第二の無我の扉「キボウの詩」

 壮絶な騒ぎは誰もまとめることが出来ぬまま、深夜へと突入し、いつの間にやら解散していた。
 怒られるような空気を察した人間が抜け、それを察した人間が慌てたようにいなくなるという連携で、話を聞いた局員たちが来る頃には、誰一人としてその場にいない状況が作られていたわけだ。
 ともあれ、手塚来訪後の六課は色めき立っていることは言うまでもなく知られており、後に小言を受けることたことは言うまでもない。
 そんなお祭りムードの六課にも仕事はある。
 手塚が来たからといって、放棄するわけにも行かないそれらは、否応なく隊員の疲労を溜めていった。


・SIDE なのは


 前日の騒ぎと打って変わって地味な仕事に、私は声を上げて泣いた。
 そもそも、こういったルーチンワークは私に向いていないことくらい分かりそうなものなのに、どうにも上の人は分かってくれない。

「あ〜どっかの馬鹿が戦闘しかけてこないかなぁ。それも大規模破壊兵器とかでドーンと、ドーンと!」
「な、なのはさん不謹慎ですよ」

 横にいるスバルに諭される。癪に障るけど、そんなことで怒っていたら、この先私の血管が持たない。
 スバルだって、事務よりは実務のほうが好きなはずなのに、よくもまあ耐えられるものだ。

「ちょっと私は外の見回りに行ってこようと思うの」
「ダメですって」
「ちっ、優等生め。でもさーせっかく手塚くんとか来て楽しくなりそうなのに、な〜んでこんな地味な作業!? もっとやんなきゃいけないことあるでしょ!!」

 周りに聞こえますよ、と言われたが、そんな声は無視だ。元より聞かせてやるつもりなんだから。
 見渡せば、ここは無機質な部屋に、これまた無機質な機材を持ち込んだだけの部屋。アクティブに動き続けなきゃ死んでしまう私にとって、ここは地獄のような場所だ。

「そのやらなきゃいけないことは、大体フェイト隊長が教えると思いますよ」
「ふん、カッコいい子が入ったからって、調子に乗っちゃって」
「も、もう、なのはさんってば」

 言いながら、昨日のことを思い出して、ちょっと恥ずかしくなる。
 カッコいい子だなんて形容してるけど、本当はもっと色々言いたい。もっと、身長が高くって、目を見るためには首を思いっきり上に上げなくちゃいけないんだけれど、それが苦にならないように、少しだけ腰を落としてくれる優しさだとか、流れるような髪がほんの少し、いい匂いがするところだとか、それこそ隅から隅まで語りつくしたいくらいだ。
 だけど、そんな感情を今ここでさらけ出したら、間違いなく迷惑がかかる。
 私のため、彼のため、ここは興味がないフリをするのが一番だ。

「ちょっと、なのはちゃんにスバル!」

 駆け足で部屋に滑り込んできたのは、汗を額に浮かべ、取り乱した様子のはやてだった。
 その様子から、何かあったのだろうということはすぐに分かる。
 
「どうかした? そんなに慌てて」
「これが慌てずにいられるかいな! 見てみ、この分布図!」
「はぁ、何だか知らないけど……」

 差し出された図面を見ると、赤い点がポツポツと浮かんでいる。
 どうやら広い荒野のような場所のようだ。管理局からは離れている。

「もしかして、これ敵影?」
「もしかしなくてもそうや! うちから離れた場所におるけど、少しずつこっちに進行してる。しかも、破壊工作を繰り返しながらや」
「は、破壊工作ですか!?」

 はやての話によると、どうやらこの敵影は突然現れ、周囲の景観を破壊しつつ、こちらへ向かってきているらしい。
 敵にも勇者がいたものだ。と、いうより、ここに来て敵らしい敵などが現れたのは初めてで、もっぱら意思の無いような機械や怪物を相手にするようなことが多かった私にとって、こうして意思を持って攻め立ててくるものは、楽しみでもあり、同時に首を傾げたくなるようなことでもあった。
 
「私たちのことが怖くないのかなぁ。結構有名だよね、六課の遺失物管理部は化け物だって」
「そないな噂振りまいて、逆に寄ってきたんちゃう? 物好きもいるんやろうしな、腕試ししたいとか」
「いやいや、私たち本来は戦いだけの仕事じゃないですから」
「て言っても、ほっとんど戦ってるんだけどね、私たち。どっかのロストロギアが見つかれば西へ東へ、時の干渉もいざ知らず、どこまでだって行って、どんなことしてでも回収だから」

 当然、反発する何かがあれば壊すし、人だったら説得、後に駆逐だ。
 それが仕事なのだから、私は何も言わないけれど、とにかく戦いが多いことだけ確かだ。

「とにかくや、売られた喧嘩は買うっちゅうことや」
「ちょうど仕事も暇だったしね。訓練がてら、みんなを連れて行ってやっちゃいますか」
「暇じゃなかったんですけど……」

 私たちは急ぎ足で作戦本部へと向かう。
 途中、フェイトちゃんやティアナたちとも合流し、本部へとたどり着く頃にはすっかり大人数となっていた。
 照明を落とし、暗い部屋の中、先ほど見た分布図の拡大版が画面に映し出されている。
 広い荒野の所々に、クレーターのようなへこみができていて、木々や草花などが弾き飛ばされている様子が見て取れ、少し心苦しい。

「中々頑張ってるね、犯罪者さんたちも」
「せやな、ただの荒くれにしては、装備も充実しとる見たいや」

 爆発物は簡単に作り出せる一方、破壊力と規模を求めるのであれば、相応の実力と知識が必要だ。
 私たちのように魔法による破壊が出来るのであれば話は別だが、そうでないのであれば、これはそれなりに力のある部隊の仕業ということになる。

「さて、出撃なんやけど……今回はいくらなんでも急すぎるからな。手塚くんにはちょっと抜けてもらったほうがええやろ」

 部屋の中には、ちゃんと手塚くんの姿もあった。まあ、なければいけないのだけれど、こんな緊急事態でも取り乱した様子がない辺り、本当に中学三年かと疑いたくはなる。
 まだ一度も訓練をしたことのない手塚くんだ、実戦に連れて行くには、まだまだ経験不足だろう。
 手塚くんもそれは理解しているようで、小さく分かったと頷き、その場は退いた。
 
「シグナムとヴィータはどうしたの?」
「あんた、ほんまに隊長かいな。朝方に出張していったやろ。外の世界まで、ロストロギア関連の調査や」
「なのは……その、仕事はちゃんとしようね」

 色ボケのフェイトちゃんにまで言われてしまった。
 思い出した。そういえば二人は今日出張だったっけ。
 任務の内容から考えるに、私たちだけでも十分にこなせるはずだ。よし、問題は無い。

「なら、スターズとライトニングは戦闘準備開始! 敵を撃破するよ!!」

 号令と、それに呼応する声を受け、私たちは戦場へと赴く。
 戦地までの距離はそう遠くない。ヘリを用いて、約一時間といったところだ。
 足早に駆ける私の心には、一人置いてきてしまう手塚くんのことが、しこりとしてのこっている。

「(はやてちゃんもいるし、大丈夫だよね)」

 自分に言い聞かせて、そんな感情はおくびにも出さないように、強く戒める。
 ヘリの前では、軽そうな男が一人、露骨なガッツポーズをして待機している。誰だ、知らない人間だ。
 まあいいか、私は男を無視し、そのままヘリに乗り込む。

「みんな! 油断せず……いや、気合入れていくよ!」





 戦場は映像で見たとおり、ボコボコとクレーターが作られ、何もかもが薙ぎ倒された状態だった。
 空はこんなにも青いというのに、どうして地上は荒れ果てているのだろうか。
 かぶりを振って、目の前の出来事に集中する。

「敵さんはいないみたいだね。フェイトちゃん、敵の数は分かる?」
「人を何だと思ってるのよ。数は五、六体みたいだね。分散して破壊工作を行っているのかもしれない」

 フェイトちゃんの言葉を受け、少し思考を整理する。
 やめだ。私は作戦だとか戦略だとか、そんなものに縛られて戦う柄じゃない。

「各自、分散して敵を探して。各個撃破で、倒したら他の隊員の援護に行く、了解?」
「りょ、了解です。相変わらずなのはさん、強引ですね」

 スバルの苦笑いを、軽く平手で正し、他の隊員の表情を伺う。

「団体で動いていても、敵のほうが散っているんですからどうしようもない……。僕たちは、こうやって動くしかないように思われます」
「む、エリオ、それじゃあ私たちが敵の手のひらで踊らされてるみたいじゃない」
「エリオの意見にも一理あると思います。破壊が目的なのか、それとも私たちを誘い出すことが目的なのかを考えたら……」
「ああ、もううるさい! 上官命令、作戦を施行しなさい!!」

 ぶつくさと文句を言う隊員たちに激を飛ばす。
 しぶしぶといった感じで動いていたので、さらに喝を入れ、四方に散らせた。
 まったく、口ばかりがよく動く。罠だろうと、そこに自ら飛び込んで全てを打ち抜く覚悟が必要だというのに。

「それじゃ、私も行ってくるね」
「フェイトちゃん、一応言うけど、気をつけてね」
「ああ、それは私よりなのはに似合いの台詞だよ。無茶な砲撃、己が身に返る、だよ」
「ふん、忠告なんていらないよ。ほら、仕事仕事!」

 私の口撃にも慣れているフェイトちゃんは、笑いながらその場を飛び去っていった。
 その光の軌跡を見ながら、自分自身の動き方を考える。
 必要なのは、誰よりも早く敵を見つけ、倒し、そして仲間をフォローすることだ。
 敵の規模は知らないが、私で倒せないのなら、この世の誰もが倒せないだろう。
 ならば、話は早い。その最強の力を持って、全てを終わらせればいいだけだ。

「よし! 高町なのは、陣なし、策なし、根拠なしだけど、全力全開、頑張ります!」

 そしてようやく自分に喝をいれ、全速で飛び立つ。
 向かう先は……決めてはいないけれど、誰もが向かっていないところに行くしかないのだから、そもそも決める必要が無い。
 高速飛翔で進んでいくと、土砂や木々の破片が、徐々に少なくなってきているのが分かる。どうやら、破壊行動をしているものと、そうではなく、直接管理局を目指すものがいるようだ。
 私の標的は、恐らく後者。もっとも早く倒さなければならない種類の敵だ。

「ん……ガジェットがいる?」

 ポツ、ポツ、と見えてきた小型のガジェット。
 数は少なく、五、六機といったところで、とても戦力とはいえないレベルだ。
 管理局が拾ったのがこのガジェットだというのならお笑いだ。一振りで壊れるようなガラクタを相手に、わざわざ最強の魔法使いを使うだなんて。

「とりあえず、目障り」

 レイジングハートと意識が同調し、空中に魔力の塊が浮かび上がる。
 一撃の威力を拡散させ、より多くの敵を狙うことに特化させたアクセルシューター。指先の軽いタッチで、それらは弾け、敵に向かう。
 数秒と置かずに次弾を転送し、矢継ぎ早に攻め立てる。命中したガジェットは、まるで紙くずのように折れ曲がり、大地へと沈んでいく。

「ふう、この程度で仕事終わりだなんて、楽なもんだね」

 破壊されたガジェットの煙が立ち込める中、私は降り立つ。
 どうにもこれらは、本当にただのガジェットで、何も仕掛けはしていないようだ。
 疑問に思うことはあるけれど、とにかくここの敵は排除した。隊員のフォローに回ろう。

「あれ、もしかして援軍かな?」

 見上げた空には、再びいくつかの点が浮かんでいた。破壊した数とほぼ同数、きっちりと揃っていた。
 どこに控えていたのかは知らないけど、大した問題ではない。レイジングハートを構え、長距離射撃に備えて体重を落とす。
 そして、いざ射撃といった所───急に目標の数が増加した。

「今、どこから現れた? 目視では確認できないくらいに速かった……?」

 そんなわけはない。アレは、移動してきたのではなく、最初からそこにあったように、瞬間的に現れた。
 だが、構うことは無い。アクセルシューターの弾道上で、身動き一つ取れぬまま、ガジェットはことごとく沈んでいく。
 
「……ふう、またなの? いい加減にしてほしいなぁ」

 全てのガジェットが地に落ちた瞬間、新たなガジェットたちが上空へと浮かび上がっているのを確認した。
 紛うことなく、瞬間に現れた。やはりあのガジェットたちは、最初から上空で待機しているわけだ。

「幻影? にしてはこうやって残骸が残ってるし」

 触れてみると、確かに硬い鉄の感覚が伝わる。
 ならば、あの上空にいるものはなんなのだろうか。同じ場所に、同じ数だけきっかりと現れるガジェット。唯一つ分かることは、これが罠だということだけだ。
 いっそ、このガジェットたちを無視して、隊員のフォローへ行くべきだろうか? そんなことを考えた矢先、上空からの熱線が降り注ぎ、思考を中断される。
 
