだろう。

「ああ、問題ない。中々に難しい回転だったが、何とか返すことが出来たしな」
「返すって……もしかして、あの的狙ってたんですか!?」
「そういうものなのだと思っていたのだが、まずかったか?」

 なんという人だ。突然の事態にもかかわらず、周りの状況をよく見ている。
 あの時慌てふためいていたのは自分だけで、被害者になるはずだった人が落ち着いているだなんて、本当に情けない。

「いえ、あの状況での機転、素晴らしかったです。よろしければ、お名前を伺っても構わないでしょうか? 自分はティアナ・ランスター。二等陸士です」
「聖祥学園中等部三年、テニス部部長、手塚国光だ」
「……ん? 聖祥学園、中等部?」

 何かがおかしい。目の前にいる男性は、どうみても私より、いや、隊長たちよりも年上に見える。
 それが、よりにもよって中等部? ありえないにも程がある。

「(でも待って。このデバイス、確か新しく来る隊員の為につくられていたものだったはず。てことは、この人……)」

 写真もプロフィールも見たことがないため、完全な推測だが、恐らくは彼は新人なんだろう。まったくもってそうは見えないが。

「もしかして、機動六課に新しく配属されることになった方ですか?」
「ああ、その通りだ」

 ビンゴだった。同時に、心の底からありえないという声が聞こえてきて、思わず実際に口から出てしまいそうになる。

「余り気にしないでくれ。そう言われることは慣れている」
「え、今私口に出してましたか?」
「表情で分かる。まあ、実際に言ってもいたがな」

 すごい、認識を超えた状況下だと、意識よりも反射のほうが上回るんだ。
 というか、本当にありえないんだからしょうがないじゃない。多分、スバルも同じことを言うはずだ。

「そ、その、ということは年齢的には一コ下か二コ下ですか」
「俺は十四歳だ」

 本気で噴出しそうになるセリフだった。
 そんな貴族みたいな声と顔で言われても、何の説得力もない。

「そ、それじゃあ敬語とか要らないかな。これから同じ部隊で戦う仲間なんだしね」
「俺のほうはどうすればいい?」
「手塚くんはそのままでいて下さい」

 その顔で敬語を使われると、かえってこっちが恐縮する。
 むしろ、私としては敬語で話していても何の違和感もなかったので、そのままでもよかったくらいだ。

「なのは隊長にも同じことを言われたが……随分とアットホームな職場なのだな」
「いや、手塚くんがものすごい限定条件踏んできてるからだと思うけどね」
「そこまで老けているという実感はないのだが」

 堅物そうな顔が、少しだけ困ったように曇る。
 そんな微妙な変化を見つけただけなのに、何故か私は少し嬉しくなってしまう。

「でも、今日はどうしたの? 見回りなら、フェイト隊長と一緒のはずでしょ」
「いや、実は色々と会ってな」

 手塚くんから、今日の顛末を聞く。
 初日からガンガン飛ばしているようだ。

「なるほど、それで追い出されて、やることもなくここに来たってわけね」
「ああ、本当に何もすることがない」

 来たばかりなのだから、まだ自分の部屋も分かっていないんだろう。
 自分がここに来た頃を思い出し、共感を覚えた。

「ね、ね。せっかくだから、私の自主トレに付き合ってくれない?」
「ん、それはかまわないが、俺はまだ来たばかりで連携もお前の能力も分からないぞ」
「その辺りは、トレーニングしながら理解していくものよ。そうでしょ、テニス部部長さん?」
「ああ、そうだったな。よし、ではやらせてもらおう」
「ええ、悪いところがあったら、遠慮なく言ってきてね!」

 数分の打ち合わせの後、私たちのトレーニングが始まる。
 ルールは簡単で、私のショットを手塚くんが打ち返し、打ち返したショットを、私が避けるといったものだ。
 もちろん、ショットの方向は毎回変えていくし、魔法を反射するデバイスなんて始めての経験だ。言葉で言うほど簡単ではないだろう。