「一応、本物なのかな。でもこんな数が上空に、しかも隠れているだなんて考えにくいし」

 空からの攻撃を避けながら、返す刀で反撃を試みる。
 私の攻撃は外れない、だけど、いくら当てても敵は減らない。まったくもって、悪循環だ。

「もしかして、みんなもこんなことになってるのかな……」

 頭をよぎる隊員たちは、皆絶望に打ちひしがれていた。
 質の悪い想像を打ち消し、目の前の敵に集中するが、完全に忘れ去ることなんてできはしない。
 じりじりと、時間だけが虚しく過ぎていった。


・SIDE スバル

 
 隊長たちと別れてすぐのことだった。
 突然、私の前に見えない壁のようなものが出来ていて、全速で走行していた私を跳ね飛ばし、しかもそれがいつの間にか、四方を完全に囲っていたのだ。
 殴っても、撃っても、その壁は壊れることなく、その存在を象徴し続け、ついには私のほうが根尽きてしまう始末で、ほとほと手を焼いている。

「結界かなぁ、コレ」

 衝撃を与えても、ヒビ一つ入らない。それ以前に、壁がそこにあるという認識すら、触って見なければ分からない。
 いつの間にかここに誘われ、餌に釣られた虫の如く、箱に収納されてしまったということだろうか。不甲斐なさで頭が痛くなる。

「現存する武器、能力での破壊は不可能。よって、これを回避するしかない」

 自分に言い聞かせながら、頭を整理していく。
 四方を壁が覆うなら、上を目指せばいい。マッハキャリバーなら、空を走れる。

「ウイングロード!」

 青い線路が空を駆け、私の体ごと誘っていく。
 もう少し、あと少しで抜けられる。そう思った時、強い衝撃で吹き飛ばされる。
 慌てて体勢を整え、落下のダメージを抑えるが、完全には消し去れない。

「くぅ!!」

 叩きつけられた背中が痛い。鍛えていなければ、立ち上がることすら出来ないだろう。
 結論から言って、上にも壁はあった。馬鹿な話だ。四方だけを囲む結界なんてありはしない。

「あ、ははは……馬鹿だなぁ、私。てことは、打つ手なしかあ」

 乾いた笑いしか出てこない。任務中に閉じ込められて、戦うことも出来ぬまま倒れているだなんて。
 不思議なことに、この結界はただそこにあるだけで、別段私を攻撃することはないようだ。
 常識で考えれば、閉じ込めるのであれば、中に何かを仕掛け、優位に立つようにするはず。それがないということは、これは生け捕りか、はたまたただの足止めということになる。

「念話も遮断されてるみたいだし、本格的に足を止めさせるためだけなのかな」

 そうなると、途端に心配になってくる。
 ティアにキャロ、それにエリオ。三人は単独行動をしていて、今が一番危険な時だ。
 だというのに、自分はこんな場所で一歩も動けないでいるなんて……。
 怒り、そして焦りが心を埋め尽くしていく。
 どうか、無事でいてと願うことくらいしか、今の私にはできなかった。


・SIDE 俯瞰


 スバルの願いも虚しく、隊員たちは苦戦を強いられていた。
 待ち伏せ、強襲、そして圧倒的な力の差。
 突きつけられるのは、避けようの無い現実で、抗うことは、自らの弱さをさらに証明することへと繋がっていく。
 特にキャロには、その絶望の色が特に濃かったようだ。

「ふん、強い強いって聞いてたから、どんなもんかと思ってみりゃ、この程度かよ」

 赤毛のショートカットを揺らし、少女が吐き捨てる。
 体を特異なジャケットで覆い、右腕には頑丈そうなナックルをつけ、つまらなさそうな顔で、眼下のキャロを睨みつける。
 既に幾度も攻撃を受けてしまったキャロは、ただ体を横にしていることしか出来ないほど、ダメージを負っていた。
 
「お前、どうせサポート専門なんだろ。チクショウ、こんなつまらねえ相手じゃ、胸糞悪いぜ」

 勝負は一瞬で決まっていた。
 元より身体能力の高くないキャロに対し、接近戦で挑むこの少女。相性が悪すぎた。
 一撃を防ぐことも、避けることもできないキャロに、一方的な攻撃を加え、そして倒した。
 赤茶けた地面にうずくまるキャロを見て、少女は怒りを隠せないようだ。しきりに罵詈雑言を叫び、辺りにわめき散らしている。

「く……」
「意識はあるみたいだな。ま、今更何もできやしねえだろうが」
「あなたは、一体……?」
「アタシのことを知るには、てめえは弱すぎだ。分不相応を知れってやつだよ」

 そう言うと少女は、キャロに向かって鋭い蹴りを放つ。
 押しつぶしたような声と共に、キャロの体が宙に浮き、そして落ちる。

「あ〜〜つまんねえ! さっさとみんな帰って来いっての!! 暇なんだよ、こっちは!!」

 少女のイラつきと相反するように、キャロの頭は冷え切っていた。
 しかし、頭は動けど体は動かずで、成す術が無いことにはかわりない。

「(誰か……誰でもいいから、来て、助けて!)」

 悲痛な叫びは声にならず、それゆえ誰にも気取られること無く響いた。
 念話が遮断されているということは、キャロも理解している。しかし、それ以上の何かを、キャロは求めたのだ。
 誰か、この意思を汲み取れる人がいれば。誰か、私たちを助けだせる人がいれば。
 意識が途絶えるその瞬間まで、キャロは必死に祈りを続けた。必ず届くことを信じて。





 なのはたちが出撃した後の作戦本部では、張り付いた空気が漂い、誰一人として気を緩めるものはいなかった。
 出力されている画面には、今も変わらずに破壊活動を続けているであろう敵影が映されている。
 幸いにして人の住んでいない荒野が対象であった為、人的被害は出ていないものの、このまま破壊を許せば、間違いなく人里までその火は届くだろう。

「なのはちゃんたちの様子は?」

 はやての鋭い声が、周囲の局員たちに響く。
 普段の様子からは想像がつかないほど、司令塔としてのはやては冷静になる。状況を迷いのない視線で見通し、迅速に指示を飛ばす。その場を動かずにして、はやては戦いを感じることが出来た。

「それが、敵の干渉らしき電波で連絡が取れないんです。ずっとノイズで……」
「ほなら、直接映像を回すこともできへんのか?」
「はい、現在はレーダーによる分布図で精一杯です」

 返答を聞き、はやては重々しく息を吐く。
 どうやら敵の技術力は相当なもののようで、こちらの監視の目を熟知しているように、妨害をしてきている。
 なのはたちならば大丈夫だろうと考える一方、目の前に突きつけられる状況に、はやては対応しかねていた。
 見えない視界を晴らすため、誰かを送るべきだろうか? いや、それは早計だし、二次被害となりかねない。

「とにかく、現状はまだ待機やね」

 声に出して言ってみても、はやる気持ちは抑えられない。
 動けるものならば動きたい、自分自身が。しかし、それはできない。自分の仕事は、座して正確な指示を飛ばし、戦場での動きを有利にするためにあるのだから。
 そんな中、一人だけ動きを見せる人間がいた。

「……一時間だ」
「は? 手塚くんどないしたん……って! な、なんやその光っ!!」

 はやてが振り返ると、夜空の星々が輝くように、手塚の体が光を放っていた。
 その輝きはあまりにも不自然で、さらにはまるで湯気のようなオーラすらも纏っているとあり、周囲も何事かとざわめき始める。

「出撃していったなのはたちが全滅するまでの時間だ」

 しれっと答えた手塚に、さらにその喧騒は高まる。
 本来なら、それをたしなめなければならない立場のはやても、その言葉の前に我を忘れていた。

「な、なんやて? そないなこと分かるはずないやろ、それに、なのはちゃんたちを嘗めたらあかん。任務達成率は九十%を下回ったことがないやで」
「今までがそうだったからといって、今もそうとは限らない。過信は己を見誤るぞ」

 そう言い放つと、手塚はきびすを返し、作戦本部を後にしようとする。
 
「ま、待ちいな手塚くん! もしかして、レアスキル持ちなんか?」
「そういった言い方をするのかどうかは分からないが、物事の先を読む能力はある」
「予知できる……というよりも、計算して割り出したってところなん? ちょ、待ちいな、一人で行くのは無茶やで!!」
「問題ない」

 振り返ることなく、手塚はそのまま歩き去っていってしまった。
 よろしいのですか、との声に、はやては軽く頷くだけで返す。
 突然にやってきた新人、ディバインバスターをものともしない力を持ち、さらにはレアスキルまでも所有しているという。
 指揮官としては恥ずかしいことだが、今は手塚一人の力を生かしてやることは出来そうにない。ならば、彼の赴くままにさせてやるのが一番だ。はやてはそう考えたのだ。

「(危機ちゅうんがホンマなら、手塚くんの言うとおりに持たないちゅうんなら、今ここで止めることは出来へん。せやかて、うちは彼の能力を見たことがないし、絶対的な信頼はない)」

 駒が少なすぎる。はやてはつくづく思う。
 もし、指揮官の変わりになる人間がいれば、はやてはここを飛び出し、現状を確認しにいける。だのにそれは過ぎた願いのようで、座して待つことのみを強要されてしまう。
 そして今、隊員として動ける人間がいて、尚且つ力もある。迷うことはない、はやては腕を上げ、指示を飛ばす。

「みんな! 全力を挙げて、手塚くんを現地まで送り届けるんや!!」
「す、既に出撃してしまったとの報告がありますが」
「いやいや、歩いていける距離やないで。どないして行ったちゅうんや」
「ええっと、光って飛んで行ったそうです。『動くこと雷霆の如し!』って言いながら」
「……き、期待の新人やね。さすが」


・SIDE ノーヴェ


 敵をのしてしまったので、もはやこの場ですることは何もない。
 しばらくは、辺りの樹に殴りかかってみたり、石を蹴って遊んでみたりしたものの、やっぱりつまらない。

「ていうか、こんなだだっ広いところで一人ってのがいけねえんだよなぁ」

 目の前に転がっているボロ屑は身動き一つしないし、したところでどうせ結果は分かりきっている。
 どうせなら、もう少しやりがいのある敵と戦いたいものだ。アタシとしても、凌ぎを削りっていう戦いは経験してみたい。

「ンなこと言っても、今から別の場所に行くわけにもいかねえしなぁ……。ああ、空から降ってきたりしてくれねーかな」

 ドゴォォォォォン!! 耳を劈くような爆音が、アタシの真後ろで起こった。
 驚いたなんてもんじゃない。雷が轟いたような音だ、全身を縮み上がらせ、息をするのも忘れるほどに、頭がパニックになる。
 心臓の鼓動がかつてないほどに高まり、うるさい位に音を奏でているところ、問題の背後から、なにやら衣擦れのような音が聞こえてきた。

「だ、誰だ!? っていうか、その前に人間か!?」

 もうもうと立ち上がる煙に向かい、アタシは叫ぶ。
 少しずつ晴れてくる煙の中、誰かの影だけが色濃く映る。
 
「(デカい……トーレとかより、もう少し高いか)」

 風が吹き、一気に視界が開ける。
 そこには、長身の男が一人いた。眼鏡をかけ、青を基調にしたジャージを着ている。
 爆心地となった足元は、見事にクレーターのようになってしまったいるが、男は気にした様子もなく、服についたほこりをパンパンと払っている。

「お前は……誰だ!」

 ひとまず、人間ではあるようだが、安心は出来ない。
 いきなりどこからともなくやってきて、あんな爆音を立てるような男だ。並大抵の奴じゃない。

「聖祥学園中等部三年、テニス部並びに時空管理局遺失物管理部名誉部長、手塚国光だ」
「長っ! 声っ! 中学生!?」

 訳の分からない三段活用で驚いてしまった。
 略さずに言うと、役職名長すぎ、声が凄すぎ、そしてどう見ても中学生には見えないということになる。

「えっと、マジで?」
「本当だ。まあ、よく言われるので慣れてはいる……」

 どう見ても落ち込んでいるような顔で言う目の前の男に、アタシは少しだけ同情した。
 何と言うか、口ぶり一つでこの男の人生を少し垣間見てしまった気がしたからだ。辛かったんだろう。

「ってぇ、そんなことはいいんだよ! お前、管理局ってことは、こいつらの援軍ってわけか。たった一人でご苦労なことだな」
「新人なものでな、そうするしかなかった」
「……なんていうか、苦労してる?」
「部長だからな」

 少しカッコいいと思ってしまったアタシは馬鹿だ。
 容姿と相まって、いちいち仕草が決まっている。ただ眼鏡を直すだけで、何故こうもドキっとさせられるのだろう。

「ふん、お仲間さんはあそこだよ。残念ながら、アタシを倒さなきゃ辿りつけないってわけだ」
「なるほど、では、努力してみるとしよう」

 そう言いながら、手塚は背負っていたバッグから何かを取り出す。
 何かと思ったら、テニスラケットだ。使い込んではいないのか、まだ傷の一つもついていない。

「おいおい、アタシは接触型だぞ? んなもんでヤる気かよ」
「支給された武器がこれである以上、俺は全力で使いこなすつもりだ。それに、扱いは慣れている」

 ラケットの網の部分、確かガットと言ったか、そこから光る球形のものが出てきた。
 大きさはまさにテニスボールのようで、どうやらエネルギーを変換して作り出しているらしい。

「では、行くぞ!」

 手塚の掛け声で、そのボールは天高く舞い上がる。
 跳ね上がったボールは、太陽の輝きを受け、より一層光を放つ。
 やがて、重力に引かれ落ちてくるその時、手塚の振り上げたラケットがボールを的確に捉えた。

「くっ!」

 一瞬の出来事だった。
 ラケットから放たれたボールは、アタシの眼前に迫り、避ける暇さえ与えずにぶち当たる。
 速い、そして重い。視界で捉えた時には既に遅く、アタシの体は無残に宙を待っていた。

「んなろ!」

 気合を入れて、着地する。ダメージは大したことないが、気力を一気に奪われた感じだ。
 当たった箇所を指で触れてみるが、痛みも血も残っていない。ありがたいことに、傷つけずにダメージを与えてくれたらしい。

「もう一球行くぞ」

 顔を上げると、既に次の球をセットした手塚が、ラケットを振りかざしている。
 次は回避する。アタシは持ち前の運動能力を活かし、狙いをつけにくいように右へ左へと動きながら、手塚に接近戦を仕掛ける。

「はぁ!!」

 来る、と思った時には、既にアタシの足にボールがぶつかっていた。
 勢いをそがれ、アタシの動きは格段に鈍くなる。
 そんな隙を見逃すはずはなく、手塚はもう一球、さらに一球と、高速ショットを繰り出し、アタシの体をドンドンと射抜いていく。
 このままではまずい。アタシは飛びのき、距離を取る。

「どうした、本気で来い」

 挑発的な言葉でと共に、またも高速ショットを放つ手塚。
 距離を取った分、なんとか回避することが出来たが、一体何キロ出ているのだろう、背後ではボールによって巻き上げられたのであろう土砂が待っている。
 次のショットも、その次のショットもギリギリかわす。目が段々と慣れてきたようで、命中する瞬間に体をひねり、最小限の体力で回避することもできた。

「へっ! その程度かよ。アタシを倒したいんだったら、倍速い球を打ってきやがれ!!」

 お返しの挑発だ。自らの必殺球をいとも簡単に避けられて、さぞかし驚いているだろう。

「分かった、倍速くだな」

 アタシは自らの目を疑った。
 手塚の体から光の粒子が、いやオーラとでも言ったほうがいいのかもしれない、輝く何かが吹き上がり、全身を包み込んだのだ。
 神秘的と言っていいほどの美しさ。風の流れにも関係なしに、それは手塚の周囲から離れようとしない。
 ややあって、手塚がボールを空高く放り上げる。
 来る、アタシは身構え───。

「ぐああ!!」

 左足に焼ける様な痛みが走った。とても立っていることはできず、地面にへたり込んでしまう。
 何だ、この痛みは。ふと前を見ると、既に手塚のラケットは振り下ろされていた。つまり、今のは手塚のショットによるダメージということだ。
 
「(馬鹿な……。倍なんてもんじゃねえ、もっと、とんでもなく速かったぞ!)」

 座り込んでいる場合じゃない。痛みを訴える足を無視して、両足を地面にしっかりとつけ、立ち上がる。
 今度こそ見極めてやる。どんな攻撃なのか、どのくらい速いのか。

「一球……」

 放り上げられた球が、ゆっくりと落下してくる。ここまでは平常通りだ。

「入魂!」

 そしてラケットを振り下ろす───見えない。速すぎて、スイングがまったく見えなかった。
 攻撃があったと分かるのは、今、アタシの右足が強烈な痛みを訴えたからで、そうでなければ手塚がどんな行動をしたのかなんて、まったく分からなかっただろう。
 ドサッと、音を立てて、アタシは再び地面に腰を下ろしてしまった。見えない攻撃を相手に、どうやって戦えというんだ。

「くっ! くそ! どうにでもしやがれ!!」

 近寄って来たら、どうにかしてでも捕まえて、殴り飛ばしてやる。
 動かない足でも、這いずって飛び掛るつもりだ。しかし、またあの超高速ショットを撃たれたら……どうしようもない。
 だが、手塚は予想とは裏腹にアタシを無視し、倒れこんでいる自分の仲間のところへと向かってしまった。

「な、なんだよ。おい! 今はアタシを倒すチャンスなんだぞ! なんで攻撃してこねえ!?」

 心の中が熱く、怒りが燃え上がる。
 敵に情けをかけられたようで、腹立たしかったのだ。
 しかし、食らい付いたアタシに向かい、手塚は慌てた様子もなく答える。

「俺はそのような命令を受けていない。隊員の安否を確認し、場合によっては連れ帰るのが任務だと思っている」
「ちょ、ちょっと待てよ。さすがにそれはおかしいだろ! アタシはそこの女をボッコボコにしたんだぞ、どう見たって敵で、悪で、放っておいちゃいけないヤツだろうが!」

 何故こんなことを言っているんだろう、黙っていれば生きて帰れると言うのに。
 いや、そんなことで引き下がれるアタシじゃない。生きるか死ぬかの戦いで、中途半端に放置されるなんて、自分で自分が許せなくなる。
 だが、アタシのそんな気持ちなど知ったことではないのか、手塚はそのまま倒れた仲間の下へと歩いていく。

「くそ……こんな、こんなままで済むかよ。お前がやらねえなら、アタシが自分で!」
「いい試合だった」
「……はぁ?」

 アタシに背を向けていた手塚が急に振り返り、くそ真面目な顔で言い放った。
 拍子抜けしてしまうほどに奇妙な言葉、殺し殺されの戦いにおいて、いい試合だと? ふざけているのかと思う一方、コイツの顔を見てると、そんなつもりはないのだとすぐに分かる。

「優れた動体視力だ。左右のフットワークも見事だった。後は体重移動をもう少し上手く出来るようになれば、今以上に素早く立ち回れるだろう」
「て、敵にアドバイスとかしてる場合かよ! お前、一体何者だっ!」
「聖祥学園中等部……」
「それはもういい、長い! アタシが言いたいのは、これからまた戦うかもしれないヤツにアドバイスなんかしてどうするんだってことだよ! 強くなっちまうじゃねえか!」
「敵が強くなるならば、自分はそれをさらに上回るまでだ。それに、戦う相手が強いほうが、励みになる」

 明け透けもなく言ってしまうこの男、本心からそう思っているようだ。
 アタシは呆れて、ついついため息などを吐いてしまう。敵同士だというのに、気の抜けたものだなと、我ながら思う。

「お前はそう思わないのか?」
「ア、アタシ?」

 言われてみれば、確かに敵が強いほうが楽しいと言うのはある。
 互いに技を競い、肉体の限界まで鍛えた力でぶつかり合う、それは楽しいものだろう。

「でも、アタシは最終的に勝たないと嫌なんだよ!」
「ならば勝てばいい、勝てるだけの努力をすれば、結果は自ずとついてくるだろう」
「……フン、自慢かよ」
「そういうつもりではなかったのだがな、気に障ったのならば、謝る」
「敵に謝るなっての。……分かったよ、次はお前に勝てるくらい強くなって、そこに倒れてるヤツみてえにしてやるからな!」
「ああ、油断せずに行こう」

 そういい残し、手塚はアタシの前から立ち去り、仲間を介抱しだした。
 足はまだ動かないし、何故かここから動く気もしなかったので、それを横目で鑑賞する。

「て、手塚さん! 来てくれたんですかっ!」

 アタシが沈めた女が目を覚まし、手塚の腕の中で涙を流している。
 確か、名前はキャロとか言ったはずだ。興味はなかったが、一応覚えてはいる。

「大丈夫か、キャロ」
「は、はい。体はちょっと痛いけど、全然……」

 そんなはずはない。一目でそれが強がりだと分かるほど、キャロは傷ついていた。やったのはアタシなんだから、当たり前のように分かる。
 そら見たことか、キャロは体の痛みに震え、立ち上がろうとしても、すぐにまた倒れそうになっているじゃないか。
 だというのに、そんな弱い人間だというのに、何故あの男はそれをしっかりと支えてしまうんだろう。弱いやつなんて、放っておけばいいのに。

「無理をするな。キャロ、できれば管理局に戻って、事情を説明してきて欲しいのだが」
「わ、私、まだ戦えます!」

 馬鹿言うな、そんな状態で来られたって邪魔なだけだ。勢いだけで勝てるんだったら苦労はしない。
 鼻を鳴らし、アタシはそのおめでたい考えを笑い飛ばす。
 強いヤツなら、自分の状態は見極めてなくちゃいけない。何が出来て、何が出来ないかとか、その辺りも含めてだ。
 
「いや、戦いはすぐに終わる。それより、傷ついた隊員たちに手当てが出来る人間が欲しいんだ」
「それは……そうですね、分かりました。私、行ってきます!」

 そう言うと、キャロは傍にいた竜に声をかけ、その背に乗る。
 どうやら竜は体の大きさを調整出来るらしい。ウルトラセブンのようで、少し憧れた。

「では、行ってきます!」
「ああ、油断せず行って来い」

 短い咆哮と共に、竜が羽ばたく。巻き上がる土煙に目を細めるアタシだったが、数秒もしないうちに、その必要もなくなった。
 中々の速さだ。アタシとの戦いにも使えばよかったのにと思ったが、考えてみたらその隙を与えていなかった。
 そして、残されたアタシたち。しばらく竜の飛び立った方向を見上げていた手塚だったが、何を思ったか、急にアタシの方へと歩み寄ってきた。

「な、何だよ。さっさと他の仲間のところへ行ったらどうだ」
「もちろんだ、だがその前にな」

 手塚は目の前でしゃがみこみ、手を伸ばし、アタシの両足に触れ……。

「お、おい! 何してんだよ!!」
「マッサージだ。足が動かないのだろう?」

 相変わらず、にこりともせずに言ってのけるこの男。
 指先の動きは滑らかで、体のツボを知り尽くしてるかのごとく、的確に気持ちいい場所をついてくる。
 思わず出てしまいそうになる声を堪え、何とか非難の声を上げる。

「い、いいってンなことしなくたってよ! お前、アタシをなんだと思ってんだ? 敵だぞ、敵!」
「戦いの後、お互いの苦労を労うのは何もおかしいことではない。傷ついているならばなおさらだ」
「だから……っ! あっ!」

 反論しようとすると、それを拒むように手塚が手の力を強める。
 つい出てしまった声が恥ずかしく、自分でも分かるほどに体がかぁっと熱くなってしまう。
 振りほどこうと思えば振りほどけるのに、手塚の手がいちいちポイントを抑えてきて、それをさせない。もう少し、あと少し、この感覚を楽しみたいと思ってしまう自分が情けない。

「……言っとくけどな、次は絶対にお前を倒すんだからな。いいか、絶対に忘れるなよ!」
「忘れるなと言われてもな、俺はお前の名前を知らないからな」
「アタシはノーヴェだ」

 言った後で、自分の正体を明かしてしまっていいのかと不安になったが、そんなことはどうでもいい。
 目の前にいるのは、アタシを完膚なきまでに叩きのめす程の強さを持った男だ。姉たちといえど、ここまでの差は生まれないだろう。
 そう、目の前の───目が合った。
 流れるような髪の毛に、鋭く、それでいて安心を与えるような瞳、形のいい唇。
 アタシの視線の先にいるのは、間違いなく美形の男で、アタシはあろうことか、そんなヤツにマッサージなどを受けているという状況だ。

「どうかしたか?」

 かけられた声に全身が震える。
 訳が分からない。なんでこんなにアタシの心臓は高鳴っているんだ。

「何でも、ねえよ」

 どうしてこんなに、言葉が出ないんだ。
 
「足はもう平気か?」

 言われて初めて、自分の足の痺れが取れていることに気づいた。
 試しに動かしてみると、なんてことはない、普段通りだ。
 
「……大丈夫みたいだ」
「そうか、ならば俺は行くぞ」
「え、もう行くのか?」

 何を言っているんだ。そんなこと、当たり前の話じゃないか。アイツは敵で、アタシが倒すべき目標なんだろ。
 にも関わらず、口に出るのは未練の言葉だ。分からない、自分の心が分からない。