「いっくわよ〜!」

 いきなり両手同時撃ちだ。
 左の螺旋と、右の直線、タイミングが取りづらいショットだったが、手塚くんのラケットはそれを簡単に捕らえる。

「こちらも行くぞ!」

 私のショットが、真っ直ぐな光のラインになって、膝元と眼前に迫る。
 素早く判断し、横っ飛びし、その状態から連射する。
 三発、四発、その全てを手塚くんのラケットが弾き返し、私はまた飛び退かなければならなくなる。

「やるわね、でもこっちだって負けちゃいない!」

 私の体目掛けてくるショットを、側転の要領でかわす。
 自分でも驚くほどに体が動く。着地した瞬間、狙いを定め、ショットを撃つ。

「(タイムラグはいつもより短い……いけるっ!)」

 曲線を描くもの、螺旋、直線、バウンド、あらゆる角度から迫るショットに、手塚くんのラケットはまだ動かない。

「……? 何、あれ」

 不思議なことが起こった。
 私の放ったショットは、それぞれ違う軌跡を描いていたはずなのに、何故か全てが一つの場所へと、誘われるように向かっていくのだ。
 まるで、ブラックホールに引き込まれていくかのようだ。全てのショットは、手塚くんのラケットが持つスイートスポットへと向かっていく。曲線のカーブも、螺旋の捩れも関係なく、飲み込まれていく。

「おおおっ!!」

 撃ち出したショットの数々が、一つの大きな塊となって返される。
 現実離れした光景に驚いている暇はない。
 すぐさま私は後ろへ……。

「(いや、ここは引くべきじゃない。大技の後ほど、隙ができるはず!)」

 頭を低く下げ、全速で駆ける。
 ショットと地面との隙間を抜ければ、そこはもう私の領域だ。中距離の連続射撃なら、たとえ弾けたとしても、私に直接返すことは出来ないはず。
 あと数十センチ、行ける! そう思った瞬間だった。
 
「くっ! ショットの軌道が変わる!?」

 直線で迫ると思われたショットが、少しずつ地面へと近づいていく。
 ショットにギリギリまで近づいていた私にとって、その少しの距離すらも致命傷だった。
 自分が撃ち出した力が、容赦なく私の体を襲い、受身も取れないまま、地面へと投げ出される。

「かはっ……。や、やってくれるわね」

 テニスという球技をよく知らない私にとって、今のようなショットは予測できないものだ。
 それまでは私のショットを、確実に直線で返していたため、頭の中で勝手にイメージがついてしまっていたせいだ。
 
「気づいたことを言おう。まず、左右のフットワークが甘い。行動は素早く、そして確実に行うべきだ」
「いきなりキツイわね。それで、次は?」
「射撃についてだ。ショットが正確すぎて、逆に予測がしやすい。そこは改善すべきだろう。それに加え、狙いをつけるのに時間を置きすぎだ」
「でも、狙わないと当たらないじゃない」
「お前が狙いをつけている時間、俺はほぼフリーになる。あの状況で俺自身に遠距離攻撃の手段があれば、確実に射抜かれるぞ」

 言われてみると、私はショットを撃つまで無防備だ。
 撃ってすぐに走り出したとしても、手塚くんの言うとおり、遠距離攻撃をされた場合、間に合わないかもしれない。なにせ敵は機械なのだから。

「ある程度、牽制のためにショットを乱射することも必要だ。特に、敵が一人ではない可能性がある場合はなおさらな」
「そっか、いきなり後ろからズドン! っていうのもありえるか」

 一対一でもこれだけ時間をかけているのに、後ろからの敵になんて対応できるはずがない。
 まさに手塚くんの言うとおり、私は今のままでは確実にやられていただろう。
 ダラダラと、体中から汗が流れる。緊張の一瞬から抜けた途端これだ。

「て、手塚くんは汗一つかいてないんだね」
「ああ、そうだな。まだ余り動いたという気もしないし、普通だとは思うが」

 そう言えば、手塚くんは先ほどから殆ど動いていない。
 ほぼ、その場のターンだけで私のショットを処理し、なおかつ的は外さない。なんと恐ろしい芸当だ。

「はぁ、やっぱり私とは出来が違うってことだよね。何でかなぁ……」
「ふむ、考えるに、こうして単独練習をしているからではないか?」
「と、言うと?」
「まず視野が狭くなる。トレーニング内容も自分一人で決めなくてはならないし、それによってクセがついたとしても、指摘する人間がいない。故に、非効率的だと思う」
「う〜ん……。そうね、一緒にトレーニングしてくれる人がいると、やる気も出るし、お互いの悪いところも見えてくるからね。確かにいたほうがいいかな」

 でも、スバルを付き合わせるのもどうかと思うし、キャロやエリオでは、そもそも私との相性問題もある。
 消去法で潰していくと、結局のところ私一人になってしまうのが現状ということだ。

「て、目の前の人のことを忘れちゃダメじゃない。ね、手塚くん、私と自主トレしてみない? これからも、今みたいな感じで」
「俺でいいのなら構わないぞ。元より、こういったトレーニングはするつもりでいたしな」

 ラッキーだ。いきなりパートナーをゲットできたし、しかも強力なアドバイザーでもあるというオマケつきだ。
 今日の廻り合せは運命的なものに感じる。違う世界の人間、違う立場の人間にも関わらず、この場に居合わせたという現実。少しだけ、私は見えない力に感謝している。

「それでは、先ほどの続きを始めるぞ。ティアナ、俺が絶対に返せないショットを撃って来い!」
「ええ、その顔を絶対に驚きで染めてあげるわ!!」

 再び、私たちの攻防が繰り返される。
 幾度となくショットを撃ち、幾度となく返される。
 普段の訓練よりも、ずっとアドバイスを受け、自分の悪いところ、そして良いところも見えてきた。
 筋肉の軋みも、ほとばしる汗も、得るものがあると考えれば、苦痛とは思わない。
 一時間、二時間と続くトレーニング。私は、心の底から充実していた。





「ハァ、ハァ……。も、もう、そろそろ終わらせましょう! キリがないわ!!」
「ああ、ちょうどいい頃だな」

 開始から四時間ほどたった頃だろうか。ようやく長い長い自主トレは幕を閉じた。
 もう全身から湯気が出るほどに、私は疲弊しきっているというのに、手塚くんはやはり汗もかいていない。化け物だ。

「ホント、どーいう体力してるのよ。たまに止まってアドバイスしてるにしても、殆ど動きっぱなしなのに!」
 
 半分怒ったように、私は手塚君を攻める。
 そんなことを言っても、自分の体力のなさは変わらないけれど、そうは言ってもやめられない。

「お前のショットは素直だからな。リターンにそれほど力を入れることなく、ラケットを沿わせるだけで良いんだ。だから、俺の体力消費は抑えられている」
「はぁ〜。褒められてるのか、貶されてるのか分からないわよ。こりゃ明日は体中が悲鳴を上げるわ」

 体の節々が痛みを訴え、後に起こるであろう疲労に嘆いている。
 でも、それも悪い気はしない。痛みの分だけ得たものがあるから。

「ありがとね、手塚くん。今日一日で随分と自分のことが分かったわ。すごいのね、観察眼」
「そんなことはない。これは、俺の仲間からの受け売りだ」
「へえ、そうなんだ?」
「ああ、データは嘘をつかないと言って、情報の必要さを訴えていた男だ。俺はただ、それを見習っただけの話だ」
「確かにこりゃ、嘘はつかないわね。現にしみじみと、その大切さを感じてるところだし」
「その痛みの一つ一つが、お前を強くするだろう。今は、存分に噛み締めろ」