「悪いが、他の隊員が気がかりだ。ここに残るわけにはいかない」
「わ、分かってる。別に、いて欲しいとかじゃねえ。そういうわけじゃねえんだよ」
「なら、俺はもう行くぞ」

 ざく、ざく、手塚の足音が段々と遠ざかる。
 どく、どく、アタシの心音も同じリズムを刻んでいる。
 ゆっくりと立ち上がり、服についた埃を叩いて落とす。
 ぱん、ぱん、どく、どく、自然にそれは心音と重なっていく。
 いつしかそれは大きくなり、アタシは自分の心音しか聞こえなくなる。
 遠くなる背中から目を離せない。どんどんと大きくなる心音が、まるで視線を縛り付けているかのようだ。

「どうしちゃったんだよ、これ……」

 一人立ち尽くすアタシに、声をかける人はいない。
 ぼうっと空を見上げていると、さっき触られていた足が、妙に熱っぽくなっていることに気づく。
 触れてみると、やっぱり暖かい。人の手の暖かさが、こんなにも残るものだったなんて知らなかった。

「ちくしょう、なんでムカムカしてんのに、こんなに心地いいんだよ!」

 地面を叩きつけようとした足を、ふと思い留まって止める。

「ふん、別に恩を感じてる訳じゃねえんだからな」


・SIDE エリオ


「ストラーダ!」

 気合と共に、僕は加速を開始する。
 目に見える速さじゃない、敵としてみれば、突然消え、突然攻撃されたように思えるはずだ。
 だけど、この相手は違った。

「ハァ!」

 僕のスピードをものともせずに、左手の裏拳を放つその敵は、凍りつくような冷たい瞳で僕を射抜いていた。
 僕よりも速く、力が強く、そしてなにより冷静なこの相手に、僕はさっきから翻弄され続けている。
 
「くっ!」

 倒れそうになる体を両手で支え、全身をバネのようにして飛びのく。
 追撃は……来ない。相手は腕を組み、僕のことを見据えている。
 青いショートカット、青いボディスーツ、高い身長から見下ろされるのはどうにもプレッシャーだ。
 呼吸を整え、与えられたダメージを確認する。
 
「(足はまだ平気だけど、左腕がかなりキツイかな。右手だけでストラーダを振りぬくしかない……)」

 問題なのは、ダメージよりも突きつけられた事実、敵は僕より速いと言うことだ。
 速さはそのまま、イコール攻撃の鋭さ、そして重さに繋がる。単純に言えば、敵は僕より圧倒的に強いということになる。
 見も蓋もない言い方だけど本当のことだ。僕よりも体格がよく、それでいて速いのなら、それは当然のことだから。

「少年、中々のスピードを持っているようだが、その程度では私のライドインパルスに追いつくことはできないぞ」

 凛とした声でいい放つ敵に、僕は反感よりも羨望の眼差しを向けていた。
 けれどもそれは、決して諦めと言うわけじゃない。敵の強さから、生かせるものを盗み、なんとしてでも勝とうと思う意思の表れだ。
 視線、足運び、立ち振る舞い。どれをとっても無駄がないように思える。

「まだ分かりませんよ。僕は成長期ですから」

 冷や汗が流れる。
 まるで研ぎ澄まされた刃のようで、見ているだけで身がすくむ。
 どう動こうと、確実に自分はあのスピードに翻弄され、背後を取られてしまうだろう。自分が倒れこむ姿が目に浮かぶ。

「残念だが、成長を待っているほど気の長い性格ではないのでな」

 トン、と軽く地面を蹴る音が聞こえた。
 やられた、と僕は直感的に判断してしまう。僕たちのいる超スピードの世界において、音が聞こえた時は、既に相手の間合いの中に連れ込まれていると言うことだから。
 目の前で揺れる青い髪の流れを、どこか客観的に見つめている自分。
 ああ、こんなところでという無念で一杯になる。フェイトさんやキャロたちはどうしたのだろう? 目を瞑り、覚悟を決める。せめて他の人たちは、無事でありますようにと願って。
 キィン! と、甲高い音が響き渡る。……だというのに、覚悟していたはずの痛みはない。一体どうしたというんだろう。

「待たせたな」

 聞き覚えのある声に目を開く。
 そこには───ああ、なんて出来すぎた物語───昨日来たばかりの彼がいた。
 左手のラケットで敵の攻撃を弾き、右手で僕の体を庇うその姿は、まさに物語の主人公のようだ。
 僕よりもずっと高いところにある瞳は、優しげな光を携えていた。

「手塚さん! 来てくれたんですか!!」
「ああ、少し遅れてしまったが、どうやら間に合ったようだな」

 突然の来訪者に、敵の表情が曇る。
 間違いなく決められるはずだった一撃。それを弾かれたショックは大きいだろう。

「……初めて見る顔だな」
「聖祥学園中等部三年、テニス部部長手塚国光だ」
「中学生だと! 馬鹿にしているのか!?」
「本当だ、学生証もある」

 どこかで見たようなやりとりで、二人は物凄く近距離で話し合っている。
 なんというか、先ほどまでと打って変わって、緊迫した空気がなくなってしまったようだ。
 
「……なるほど、本当のようだ」
「昨日付けで機動六課に配属されたから、知らないのも無理はないだろう」
「ふむ、そういうことか」

 どこか納得していないような表情をしていた敵だったが、それ以上は追及してくる様子もなかった。
 
「せっかく遠路はるばる来てもらった所悪いが、早々に退場を願うことになるぞ」
「どういう意味だ」
「どんな人間がやって来ようと、決して私に勝利することは出来ないということだ」

 敵の自信がハッタリではないことは、僕が身に染みて知っている。
 あのスピードは並大抵じゃない。肉体の限界を超えて、初めて辿り付ける領域だ。

「手塚さん! 相手はハッタリじゃありません。本当に速い……」

 言っていて気がついた。
 手塚さんは、一体どうやって敵の攻撃を防いだのだろう。僕は、彼がやってきた瞬間を感じ取れなかった。
 あの時、敵はかなりのスピードで僕に肉薄していたはずだから、それを防ぐとなると……。

「ならば、お前のその力を見せてもらおう」
「後悔するな……ライドインパルス!!」

 ドンッ! お腹の奥にまで響き渡りそうな音で、地面を強烈に叩きつける敵。
 やはり速い。視覚で捉えられるようなものではなく、普通の速度で生活している人間にとっては、まるで敵が透明になったかのように見えるだろう。
 
「手塚さん気を……」

 横にいたはずの手塚さんがいない。
 一体、いつからいなかったのだろう。

「ま、まさか?」

 驚きの予感は、実感へと変わる。
 単独での高速移動ではありえない音が、打ち合う音が聞こえるからだ。
 右へ、左へ、聴覚の認識を疑う勢いで、戦いの場は移っていく。
 ザザッと音が聞こえ、二人の動きが一瞬止まる。その時僕は、呼吸も忘れて戦いに見入っていたことに気づいた。

「す、すごい……」

 感嘆の声しかない。
 手塚さんは、先ほどまで僕が追いつけなかった相手と互角のスピードで戦っている。訓練もなしに、いきなりの本番でだ。
 でも一体、あのラケットでどんな戦闘をしているんだろう。

「やるな、お前。ここまで私に食らいついてきたヤツは初めてだぞ」
「お前こそ、これほどの速さを出せるとはな」

 互いに汗一つかいていない。
 緊張感を持ちながらも、その表情はどこか楽しそうだ。
 
「だが、勘違いするな。ライドインパルスの速さは、こんなものではない」
「分かっている。次は全力で来い」
「見るがいい、これが本当のライドインパルスだ!!」

 風を感じた。
 地面を蹴る音とともに、物凄い風圧が僕に襲い掛かってきたようだ。
 思わず飛ばされそうになってしまう体を、必死で支える。
 手塚さんはその暴風の中で、一人立ち尽くしているようだ。もう目が開けていられないから、その姿を確認することは出来ない。

「確かに速いな。だが、俺はそれよりももっと速い男を知っている」

 光を感じた。目を閉じているはずなのに、強く、そして神々しいまでの光が見えた。
 吹き荒ぶ風も、その光に当てられてか、どこか勢いを緩めたように感じられる。
 ザッ、ザッと、ステップを踏むような音が聞こえてきた。
 その感覚は徐々に一定になり、メトロノームのように正確なリズムを刻んでいく。

「リズムに乗るぞ!!」

 その声の直後、暴風の強さが倍となり、僕は抗いようもなく吹き飛ばされてしまった。
 なんとかストラーダを突き刺し、体勢を整えられたのは、戦地から100メートル近くも離れてのことだ。

「な、何だ……? 一体、何が起こったんだ?」

 戦地では、金色の暴風が吹き荒れている。
 どうやら、あれが僕の見た光の正体だったようだ。
 ここからではよく見えないけれど、二人は確実にあそこで戦っているはずだ。

「く、風が強くなってる」

 腰を落として、これ以上飛ばされないように体を固定する。
 これだけ離れても、まだ暴風の影響は色濃く出るようだ。
 一体、中では何が行われているんだろう……?


・SIDE トーレ


 自らの目を疑うような光景が、今私の前では起こっていた。
 加速、加速、そしてまた加速。
 もうこれ以上の速さは出ないと言う限界まで突き詰めたスピード。それは、誰よりも強いと言う証明だった。
 にもかかわらず───。

「はぁっ!!」

 いつの間に背後へ回った? いつの間に攻撃された? 
 数々の疑問、答えはもう分かりきっていた。
 この男は、私よりも速い。

「おおおっ!!」

 手塚と名乗ったこの男は、私が速くなればなるほど、それに食らいついてきた。曰く、リズムを上げるのだそうだ。
 背後へ回ったはずが、その逆。攻撃を当てたつもりが、その逆。
 今も、何とか奴の打った球を避けるので精一杯だ。体勢を立て直した直後には、手塚の姿は見えなくなっている。

「(でたらめな速さだ。次は一体どこから……)」

 思考は一瞬にして中断させられた。
 いつの間にか目の前に手塚がいて、いつの間にか打球が私の腹部を直撃していたのだ。
 見えなかった手塚の動き。それを上回る速度を出した打球のことは言うまでもない。もはや、勝敗は決していた。

「音速弾(ソニック・ブリット)だ。打球が鋭い分、痛みは一瞬で抜けると思うが……」

 この期に及んで、この男はまだ私の心配をしている。
 戦いの最中もそうだった。打球が狙うのは、腹部や脚などで、傷が残らないようにしていたことは明白だ。
 
「敵に情けなどかけるな……くっ、痛みなどに屈するような心は持ち合わせていない」

 立ち上がり、再び加速を開始する。
 敵がどういう心持であれ、私はそれに甘えるわけには行かない。むしろ、その隙をついていく必要があるのだ。

「行くぞ! ライドインパルス!!」

 最初からフルスロットルだ。大地を蹴り、一直線で手塚の体目掛けて突っ込む。
 突っ込んで……おかしい、軌道が逸れて、このままでは───。

「ぐああああ!!」

 硬い大岩と衝突する羽目になった。
 全速力での突撃だ。全身に受けた衝撃は計り知れない。
 しかし、何故今軌道がそれた。一直線の迷いのないルートだというのに。

「大丈夫か?」
「くっ! もう一度だ、ライドインパルス!!」

 ぶつかった大岩を蹴り、再び───地面に全力で突っ込んでしまった。
 おかしい、一度ならず二度までもだ。一体、これは何だというんだ。

「手塚、お前は一体何をしたッ!!」

 湧き上がる怒りを叩きつけるように言葉にする。
 しかし、それを受け流すように、手塚の表情は揺るがない。

「過ぎた速度は身を滅ぼすということだ。敵の動きも見ずに突撃するのは、あまり感心しない」
「動き? 一体何が……」

 気づいた。手塚が何をしていたのか、そして、何故自分が気づけなかったのかに。
 手塚の周囲には、反時計回りの回転がかけられた風が舞い踊っているのだ。
 ただの風ではない、見ての通り効果はまさに結界そのもの。近寄る全てのものを弾く、防御の壁だ。
 私が気づけなかったのは、自らが生み出す風があったからだ。
 風を切り進む私と、風を纏った手塚。同じ風だという認識から、私は彼の風を見ることが出来なかったのだろう。