 真面目な顔のまま、冗談のようなことを言う人だ。
 それがおかしくて、ついつい笑ってしまう。体中が痛いのに、大声で。

「さぁって、私は先に上がって、シャワー浴びてから行くから」
「ん? これから何かあるのか」
「何かって、食事の時間よ。ほら、時間も頃合でしょ」
「その辺りのことはまだ聞いていなかったからな。そうか、この時間は食事の時間だったのか」
「……そう言えば、フェイト隊長のこと忘れてたわね。もしかしたら、中で探してたりして」

 几帳面な人だし、いなくなった手塚くんを探してどこまでも、ということもありえる。
 引きとめてしまった身としては、かなり責任を感じてしまう。

「ごめんね、後で一緒に謝るから」
「いや、俺としても充実した時間だった。ティアナが気に病む必要はない」
「う、う〜ん。でも……」
「部長だからな、こういうことにも慣れている」
「もう、そんなの理由にならないって。分かった、手塚くんがそういうなら、私は今日のこと謝らない。また、一緒にトレーニングしましょ」
「ああ、次回も油断せず行こう」

 重たい体を引きずりながら、しかし私の足取りは軽く、その場を後にした。
 辛い時、苦しい時、私は一人歯を食いしばって耐えてきた。
 これからもきっとそうだと、半ば諦めていた私の一生。だけど、今日そこに一筋の光が差した。
 手塚国光。彼の名前が、私の頭の中に響き渡る。
 年下の癖に、私よりもずっと立派で強くて、それでいてカッコいい。まったく、私の立場がないじゃない。
 これからは、彼と肩を並べて戦えるんだ。何だか、楽しい。心の底から、楽しい。

「たまにはまともな男の人も来るんだね、こんな場所にも」

 誰かに聞かれたら大変顰蹙をかいそうなセリフも、すらすら出てきてしまう。
 明日からが、いや、もう今から楽しみだ。
 人差し指をピンと伸ばし、手塚くんがいるであろう方向に向かって、銃を撃つ真似をする。

「次は絶対、絶対に当てて見せるんだから!」


・SIDE スバル


「ごっはんだ、ごっはんだ〜」

 生きていて、一番楽しいのがこの時間。お腹一杯ご飯を食べられるってだけで、私の頭はパンクしそうなくらいに一杯になる。
 訓練は大変だけれど、それを乗り越えた先においしい思いが待っていると考えると、うん、毎日頑張れる!

「あれ、見たことのない人がいる……」

 私服の長身男性だ。見た事のない顔だけれど、もしかしたら管理局の人かもしれない。
 見たところ、迷っているようだ。辺りをキョロキョロと見渡している。
 困っている人を助けるのが、私の役目。なら、今目の前にいる人を助けることも、私の役目のはず。

「あの、どうかしましたか?」

 私の声に、男性が振り向く。
 長身のため、私はずっと首を上げないと、彼の顔を見ることが出来ない。
 眼鏡をかけ、鋭い目をしているけれど、どことなく母性をくすぐられる顔立ちだ。

「ああ、食堂へ行きたかったのだが、少し迷ってしまってな」

 渋っ! 思わず口に出してしまうほど、いい声だ。
 なんだかこう、頭の奥をくすぐられるような、鳥肌が立つ感じがして、私は身震いする。

「あ、あの、食堂でしたらちょうど私も向かっていたところなんです。よかったら、案内しましょうか?」
「そうだったのか。悪いがお願いしよう。ここは広くてな……」

 私は頷き、先頭に立って道を示す。
 歩幅が違うので、私が少し早歩きをしないと、後ろから来る彼に抜かれそうになる。

「その、私はスバル・ナカジマ二等陸士です」

 唐突に、挨拶をしていなかったことを思い出した私は、今更かなと思いつつも、頭を下げる。
 そんな私に驚く様子もなく、彼も立ち止まり、それに応えた。

「聖祥学園中等部三年、テニス部部長、手塚国光だ」

 はて、聞きなれない単語だけど、新しくできた分隊の様なものだろうか。
 て、そんなわけないない。頭を振って、おかしな思考を振り払う。

「え、えっと、その……」

 何を言おうか迷う。
 まず、中学生って嘘だろって顔と身長に突っ込みを入れるべきか、それともなんでそんな人が平然とここをうろついているのかを聞くべきか。
 そんな私の心境を察してか、手塚と名乗る彼のほうから話しかけてくれた。

「本日より、ライトニング隊に配属されることになっている。今は、フェイト隊長を探しているところだった」
「あ、ああ! それは聞いていました!」

 今日かどうかは知らなかったけれど、確かに新しい隊員が来るって話は聞いたことがある。
 その人の為にデバイスも専用に作られ、リイン曹長も張り切っていた。新しいバリアジャケットが作れるのが楽しみだったんだろう。

「えっと、中学三年っていうことは、十五歳ですか?」
「まだ十四だ。誕生日はまだ先でな」

 十四! 私より年下じゃないか。
 しかし、どう頑張っても、私は目の前の手塚さんと比べると……よくて妹、最悪娘に見られるかもしれない。

「……信じられないものを見たような顔をするな」
「あ、ごめんなさい」
「いや、慣れているからいいが」
 
 こんな状況に慣れるほど、手塚さんは同じ体験をしているんだろうか。
 多分だけど、今日一日だけで何人もの人に言われ続けたんだろうなぁ。

「あ、ここが食堂です。もう時間的にはみんな集まってるはずですよ」

 早歩きできたためか、いつもよりも距離が短く感じた。
 歩いている間は意識しなかった空腹が、食堂の空気にあてられて、再び息吹を上げる。

「ほら、あそこに集まってますよ。ちょうどよかったですね」
「む? ああ、本当だ。すまなかった、ここまで案内させてしまって」
「いえいえ、これから同じ隊で戦うことになるんですから」
「そうだったのか? これは珍しい偶然もあったものだな」
「あはは、改めまして、スターズのスバル・ナカジマです。これからもよろしく!」

 笑顔で手を差し伸べると、手塚さんもしっかりと握り返してくれた。
 ゴツゴツとした手塚さんの手は大きくて、私の手をすっぽりと包み込んでしまいそうなほどだ。
 力強い握手。頼りになりそうな仲間がまた一人増えたのだと、握り締めた暖かさが教えてくれている。


・SIDE 俯瞰


 ガヤガヤと騒がしい食堂の一角。華やかに彩られた場所がある。
 機動六課、スターズとライトニングの分隊が集い、談笑の中、夕食の最中だ。

「へぇ、なのはバスターを受け流しちまうだなんて、そいつはとんでもねぇなぁ」

 乱暴な言葉遣いで、目の前に座るなのはに視線を向けるヴィータ。
 話題は、本日やってきたライトニング隊の新人のことだ。
 
「おまけに腰まで抜かしてしまうとは、件の英雄高町なのはとしての威厳がないな、まったく」

 失笑ぎみにシグナムが乗ってくる。
 普段からなのはやフェイトにこういった言葉を向けることが多い彼女だが、今日の話題は近年まれに見る大事件だ。今なのはをいじらないでいついじる、といった具合のようで、受け答えも中々に手厳しい。

「もう! そんなことばっかり言ってるほうが威厳をなくすでしょ! しかも隊員がいる前で言うかなぁ?」

 憤慨だと言わんばかりに、なのはが声を張り上げる。
 医務室に運ばれた後、数十分もすると彼女の体は回復して、いつもどおりの健康体となったのだが、噂のほうも同じくらいの早さで出回ってしまったらしく、彼女が気づいた頃には取り返しの付かない事態となっていた。

「それにしても、手塚くんどこに行っちゃったんだろう……。もしかして、ずっと迷ってるのかな?」
 
 フェイトが心配そうな顔でうつむく。
 手塚の担当は彼女であり、それを怠ったのだと言われてしまえば、返す言葉もない状況だ。この場の誰もがそんな言葉を言わないとしても、自責の念というものがある。
 そんな時、ひときわ元気な声が、食堂の入り口から聞こえてきた。