「ふん、まさに『手塚ファントム』とでも呼ばざるを得ないな」
「……そうなのか」
「そうと呼ばざるを得ないだろう?」
「聞かれても困る」

 手塚は小さくため息をつき、後方へと吹っ飛ばされた仲間のところへと足を向ける。
 
「待て、私はまだ戦えるぞ」
「戦えるのならば相手になろう。だが、今のお前では俺に勝つことは出来ない」

 随分とはっきりと言うものだ。
 とはいえ、私もそれは理解している。力の差は歴然で、例え不意を打ったとしても結果は同じだろう。

「次に会う時は、お互いにベストを尽くせるよう願っている」

 にこりともせず───いや、表情はおだやかなのだが───言い放つ手塚に、私は反感よりも、どこか憧れのようなものを覚えた。
 この男は、何故ここまで強いのか。何故ここまで速いのか。そして、何故ここまで独りなのか。
 
「ああ、せいぜい腕が鈍らないようにしておいてくれ。私はきっと強くなっているだろうからな」

 私の言葉に、ほんの少し、ほんの少しだけ笑顔のようなものを見せ、手塚は仲間の下へと行ってしまった。
 その背中をいつまでも追っている自分。もしそれに手塚が気づいて振り向いたりでもしたら、きっと恥ずかしくて死にそうになる。

「敗北は初めてだ。少なくとも、ここまで一方的にやられたことなど、一度たりともなかった」

 だからだろうか、こうして視線を向けるだけで体が熱くなってしまうのは。
 排熱がきっと上手くいっていないんだ。ドクターに言って調整してもらうべきだろう。
 つい、ため息などをついてしまう。情けない、いつも姉らしくと心がけなければならないのに。
 ややあって、手塚が仲間の隊員をつれて戻ってくる。
 ひどく興奮した様子の隊員の言葉に、手塚は短い返事で返しながら、ゆっくりと歩く。まるで親子のようだ。

「では、私はそろそろ引くとしよう。このままここにいたところで、やることもない」
「次は僕ももっと強くなってきます! 絶対に負けないくらいに!!」
「……だ、そうだ」

 私が散々叩きのめしてやったというのに、赤毛の隊員はそれを恨みもしていないようだ。
 スポーツマンのような爽やかさと言えば聞こえはいいが……。

「ふん、いくらでも強くなるがいい。どの道、私に追いつく事など出来はしない」

 ここは戦地で、私とこの隊員とは敵同士。健闘を褒め称えるなどありえない。
 それに、私の関心はこの隊員にはない。あるのは、その隣だ。

「エリオ、俺は他の隊員の様子を見てくる。お前も手伝ってくれ」
「はい、分かりました」

 隊員が素早く駆け出していく。エリオ、そういえばそんな名前だったか。
 どうせ今回の作戦で潰してしまうのだから、名前など関係ないと思っていたが……。

「……すまないが、聞きたいことがある」
「何だ? 仲間の位置なら教えないし、分からないぞ」
「そうではない、その、お前の名前を教えて欲しい」
「名前? 何故そんなことを」
「また、戦うのだろう? ならば、お互い名前くらいは知っておくべきだ。それに、知らないと別れの挨拶もしにくいからな」

 そうか、私はまたこの男と戦うのか。いや、戦えるのか。
 自然と口元が緩む。笑顔など殆どしたことがない自分だが、この時ばかりは素直に笑えていた気がする。

「トーレだ。通し番号のような名前だが、それが名だ」
「トーレ、ああ覚えたぞ。よし、ではトーレ、また会おう」

 風に前髪をなびかせ、ふわりと軽くステップを踏むように、手塚は一歩踏み出した。
 瞬きをするその一瞬で、その姿は見えなくなってしまう。
 なんという速さだろう。私はもう、敵味方などという括りを超え、素直に彼の能力に感動した。
 ああ、面白くなる。上には上がいて、自分はまだまだ強くなることが出来て……また戦うことが出来る。
 本当に楽しい。心の底から、私は笑った。
 吹き抜ける風が、優しく私を包み込んでいく。
 次に会うときこそは、必ず。私は誰に言うともなく、ただ呟いた。
 その音が風に運ばれて、奴の耳に届くかもしれないな、などと考えてしまうのは……まったく、何故なんだろう。


・SIDE チンク


「ふっ!」

 素早く右腕を振りぬき、スティンガーを走らせる。
 風を切りながら、突き進むそれに、私はただ一つの指示を飛ばす。

「(爆ぜろ)」

 声に出す必要はない。私がスティンガーに触れた時、既に埋め込んである暗示を発動するだけだから、心に思うだけで十分だ。
 瞬間、スティンガーは小爆発を起こす。小さいが、避けにくい。
 
「ハァ、ハァ……」

 対峙しているのは、スターズ隊のティアナ・ランスターだ。
 つい二十分ほど前から戦闘を開始し、現在、私が圧倒的優勢を保っている。
 スティンガーによる爆撃は予想通りの効果を発揮し、ティアナの武装を完全に無力化することに成功した。

「撃たせる前に撃つ。ただそれだけのことだが、中々に難しく、そして……」
「くっ!」

 性懲りもなく構えを取るティアナに、私は左の一投で対応する。
 ひどく機械的な作業に思えるほど正確に、私はティアナの立つ地面にスティンガーを突き刺し、爆発を促す。

「危なっ……」

 もちろん射撃の体勢など、即座に崩れる。
 狙いを定めなければ当たらないのであれば、その時間を取らせなければいい。

「難しい代わりに、必勝の策とも言える。この戦い、完全に私が支配した」

 既に地表は穴だらけだ。
 ティアナが引き、私が前に出る。ただそれだけのことだというのに、随分と激戦が行われているように見える。
 
「そろそろ終わりにするか。不毛な争いだ」

 左右の手に握り締めたスティンガーは、今か今かと爆ぜるその時を待ちわびている。
 敵であるティアナも、決して弱くはなかった。だが、相性が悪い。
 飛び道具に対しての飛び道具、そして彼女は銃、私は爆弾、それも弾丸と同様の速度で飛ぶ爆弾だ。
 少々可哀想だが、これも戦いと割り切らなければならないだろう。

「まだ、私は負けてない……!」

 性懲りもなく構えられた銃は、確かに先ほどよりも早く射撃体勢に入れるだろう、今までよりも動きがいい。
 しかし、その程度ではまだ遅い。いや、銃を構えるという行為自体がそもそも『遅い』のだ。
 一挙動にかかる時間、狙いを定める時間、筋肉を駆動させる時間、何もかもが遅すぎる。

「別れの挨拶もする暇もなく逝ってしまうことになるが、恨むなよ」

 指先からスティンガーの剣先が離れる。
 コース、角度共に問題はない。一つは足元、もう一つは顔面にそれぞれ向かう。
 回避行動を取る余裕もなく、それらは爆発し───。

「……誰だ、お前は」

 まさに刹那。冷たい風が吹き付けて、地面を踏みしめる音が聞こえた時、目の前に男が一人いた。
 ラケットを構え、こちらを強い視線で射抜くその男。データにはない顔だ。

「聖祥学園中等部三年テニス部部長、手塚国光だ」
「手塚くん!!」

 ティアナが歓喜と驚きが入り混じったような声を上げる。
 それに対し、手塚と呼ばれた男は軽く頷き、遅れてすまないと続けた。随分とポーカーフェイスな男だ。
 
「ん……待て、私のスティンガーはどうなった」

 手塚の足元を見ると、爆発するはずだったスティンガーが、無傷で落ちていた。
 おかしい、不発などと言うことはありえないはずだ。

「お前、何をした?」
「何をと言われてもな。回転を殺して、地面に落としただけだが」

 しれっと言ってのける男に、私はほんの少し恐怖を覚えた。
 爆発の意思を込めたスティンガーは、どうあっても爆発するしかない。導火線に着火しているようなものなのだから。
 にもかかわらず、この男はそれを停止させた。私の頭にないような高等魔法なのか、それとももっと他の何かなのか……分からない。

「……どうだって構わない。不安ならば、確かめればいいだけの話だ。奇跡は二度続くことはない」

 高速、出来る限りの正確さと速さを保ち、私はスティンガーを投げつける。
 まさにクイックモーションと呼ぶべき動きで、反応できる人間などいるはずがない。

「なっ!?」

 常識など通用しないと言うことを思い知らされた。
 私の放ったスティンガーは、紛れもなく速く、隙をついたはずなのに。
 
「はぁっ!」

 煌きが手塚の体を包んでいる。
 そして光に包まれたラケットが、スティンガーを滑らかに包み込み……停止させた。
 ポトリ、ポトリ、力を失ったスティンガーが地面に落ちる。
 爆発は元より、ただの武器としての能力すらもなくなっているようだ。

「お前は一体、何者だ……?」
「聖祥学園中等部」
「それはもういい! いや、中学生!? 馬鹿なっ! ありえない!!」
「……こうも毎回似たような反応をされると、いかに慣れているとは言え、堪えるな」

 ため息をつき、肩を落とす手塚。
 そうした仕草一つとっても、中学生とは思えない。
 そうだ、私は間違ったことなど言っていない。

「と、年齢などはどうでもよかったんだ」

 邪魔な思考を追い出し、咳払いを一つ。

「手塚と言ったな、私はチンク。誇り高きナンバーズの一人だ」
「な、名乗った! 手塚くん、この子自ら名乗ったよ!?」
「うむ、敵ながら見上げた心意気だ」

 ……不味かっただろうか。
 考えてみたら、私たちは国家反逆をたくらむテロリスト扱いになっているのだろうから、あまり身元が割れそうな発言は慎むべきだったかもしれない。
 ええい、しかしもう言ってしまったことだ。今更後ろに引けるか。

「よく聞け! 我々の目的は、お前たちのような掃き溜めの民から世界を救い、聖王の名の下に統治することだ!」
「ほう、なるほど」
「話の内容は分からないけど、とりあえず言っておくわ。なるほど」

 ああ、言ってしまってよかったのだろうか。
 構うものか、どうせ意味など分かるはずがない。

「ともかくっ!! 大義のために、お前たちは邪魔だ。この場で散ってもらうぞ!!」

 スティンガーを二つずつ両手に持ち、目の前の二人を威嚇する。
 ティアナの方は、既に満身創痍で、もはや敵ではない。
 問題は手塚だ。ラケットで触れられただけで、私の能力が無力化されてしまうとは、到底信じがたい。

「(信じがたいが、事実だ。だからと言って引くわけにはいかないが……)」

 私の能力は、自分で言うのもなんだが、優れている。
 しかし、私にはこれしかない。優れているが、同時にこの能力に頼りすぎてしまっていたために、それを破られるとどうしようもないのが現実だ。

「ティアナ、ここは任せて、下がっていろ」
「だ、大丈夫なの? いくらなんでも、いきなり実戦じゃあ」
「問題はない」

 鋭い視線が私を突き刺す。
 隙あらば投げ込もうと手にしたスティンガーを、その眼光一つで押し留められてしまい、私はただじっと待つことしか出来なくなった。
 ややあって、手塚のラケットから光の球が浮かび上がる。あれが彼の魔法なのだろう。
 
「では、行くぞ」

 ひゅっ、と風を切る音が聞こえた。
 球を高く上げ、ラケットで叩きつける。その時に生じた音だろう。
 ならば、球が落ちてくるまでの隙をつくまで。私はスティンガーを素早く───。

「……ない?」

 手の中にあったはずのスティンガーがない。
 両手に持っていたはずなのに、全てが消え去っている。
 
「一体何を……」

 言葉を言い切る前に、キィンという金属同士がぶつかり合う音が背後で聞こえた。
 振り向くと、そこには私が握っていたはずのスティンガーが散っていた。
 一体、いつ? いつの間に私はスティンガーを手放していたのだろう?