「フェイト隊長! 心配しなくても大丈夫ですよ!」

 声の正体はスバルだった。その後ろには、初めて来たであろう食堂を、興味深げに眺める手塚の姿もある。
 噂の渦中の人物が来訪したとあって、周囲が少しざわついた。

「あ、手塚くん!」
「ご迷惑をおかけしました」

 手塚の低い声が、その場にいた六課のメンバー全員の耳に残る。
 エリオやキャロ、それにティアナといったメンバーには久方ぶり、ヴィータとシグナムにとっては、初めてのものだ。

「(おいおい、マジで中学生には見えねぇぞ? ていうか、何かすっげえいい声だな……)」

 身長の低いヴィータにとって、これでもかと身長の高い人間は話しかけづらく、見下されている感じがしてしまうので、あまり好みではないのだが、手塚の場合は何故かそういった先入観を覚えなかった。
 声によるものか、物腰によるものかは分からないが、少なくとも、嫌いなタイプではないと、ヴィータは判断する。

「はじめまして、ライトニング隊の副隊長、シグナムだ。以後、よろしく」
「ええ、こちらこそよろしくお願いします」

 シグナムと手塚の挨拶は、アットホームと言われる六課の雰囲気とはかなり外れ、上下関係を感じさせるものだった。
 どうにも噛みあわないのか、シグナムもしきりに首を振る。
 
「……ふむ、何かおかしいな」
「あ、シグナムもそう思う? やっぱり、手塚くんに敬語使われるのって、むずがゆいよね」

 何故か抱える違和感。どうやら、自分よりも年齢が上に見える手塚に、敬語を使われているのが原因らしい。
 シグナムも長身だが、手塚はそれを上回る。よもやこれを見て、手塚が年下だとは誰もが思わないだろう。
 そんな中、やかましげな声が流れを断ち切って現れた。

「ふぃ〜やっと仕事が区切りついたわ〜。って、あれ、手塚くんもおるやん」
「はやてちゃん! 速いですよ〜仕事押し付けておいて、勝手すぎます!」

 はやてとリインフォースU(ツヴァイ)だ。
 仕事を終え、疲れきった体を伸ばしながら登場した二人だったが、来た途端、場に流れる微妙な雰囲気を感じ取ったようで、怪訝そうな顔に変わる。

「なんかあったん?」
「あのね、手塚くんが敬語使うのはな〜んかおかしいなって思ってたところなの。だって、どう見ても年上だしね」
「ああ、分かる分かる。あの顔で敬語とか、こっちのほうが萎縮してまうしな」

 からからと声を上げて笑うはやてに、少し困ったような顔で、ため息をつきながら手塚が肩を落とす。どうやら気にしていることだったようだ。
 
「も、もうはやてったら。確かに手塚くんはその、同年代の人と比べて歳いってるように見えるかもしれないけど、それでもれっきとした部下なんだし、敬語は必要でしょ」

 フェイトのフォローと言い難い発言を受け、さらに気を静める手塚。追い討ちをかける形となったようだ。
 
「せやかて、うちらの生活を円滑に進めるために必要なことやしな。うん、ほなら話つけにいこか」
「え? 行くってどこへ?」
「んなもん、その辺にいる年齢が上で、なおかつ偉そうな人の所にきまっとるやないか」
「ちょ! はやて! よく分からないけど何考えてるの!?」

 フェイトの制止を振り切り、はやては手塚の手を引いて、食堂を駆け抜ける。
 あっけに取られる一同の中、なのはやシグナムが目ざとく追いかけて行き、混乱を助長させた。
 一瞬の静寂、驚きと戸惑いの中、はっとフェイトが意識を取り戻す。
 