「もう一球行くぞ」
「くっ!」

 手塚の方など見向きもせず、私は即座に飛びのく。
 この男は危険だ。私の体が危険信号を発している。

「その打球、消えるぞ」

 光の球が、私の飛びのく前の地面を叩く。この距離ならば当たることもないだろう。

「よし、今なら攻撃できる……」

 着地した瞬間、私は攻撃態勢に入る。 
 狙いをつける時間も、構える時間も、寸分狂わず最速の記録。
 手首のスナップを効かせ、振りぬけばもう終わり……その時だ。
 やり過ごしたはずの光の球が、音もなくバウンドし、私の手首に食らいついてきたのだ。

「あっ!」

 鋭い角度で、えぐり込むように侵入してきた球に、私は成す術もなくスティンガーを弾き飛ばされてしまう。
 これで何度目だ、私が攻撃を失敗したのは。
 ぐらぐらとはらわたが煮え返りそうなほど熱くなる。武者震いが止まらない。

「どうした、それで終わりか?」

 尊大な言葉を発しつつも、目の前の男は揺るがない。
 隙を見せず、どっしりと壁のように立ちふさがるその姿は、なおのこと私の心を逆撫でした。

「(変幻自在の球、正確なコントロール。悔しいが、遠距離では勝ち目がなさそうだ)」

 呼吸を整えながら、じりじりと距離を詰めていく。
 やはり、接近戦を挑むしかない。獲物がラケットであるのならば、こちらの方に分があるはずだ。

「(しかし、近寄ってどうする? 私の武器は爆弾……近づけば自分の身も危険だ)」

 手塚は私を見据えながら、いつでも攻撃が出来るように準備している。
 やや細めた目が私を射抜くたび、言いようもない高揚感を覚えた。
 組織としては遠慮願いたい強敵は、私にとっては願ってもいない幸運だ。なにせ、このように切磋琢磨する機会など、今まで殆どなかったのだから。

「(爆弾、そうだ、爆弾だ。私は金属に触れれば、それを爆弾に変えることが出来る。なら……)」

 目をつけたのはラケットだ。
 見たところ、金属製のコーティングと思われる光沢がある。アレを破壊できれば、自ずと勝利は天秤は私へと傾くだろう。
 狙いは単純だが、相手の武器ともなれば、触れるのは至難の業だ。
 しかし……私は大きく息を吸う。

「(一点集中、狙いは変えない。どの道、それしか手はないのだからな!)」

 大地を強く蹴り、私は放たれた矢の如く飛び出した。
 当然、手塚も対処しようとするが、無駄だ。直線軌道を真っ直ぐ、全速で行く私と、それを後手で受け、対応する手塚なら、断然私のほうが速い。
 一足、一足、踏みしめる固い土が、私の速さを後押しする。手塚はまだ、球を打ち出すことが出来ていない。
 取った───。最後はラケットに向かって、飛び込むように突っ込む。

「よし! 触れたぞ!! よ〜しよし!!」

 指先が触れた程度だが、確実に触れた。
 いまやあのラケットは、その身を爆弾へと変え、主を襲う怨敵となったわけだ。
 私が爆発して欲しいと思った瞬間、目の前にいる男は粉みじんになることだろう。

「さらばだ、六課の隠し玉。せいぜい死後の世界で、ゆっくりと球技に励むがいい」

 さあ、砕け散れ、跡形もない程に!
 瞳を閉じ、もうすぐ広がるであろう凄惨な光景に備える。汚いものを見て楽しむ趣味などない。
 ……まだか、随分と遅いな。
 イライラしながら目を開くと、まだラケットは健在だ。もちろん手塚も同様だ。
 おかしい、しっかりとラケットには触れたはずなのに。

「……おい、つかぬ事を聞くが、そのラケットには金属が使われているか?」
「いや、使っていない」

 自らの耳を疑った。
 馬鹿な、使っていないだと? いかにも新開発の新兵器で、しかも金属のような光沢を放っているにも関わらず、使っていないだと?

「う、嘘をつくな! じゃあその輝きは何だ?」
「……ニスの類だと思うが。下地は確かに金属のように見えるが、これは塗ってあるだけだ。材質は木だ」
「あ、あわわ……そんな、そんなぁ!」

 柄にもなく……いや、取り繕っているだけで、私は本来こういう人間だ。準備は入念にするものの、予定外の事故には弱い。
 落ち着け、落ち着いて考えるんだ。

 まず、金属を身につけていない人間など少ないはずだ。探せばきっと、どこかにあるはずだ。

「……見つけたぞ、お前の金属! それは、その眼鏡だっ!!」

 元々距離は近かっただけに、走る必要はない。ただ、身長差があるから、そこは跳躍でカバーしなければならないが。
 地面は硬く、私の身体能力は高い。いける、今度こそいけるはずだ!
 垂直飛びの要領で、私の体は宙に舞う。後は手を伸ばせばいい。

「覚悟し………んっ……」

 ふと唇に柔らかい感触が。
 むにゅ、むにゅとしていて、どこか湿っぽい。
 甘噛してみると、まるで耳たぶのようだ。妹にやったことがある。 

「う、うわぁ……」

 視界の隅でティアナが、まるでありえないものでも見るような目で私を見ている。
 何だというのだ一体。待て、私はいつまで空中を漂っているんだ。それに何か、背中を支えられているような気がするぞ。
 目の前には見慣れぬ瞳。驚きで見開かれているような、そんな……!?

「わわわわわ!! うわああ!! な、なんということを! なんということを!!」

 馬鹿か私は! いや馬鹿だ私は!! 
 敵に飛びついて、く、くくく唇を奪って? ああ、ああ! あろうことか初めてを捧げてしまうなんて!!
 
「と、取り乱すのはいいが、ちゃんと地面についてからにしてくれ。痛い」

 そうだ、背中の手! 落ちそうになる私を支えているこの手は、間違いなく目の前にいる男のものだ。
 恥ずかしい、顔から火が出そうになるほどに恥ずかしい。
 
「は、離せ! 離せ!」
「分かった、分かったから暴れるな……」

 やれやれといった感じで、手塚は手を離す。
 何だこの男、私がこんなにも取り乱しているというのに、無茶苦茶冷静じゃないか。慣れているのか。私だけが経験不足か。

「うううう!!」
「唸るな……その、不慮の事故というものだ」
「事故? そんなことで済まされるか! は、初めてだったんだぞ!!」
「……俺も同じだ」
「え?」

 聞き返すと、手塚は視線をふいっと逸らす。心なしか、頬も染まっているような気がする。
 
「その、俺もこういった経験はないということだ。だから……というのもおかしな話だが、気にするな」
「そういえば中学生と言っていたな。それなら、うん、分かる話だ」

 見た目からは想像もつかないが。

「って! 分かる話だからと言って納得できるか! キスだぞ! 一生に一度しかないんだぞ!!」
「……すまない」
「謝って済む問題じゃないだろう!?」
「ちょっと待ちなさい。飛びついたのはあなたの方じゃない。どう考えても、悪いのはそっちでしょ」

 横からティアナが割り込んできた。
 言われてみると、確かに飛びついたのは私だ。だが、口付けたのは私のせいじゃないだろう。
 そうだ、素直に手塚が眼鏡を差し出せばよかった話だ。それをこんな……こんな!

「どうかしたのか?」
「多分だけど、思い出して恥ずかしくなったのよ」
「うるさい!」

 顔がまるで熱病にでもかかったようだ。
 動悸も激しいし、呼吸も荒い。落ち着け、落ち着くんだ……。

「たかだかキスの一つや二つで慌てるような私ではない」
「いやぁすごい剣幕で突っかかって行った後で言われても、説得力ないって」
「す、少し動揺しただけだ!」

 そうだ、唇と唇が触れた程度のことで、何を慌てる必要がある。
 ああ、でも、あの濡れた感触、かかる吐息、思い出すと自然に目が潤んでいく。
 くっ、情けない。この程度のことで!

「……チンク」
「な、何だ」

 声を聞くだけでドキっとする。
 頭のてっぺんからつま先までが赤く染まっているように思えて、落ち着かない。
 よくよく見ればこの男、とても格好いい。
 鋭い瞳に整った眉、切れ長の顎に、流れるような髪、そして私を見下ろす長身。
 見れば見るほど、童話か何かで出てきそうな王子様のようだ。

「顛末がどうであれ、俺はお前の大切なものを奪ってしまったことに違いはない。だから、俺はその責任を取るべきだと思う」

 私の目を見て、そんなことを言う手塚。
 責任? 言葉の意味を計りかねる。

「謝って済まされるものでないのであれば、行動をしよう。俺は、何をすればいい?」
「何って、そんなもの……」

 頭の中に思い出されるのは、先ほどの不恰好な初体験。キスの味など覚えてすらいない。
 ……やり直したい。そうだ、私の理想通りのキスで、この初体験を塗りなおしたい。
 目の前の男は、素性も知らない敵だ。だけど、この男は今、自分がしてしまったことを行動で返そうとしている。それは、胸を打つ。
 この先、私は戦いの日々を送るのだろうし、理想通りのキスどころか、出会いすらもないかもしれない。
 なら、いいんじゃないか? この男でも。
 目の前の、手塚という男は、間違いなく私のことを思ってくれている。なら、それでいいんじゃないだろうか。

「私は───」

 フッと意識が素面に返る。
 何を、言おうとした? 目の前にいるのは敵だ、倒すべき相手だというのに!
 私は唇を噛み締め、思わず出そうになった言葉を殺す。

「私はナンバーズのチンクだ! 敵の施しなど受けないし、この程度のことで傷つくような心も持ち合わせていない!!」

 高らかに叫び、手塚との距離を取る。
 今のままでは勝てない。力の差もあるが、それ以上に今、私は戦うことが出来ない。

「(心が、弱い。歯を食いしばってないと、立っている事もできそうにないくらいに)」

 気丈に振舞う、それだけが精一杯だ。
 言葉で何と言おうと、私はやはり……。

「ならば、また戦おう」
「え?」
「お前は強い。次に会う時は、恐らくもっと強くなっているだろう。その時はまた、今日のように戦おう」
「ば、馬鹿なことを言うな。我々は敵同士で、そんな、スポーツマンのようにはいかないんだぞ。どちらかを殺すかもしれないんだぞ」
「そうだな、そうなってしまうかもしれない」
「だと言うのに、お前はまた会いたいと言うのか? 次は己が死ぬかもしれないのに」

 私の言葉に、ほんの少しも手塚は怯まず、ただ一言。

「俺は負けない」

 真っ直ぐな言葉を返してきた。
 そうなんだ、こういう男なのか。
 誠実で、真っ直ぐで、そして強い。
 
「……なら、期待して待っていろ。絶対に、また戦うことになるから」
「ああ、お互い、油断せずに行こう」

 踵を返し、私はその場を去る。
 私の瞳は、周囲の風景を写しながらも、それを見ていない。
 手塚国光、唐突に現れた、データにない男。私が口付けた、最初の男。
 
「(手塚も言っていたな、自分も初めてだって)」

 後悔の念は消えていた。
 むしろ私の中にあったのは───。

「また、会えるんだな」

 募る思い、ただそれだけが、心の真ん中に腰を下ろしていた。


・SIDE フェイト


 迂闊だった。私は自分の早計を悔やんだ。
 事の顛末は、なのは達と別れた後、私が小さな建物を見つけたことから始まる。
 白い壁で囲まれたコンテナのようで、入り口が一つだけついていた。どうにも場違いな印象を受け、私はそれを調べようと、大地に降り立つ。
 厚い壁に覆われている割には、中には何もない。

「中は薄暗いし、誰もいない……。どこかの誰かが置いて行ったのかな」

 ひとまず、中に入ってみよう。
 暗い室内を、入り口から入る光を頼りに進んでいく。
 やはり何もない。綺麗さっぱり、ダンボールの一つもない。
 ただのコンテナなら用はない。私はすぐさま入り口の取って返そうとした。

「きゃ!」

 大きな音を立てて、私は転んでしまった。
 足が、何かに引っかかったせいだ。

「まったく、何なの……?」

 足元を見てみたが、何もない。
 どういうことだろう。躓いた拍子にどこかへ行ってしまったんだろうか。
 気を取り直して、もう一度立ち上が───。

「きゃあ!!」

 再びだ。再び、私の足は何かに躓き、いや、何かに引っ張られて、立ち上がることが出来なかった。 
 ドン、と音を立てて、私の体は冷たい床に叩きつけられる。
 痛い、そう思うよりも早く、足元を確認したが、やはり何もない。

「どういうこと……?」

 いくら足元が見づらいと言っても、多少の光は入っているし、そうそう何度も躓かない。
 それにさっきの感触は、誰かに引っ張られたようなものだ。

「もしかして、敵!?」

 このコンテナには、既に敵が潜んでいて、私を攻撃している。そう考えるのが自然だ。
 だけど、何故こんな地味なことをするんだろう。転ばせるだけじゃ、確かに痛いけどダメージと言うには程遠い。

「時間稼ぎか」

 敵の思惑通りになるわけにはいかない。
 私は深呼吸をして、次の動作に備える。
 一瞬で立ち、そしてすぐさま入り口へ向かえば大丈夫なはずだ。
 ……よし! 決意と共に体を起き上がらせ、すぐさま駆け出す───。

「うあっ!!」

 ガクンと世界が揺れる。
 走り出す瞬間を掴まれた。さっきとは比べ物にならない衝撃が、私の全身に襲い掛かる。

「痛ぁ……」

 敵の姿はない。にも関わらず、こうして私の足を的確に掴み、転ばせてくる。
 一体どうやって? 考えても分からない。
 ……そうこうしている内に時間は経ち、私は幾度となく足を取られ、転ばされることになった。
 敵の姿は依然として見えない。打ち付けた体の節々が悲鳴を上げている。
 地味だけど、避けようがない。立ち上がらなければ私は動けないし、立ち上がっても歩き出さなければ外には出られない。
 ほふく前進も試してみたけれど、今度は両足を掴まれ、身動きが取れなかった。

「どうしたらいいんだろう……」

 沈んだ私の耳に、誰かが駆けて来る音が聞こえてきた。
 その音はコンテナの入り口で止まり、声を上げて私のことを呼び始めた。

「フェイトさん! どうしてこんな所に?」

 エリオだ。私の帰りが遅いから、探しに来たんだろうか。

「入らないで! これは敵の罠なの!!」

 入ってこようとしたエリオを止める。
 敵の正体が分からない以上、ヘタに動かないほうがいい。
 私は事の顛末をエリオに話した。

「敵がこの中にいるんですね」
「そう、姿形も分からないけど、確実にいるよ」
「その、僕がソニックでフェイトさんを抱えて、入り口まで戻ってくるのはどうでしょうか?」

 いい案かもしれない。
 エリオのソニックムーブは文字通り、音速の域まで速度を高める魔法だ。
 私を抱え、すぐさま入り口に戻れば……。

「でもエリオ、怪我してるじゃない」
「こ、これくらい平気ですよ」
「だけど、私を抱えてのソニックが出来る? 人を一人抱えるって、物凄い負荷がかかるんだよ」
「……それは」

 それに、私を抱えるためには、一旦停止しないといけない。
 敵にそこを抑えられたらアウトだ。危険すぎる賭けになる。

「でも、このまま何もしなかったら、フェイトさんが」
「うん、だから何か考えないと……」

 再び、私の耳に誰かの足音が聞こえた。今度は二人のようだ。

「あ、手塚さん! ティアナさん!」
「え、手塚くんが来てるの?」

 エリオの言葉通り、入り口に現れたのは手塚とティアナだった。
 一体どうして手塚くんが……と不思議がる私に、エリオとティアナが手塚くんに助けられたという旨を話してくれた。

「手塚くん、その、ありがとう。私が隊長なのに不甲斐なくてゴメン」
「気にするな。それより、現状を打破するほうが優先だ」
「そうだね。でも……」

 エリオが二人に事情を説明している。
 入り口までの距離はそんなに遠くないと言うのに、今の私にはどこまでも続く長い道のように感じられた。

「分かった。つまり、フェイトを抱える際に停止する時間が問題なんだな」
「うん。それに私をタイムラグなしで抱えられたとしても、反転するのにはやっぱり止まらないといけないから」
「……なるほど」

 考えれば考えるだけ難しくなる。
 私が動けない以上、外にいる彼らに頼らないといけないのだけど……。

「ならば、反転せず、そのまま直進すれば問題はないな」
「え?」

 何を言っているんだろう?
 そんな言葉をかける前に、手塚くんは準備に入りだした。

「二人は少し離れていろ。フェイト、少し驚くかもしれないが、我慢してくれ」
「え、ちょっと待って……」

 ぐいっ、何かに足を掴まれる感触だ。
 まずい、このままだと私を抱える段階で失敗する。

「手塚くん、今来ちゃダメ……」
「動くこと雷霆の如し」

 光がほとばしり、暗かったコンテナの中が眩しいまでの輝きで覆われた───私が見たのはそれだけだった。

「あ、あれ?」

 気がつくと、私はコンテナの外にいた。
 コンテナを見ると、無残に入り口と反対側の壁がぶち抜かれていた。
 そして、足元にはいまだ残る、敵の手の感触。

「……あれ?」
「どうやら、一緒に連れて来てしまったようだな」
「はは、どうも〜」

 私の足にしがみついていた敵は、水色がかった髪の少女だった。
 服は独特のボディスーツだが、それ以外はまだあどけない感じの女の子だ。こんな子が、今まで私を攻撃していた……?

「はっ! 敵なら捕まえないと!!」
「待てフェイト、今暴れられると……」

 え? と聞き返した時にはとき既に遅く、私は地面にまたも叩きつけられることになった。
 そういえば、今は手塚くんの腕の中にいたんだったっけ……。

「大丈夫か? 二人とも」
「え、二人って……」
「う〜う〜痛いよぉ……」

 そうだ、足元には彼女がいたんだった。
 しかも、私が落ちたことで、彼女は私のお尻の下だ。

「ご、ごめんね。大丈夫?」
「ま、まぁ、大したことは」
「って何で敵の心配何かしてるの私!?」
「痛い痛い! 体重をかけないでって!」
「あ、ごめんね」

 私が降りると、彼女はすぐさま立ち上がり、私たちと距離を取った。
 敵ながら素早い行動だけれど、その位のスピードなら、私には止まって見える。
 私は彼女の後ろに回ろうとして……手塚くんに止められた。

「ちょ、ちょっと手塚くん!?」
「まずは話を聞いてからだ。お前はナンバーズというチームの一人なのか?」
「え、あ〜そうだけど……なんで知ってるの?」
「チンクから聞いた」
「うわ、喋っちゃったんだチンク姉」
「聞く前に自らな」

 どうやら、手塚くんは彼女の仲間と戦ってきたようだ。
 新人とは思えないくらいの活躍だ。

「俺は聖祥学園中等部、テニス部部長、手塚国光だ」
「あたしはセイン。へ〜中学生……っていう割には、随分歳に見えるけど」
「ちょ、ちょっとあなた、そういうことは思っても口にしちゃ」
「構わない、もう慣れている」

 確かに私も思ったけど、やっぱりこの認識は誰でも持つものなんだ……。

「セイン、一つ情報を教えてくれれば、お前をここから逃がそう」
「え? ホント!?」
「ちょっと手塚くん!?」

 いきなりの開放宣言に、私は面食らった。
 いくらなんでも、目の前にいる敵を逃がしてしまうだなんて、それは駄目だろう。

「……スバルが見つからない。それになのはもだ」
「二人が?」
「ああ、だから情報が欲しい。二人と戦っている者は、今どこにいるか。それを教えてくれさえすれば、俺はお前を見逃そう」

 二人の安否は確かに気になる。
 だけど、それと引き換えに敵を見逃すのは……。
 嘘をつかれる可能性だってある。鵜呑みにはできないだろう。

「……ホントに見逃してくれる?」
「嘘はつかない」
「でもさ、あたしが嘘をつくかもしれないよ」
「俺はお前を、いや、お前たちを信じている。戦ってみて、お前たちが悪人ではないことが分かったからな」
「む? 戦ったって、チンク姉以外にも?」
「ノーヴェとトーレと言っていた。あの二人も、真っ直ぐな瞳をしていた。決して悪ではないだろう」
「ふうん、なるほどね。うん、分かったよ。あたしも嘘はつかない」

 セインはニコッと微笑み、中空に地図の画像を表示させた。
 赤い点、青い点が固まっているのが、今私たちがいる場所だろうか。

「ここが現在地、んで、青いのが残りの二人」

 どうやらそれで良かったらしい。
 青い点は両方とも微動だにせず留まっている。

「クアットロ、オットー、それが二人の名前か」
「へえ〜イタリア語読めるんだ」
「数字くらいはな。ドイツ語ならば、日常会話程度は出来るが」
「クア姉のほうがなのは、オットーのほうがスバルだね。行くんだったら、早い方がいいと思うよ」
「ああ、ありがとうセイン」

 言うが早く、手塚くんは素早く地図上の青い点を目指し走り出し、見えなくなった。

「……どうして協力したの?」
「え? だって逃がしてくれるんでしょ」
「それは、その、不本意だけど」
「まぁそれだけじゃなくってね。あの手塚って人、うちらのこと話してた時、何だかすごく嬉しそうだったじゃん」
「そう、なの? 表情は変わってなかったと思うけど」
「ウチにもそういうのがいるから、微妙な変化には敏感なんだ。んで、さっき地図見た通り、二人しかいなかったって事は、残りはちゃんと逃げたって事でしょ」
「そう言えばそうだね」
「だから分かったんだ。この人は嘘をつかないし、優しいって。だから、あたしも応えようってね」

 敵同士だというのに、このセインと言う少女はよく笑う。
 見れば見るほど普通の女の子なのに、どうして戦っているんだろうか。
 
「おっと、それじゃあたしも退散するね。手塚に会ったら、ありがとって伝えといてよ」
「……ええ、分かったわ」
「そんじゃね〜」

 軽快な足取りで、セインは走り去った。
 その背中を、私はじっと見つめながら、逃がしてしまってよかったのかと思う。
 けれど、仕方がない。今ここで彼女を捉えたら、手塚くんを嘘つきにしてしまうことになる。

「フェイトさ〜ん!」

 エリオたちが入り口のほうから駆け寄ってきた。

「二人とも、すぐ来ればよかったのに」
「いえ、何だか邪魔しちゃいけない気がして」
「あの敵の人、逃がしちゃったんですよね」
「うん、しょうがないんだよ」

 期待の新人さんの初任務、獅子奮迅の活躍に、私が水を差すわけには行かない。
 
「さあ、私たちも行くよ! なのはたちを援護しなきゃ!!」


・SIDE オットー


 スバルを拘束し始めてから、既に一時間が経過しようとしている。
 当初は反抗の意思を見せていたスバルも、今は動くことなく、地面に座り込んでいる。僕はそれを、高い岩の上から見下ろしている。
 他のナンバーズの状況を見るに、私とクアットロ以外は敗北してしまったようだ。データ上は考えにくいことだが、もうこれは起こってしまった事で、どうしようもない。
 僕の仕事は、スバルをここに拘束すること。戦闘能力では勝ち目のない僕でも、こうして結界を張ってしまえば攻撃されることはない。
 しかし、それはただ時間を稼ぐためだけのものだ。いずれは開放せざるを得ないだろう。結界維持に使う力は、思いのほか大きいので、僕のほうが先に折れることは明白だ。
 問題はその引き際だ。全滅したとあれば即時撤退するが、まだ全滅と言うわけではない。ただ一人を置いて逃げ帰ることは出来ない。
 さて、どうするべきかと考えていたその時、生体センサーが新しい人間の情報を取らえた。
 六課の隊員のどれとも照合せず、アンノウンと表示されたそれは、目を見張るような速度でこちらに近づいてくる。推定到達時間は……たった今だ。

「ここか、スバルがいる場所は」

 やってきたのは長身の男だ。
 眼鏡をかけ、落ち着き払った様子で周囲を見渡している。
 やはりデータにはない。一体、この男は何なのだろうか。
 
「お前がオットーか?」

 唐突に自分の名を告げられ、心に僅かな焦りが生じる。
 
「そうだ、僕がオットーだ」

 短く、区切るように言葉を発する。
 どんな相手だろうと、必要以上の情報を与える必要はない。聞かれたことだけ、与えられるだけの言葉を返せばいい。

「セインから、ここでスバルと交戦していると聞いてきたが、本人はどこだ?」

 セイン……僕はため息の一つもつきたくなった。
 名前を教え、味方の位置を教え、この調子では任務の内容も話しているのかもしれない。
 まったく、口の軽い姉だ。生まれが早いだけで、どうにも姉と言う気はしないのが本音だが。

「スバルならあそこにいる」

 隠す必要もない。僕は結界の中にいるスバルを指差す。

「結界で封じてあるから、出られないんだ」
「ふむ……」

 何か考え込むような仕草をして、男はじっと結界の中を見つめている。
 
「破壊できるのか?」
「許容量以上のダメージを受ければ」

 小惑星の衝突程度の攻撃を受ければ、さすがにあの結界も意味を成さないだろう。もっとも、それをしたら地上もただでは済まないだろうが。
 そんな実現不可能な行動よりも、目の前の男のほうが気になる。
 軍人のようには見えないし、武器らしい武器も持っていない。持っているのはただ一つ、ラケットだけだ。

「……そうだ、お前の名を尋ねるだけ尋ねて、俺のことを言っていなかったな。聖祥学園中等部、テニス部部長、手塚国光だ」
「手塚、国光」
 
 呟くようにして、名前を口ずさむ。
 その名前を聞くのは初めてだった、やはりデータ上にも載っていない。
 
「自分の名前など、教えてしまっていいの?」
「俺の名前など、大して重要なことではないだろう。それに、俺はそちらの名を知っているのだから、不公平と言うものだ」

 それもそうか。考えてみれば、名前を教えたところで、自分たちにとってはただの通し番号に過ぎないもので、教えたところで不利になるものではない。

「しかし、中学生というのは偽りだと思うけど」
「本当だ、学生証もある」

 ……どうやら彼は通常の人間に比べて、著しく成長が早いのだろう。見た目とは裏腹に、年齢は若い。
 さて、僕はどう動くべきだろうか。
 僕は元々戦い向きではないし、仲間からの援護と言うのも期待できない。ならば、もうこの場にいる必要も無いだろう。
 