「も、もう! どうしてみんなそうお祭りごとが大好きなの!?」

 フェイトの悲痛な叫びも届かず、一行は上昇するテンションに従うまま、ただ管理局を駆け巡った。
 途中すれ違った人間は、その異様な盛り上がりに飲まれ、ついつい後ろに加わってしまい、妙なシンパシーで盛り上がる。
 そして、既にはやての後ろには十数人の無関係者が揃った辺りで、ようやくお目当ての人間にめぐり合った。

「あ、レジアス中将!」
「む? ……いやいやっ! なんだこの行列は!?」

 レジアス中将。厳格な表情と言葉で、周囲から恐れられている男だ。
 しかし、はやてにとってはそんなことはお構いなしなようで、悪戯っぽい笑顔を浮かべたまま、レジアスに近寄っていく。
 普段は冷静なレジアスも、この時ばかりは声を荒げ、表情を崩した。
 
「実は用があるねん。今日、うちのとこに新人が来たんやけどな」
「ああ、それがどうした」

 姿勢を正しながら、レジアスがぼそりと呟く。
 あからさまに相手にしたくはないと言いたげなのだが、はやてはそんなことを気にしない。

「ほれ、見てみい。この顔!」

 ずいっと、はやてが手塚のことを押し出す。
 こんな時にも手塚は表情を崩さないところから、周囲の人間はまたも彼の年齢に疑問を持つ。

「……ん、君が、新人……?」
「聖祥学園中等部三年、テニス部部長、手塚国光です」
「ちゅ、中学生だとっ!? 冗談ではなくてかっ!!」

 またも声を荒げるレジアス。
 今度ばかりは取り繕う暇もないようで、手塚の顔をしっかと見つめたまま、動かないでいる。

「学生証があります」
「む……むむ、本物のようだ。いや、しかし……」

 レジアスは学生証の写真と、年齢。そして現在の手塚の顔を見て困惑する。
 よもや彼の見た目は、よくて自分の少し下、悪ければ同年代と見られてもおかしくはないもので、レジアスはそのギャップを埋められず、頭を抱えた。
 
「この顔で敬語使われるなんて、おかしいやろ」

 追い討ちをかけるようなはやての言葉に、レジアスは恨みがましい目で睨みつける以外の対策が思いつかなかった。
 厄介ごとを持ち込んできたなと、ため息をつき、肩を落とす。

「しかしだな、軍規というものもある。そう易々と変えるわけには……」

 そう言いながら、手塚の顔を見るレジアス。
 引き締まった表情からは、一片の迷いも見られない。
 まったくもってこの男、歳相応とは言いがたい。それがレジアスの下した決断だった。

「うむ、変えよう」
「話が分かる人で助かったわ」
「下手をすれば、自身と同年齢に見える男が敬語を使っているのは、なんというか、むずがゆいというか」

 結論として、手塚は『時空管理局遺失物管理部名誉部長』という階級が与えられることになった。
 待遇としては他の新人と変わらないが、一応は敬語を使わないでもいいくらいの上位職である。もちろん今さっきレジアスが作ったものだ。

「俺はこれから何と名乗ればいいんだ」
「さっきのでええんちゃう? 部長は部長で変わりないんやし」
「とりあえず、これでいいか?」
「あ、ええよ。レジアス中将」
「ふう……」

 ほんの五分程度の出来事だというのに、レジアスの疲労は急激に溜まっていた。
 ため息をつき、とぼとぼと歩くその背中を見て、はやての後ろに待機していた面々は心の中で『お疲れ様』と呟いていた。





「と、言うわけで、手塚くんはうちらの上司になりました〜」
「ってええええ!?」

 フェイトの驚愕と共に、なのは達の歓声が上がる。
 その日の機動六課は、はやてがもたらしたどうしようもないテンションと、手塚の超絶昇進祝いで、お祭りムードとなった。
 指揮をとるのはもちろんはやて、続くはなのは、そしてしんがりはちゃっかりフェイトと、隊長が先陣を切るこのお祭りは、そのまま深夜まで続いたと言う……。
 
 

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