「結界解除」

 声に反応して、スバルを囲んでいた結界が消え去る。
 中にいるスバルに動きは無い。恐らく気づいていないのだろう。

「……いいのか、開放してしまっても」

 探るような手塚に、僕は軽く頷いて返す。
 ちょうど撤退のタイミングを計っていたところだったし、彼の登場は願っても無いことだった。
 
「じゃあ、僕は帰るよ。君が止めるって言うのなら、なんとか抵抗しないといけないけれど」
「止めはしない。俺は隊員たちの無事が確認できれば、それでいいからな」

 よかった。もし戦いになったら、きっと僕は何も出来なかっただろうから。
 もちろん、彼の発言と仲間の撤退を照らし合わせて、彼が僕を逃がすだろうと言うことは、ある程度想像がついていたんだけど。

「またな、オットー」
「また……?」
「ああ、お前たちが敵ならば、きっとまた戦うことになるだろう」
「そうかもしれないけど、どうして楽しそうに……」
「不謹慎な話だが、強い者と戦うことは、己の精進にも繋がる。先ほど戦った三人などは、まだまだ強くなる。だから、楽しんでいるように見えるだろうな」

 いや、表情は変わっていないのだけれど。声の調子でそう思っただけだ。
 兎にも角にも、この男の情報は、帰ってすぐに調べなければ。
 手塚はもう一度、またなと言い、スバルの元へと駆け出していった。

「……手塚国光、僕たちに立ち塞がる敵が増えた、のかな?」

 つかみ所の無い男だ。
 僕は足早に帰路を急ぎながら、彼のデータを入力していく。
 身長や体系、服装や言動、次々に情報は増えていくものの、それには限界がある。
 
「(まったく、ディードは何をしていたんだ……)」

 出てくるのは、敵地に入り込んでいる姉への恨み言しかない。
 まったく……。久々に感情的になった自分を抑えながら、僕は連絡を急いだ。


・SIDE なのは


 敵影を確認し、砲撃をする。繰り返されるこの作業は、既に三十回を越している。
 打ち続けながら分かってきたことがある。このガジェットたちは、全て偽者だ。
 触れられる残骸は錯覚だ。私の視覚が捉えた情報が、触覚に影響を与えたのだ。
 もちろん、普通ならそんな状況にはならない。今現在、この場を包んでいる結界が、それをさせている。

「目には見えてないし、入ったことにも気がつかなかったけどね。それでも分かるんだよ」

 言うなれば、このガジェットたちは立体映像のようなものだ。
 最初の一隊だけが本物で、それ以外は全て偽者。それを本物と認識させているのが、私の戦っている敵だ。
 見渡しても誰もいないし、ガジェットの攻撃は今の私にとっては本物に感じられてしまうので、無視することも出来ない。探すことは難しい。

「だったらさぁ!!」

 レイジングハートを大地に突き立て、砲身を固定する。
 全身から溢れ出す魔力を収束し、術式の展開を急ぐ。
 注ぎこまれる魔力が大気を揺らし、大地を震撼させる。
 薄桃色の旋風が周囲を駆け抜け、放出されるその時を待ち望んでいるかのように暴れる。

「目に見えないところまで残らずっ! 余すところ無く! 打ち抜いていけばいいんだよね!!」

 針に糸を通すような繊細さは必要ない。大火力、大出力の一撃必殺、それさえあれば十分だ。
 アクセルシューター。限界にまで濃縮された魔力が、砲身に従って天高く舞い上がり、拡散する。
 降り注ぐ光は雨のようで、無慈悲なまでに大地を打ちつけていく。弾けた薄桃色は花びらのようで、どこか戦場には似合わない美しさを見せていた。
 ガジェットは打ち抜かれ、新たに出現するガジェットも同様に、空で霧散する。
 やがて、アクセルシューターが終わりを告げると、そうしたガジェットたちも姿を消し、もうこの場に現れることも無かった。

「ふう……ちょっと疲れたかな。でも、その甲斐あって敵さんもご退場願えたみたいだし、よしとするか」

 こうしてはいられない。隊員たちも同様に、敵の術中に嵌ってしまっているに違いないだろう。
 時間を予想以上に取られてしまったのが痛い、もしかしたらという、最悪の事態まで想像してしまう。

「……なのはさ〜ん!」

 声が聞こえた。
 振り返ってみると、エリオとフェイトちゃん、それにティアナがいた。よかった、無事だったみたいだ。

「みんな、大丈夫?」
「はい、手塚さんが来て、助けてくれたので」
「手塚くんが?」

 管理局に残してきたはずなのに、どうやって……。
 そんな疑問も沸いて来たけど、とにかく今はみんなの無事が確認できたことを喜ぼう。

「キャロとスバルは?」
「キャロは救援要請へ行って、スバルは今手塚くんが連れてくるところだよ」
「……すごいなぁ」

 新人の、しかも昨日来たばかりの人が、私たちの危機を救ってしまった。
 一度の訓練もしていないというのに、なんという能力なんだろうか。

「もしかして、全員手塚くんに?」
「そういうことになるみたいです。あたしも助けてもらいましたし」

 エリオもティアナも、ボロボロの状態だ。
 もう少し遅かったらと考えるだけでゾっとする。
 
「私をここで足止めしていたのは、やっぱりみんなを個別で叩くためなんだよね」
「だと思うよ。私は殆ど戦えないまま、ずっと足止めされていたから」
「随分と狡猾な敵だなぁ」

 勝てない相手には時間稼ぎ。自分たちの力を良く知っているからこそ出来ることだ。
 どういう敵なのかは分からないけれど、かなりの強敵だと思う。この先、また戦うことがあるのなら、注意していかなければ。

「よし、とにかく手塚くんたちと合流しよう」

 私たちは、本日の英雄の元へと向かった。





 私たちは手塚くんと合流した後、キャロの連れてきた救護隊と共に、管理局まで戻ることができた。
 殆ど合流したと同時で、手塚くんの手際のよさが目立つ結果となった。

 今回彼が成したことは大きい。隊員の窮地を救い、救援を要請し、いち早く報告を行うことが出来たのは、彼のおかげだ。

「あ〜あ、隊長の面目丸つぶれ」
「もう、なのはったら」

 もちろん私だって、本気でそんなことを思っているわけではない。
 助かったのは本当だし、彼がいなかったら、私は今頃統率力の無さを理由に、隊長の座を下ろされていたかもしれない。
 
「でもさ、新人だよ。しかも昨日来たばっかりの。それがさぁ……」
「それは申し訳なかったな」
「げげっ! 本人!?」

 振り向くとそこには、渦中の人物である手塚くんがいた。
 今回の仕事っぷりで、もう少しで表彰というところだったらしいけれど、結局辞退したらしい。謙虚なことだ。
 
「あの、別にそういう意味じゃないの! 今回のことは本当に助かったと思ってるし、だから……」
「分かっている。そう慌てて取り繕う必要も無い」

 中学生とは思えない貫禄に、私はやっぱり手塚くんは年齢を誤魔化してるんじゃないかという思いを強めた。やっぱり見えないよ。

「手塚くんにはカッコ悪いところばっかり見せちゃったよね。スターズの隊長なのに、これじゃあダメダメだよ」
「なのはは十分よくやってるよ。ね、手塚くん?」
「ああ、なのはは敵の罠を自ら打ち破ったのだから、もし俺がいなかったとしても、みんなを救うことは出来ただろう。よくやっているさ」
「む〜。でもでも」
「もう掘り返すな。失敗したと思うのなら、今後、挽回していけばいい」

 確かにその通りだ。ここでうじうじと悩むよりは、同じ間違いをしないようにすることの方が大切。うん、その通り!

「よぉっし! 気合入れて行くよ!」
「もう、短絡的なんだから。今日はもうお仕事無いんだから、気合入れるのは明日からでいいでしょ」

 フェイトちゃんはたまにひどいことを言う。

「そういえば、手塚くんってバリアジャケットないんだよね」
「まだ支給されてはいないな」

 よく考えたらこの男、生身で行って敵と戦ってきたことになる。
 つまり、拡張なしの基本スペックで、既に隊員の誰よりも強いと言うことだ。まったくもって恐ろしい。
 そんな話をしていると、かん高い声が近づいてきた。
 誰もが見間違うことはない大きさの少女、大体三十センチ程度だろうか、彼女はリインフォースU(ツヴァイ)、先代の名を継ぐユニゾンデバイスだ。
 
「皆さんおかえりなさいです!」
「ただいま、リイン。どうかしたの?」
「はい、手塚さんのバリアジャケットについて、少し」

 リインは手塚くんの方へと向き直り、深々と頭を下げた。

「ご挨拶するのは初めてですよね? 私はリインフォースUです。皆さんと一緒に戦う仲間なんです」
「あ、ああ。聖祥学園中等部三年、テニス部部長、手塚国光だ。以後、よろしく頼む」

 さすがにこの天真爛漫さには、手塚君も面食らったようだ。
 そういえば、昨日はお互いすれ違いのように出会っただけなので、言葉は交わしていなかったかもしれない。

「早速ですけど、手塚さんのバリアジャケット作成のために、体の大きさを測らせて欲しいんです」
「ああ、分かった」
「それじゃあ、手塚さんのお部屋の方に行きましょう! では、私たちはこれで」
「あ、うん。二人とも、またね」

 リインは手塚君を連れ添い行ってしまった。
 相変わらず、子供のような元気さを持っているなと思い、私はそれを見て、自分の年齢を考えさせられることになった。
 
「はあ……二十手前かぁ」
「ちょっとなのは、声に出して言わないで。私だって同じなんだから」

 それもそうだ。
 お互いため息をつくと、苦笑いでお互いの顔を見つめた。

「手塚くんって中学生だよね、十四歳だよね。羨ましいよねぇ」
「そんな人生終わりみたいなこと言って、まだまだこれからなんだから、元気出さないと」

 そうは言っても、もう二十になると考えるだけで、今までの人生を振り返らざるを得ない。
 九歳で魔法少女として戦い始め、今日になるまでそれはずっと続いて……楽しいことは何かあったんだろうか。

「恋の一つもした記憶がありません。高町なのはは、今まで男の人と手を繋ぐ回数よりも、放った砲撃の回数のほうが多いくらい、仕事熱心です」

 自分で言っていて虚しくなる。
 仕事熱心なのは、誰かからそうしろと言われ、そうしなければ世界の危機だと分かっていたからだ。
 正直、ここまでする必要があったのかは疑問だ。自分の幸せよりも、より多くの人の幸せを優先することは、きっと美しいのだけれど、心は潤わない。

「出会いが無いわけじゃないと思うよ。ほら、ここにだっている訳だしね」
「そりゃあいるよ。でも、それはスーパーとかでバラ売りされているジャガイモみたいなものでしょ。安くってたくさんあるってだけ」
「ひどいことを言うなぁ、なのはは」

 けれど、それは自分も分かると付け加え、フェイトちゃんは小さく微笑んだ。
 結局のところ、お互いそんな出会いもなかったからこそ、今があるということなんだろう。

「フェイトちゃんが男の子ならよかったのに」
「それは……無理かな」
「分かってるよ、言ってみただけ。それに、これだけ長く付き合ってると、今更恋人っていうのもねえ」
「倦怠期っていうか、お互いある程度線を引いてるから付き合えるって言うのもあるからね。四六時中一緒にいるってなったら、今はちょっと」

 年齢が上がるにつれて、昔のようにベッタリとした付き合い方はできなくなっていた。
 もちろんフェイトちゃんのことは好きなのだけれど、どうしても心は理性的に体を抑制してしまう。

「ちなみに、フェイトちゃんの理想って?」
「う〜ん、カッコよくって、頭がよくて、スタイルがよくて、私とずっと一緒に居てくれる人かな」
「うわ〜王子様が現れるまで待つっていう心ですか」
「そんな、天然記念物を見るような目で見ないでよ。なのはだって、似たようなものでしょ」
「……まあ」

 男の人と付き合ったことが無いから、どういう人が言いかなんて、月並みのことしか言えない。
 カッコよくて、背が高い。おぼろげな理想像は、取りとめも無い妄想が生んだ産物で、実際にこんな人がいいなんていうものはない。

「あ、でも手塚くんって、まさにその通りの人かもね」
「───え?」

 唐突に出てきた手塚くんという言葉に、私は思わず心を動かされてしまった。
 背が高くって、カッコよくて、おまけに強い。確かに理想的な男性っていうのは、その通りだと思う。

「で、でもでも、中学生だっていうし、歳の差もあるし……」
「愛に歳の差は関係ないってね」
「うう、でも……」
「……ちょっとなのは、どうしたの? 冗談、冗談だよ」
「あ、冗談? あ、あはは、もう、本気にしちゃったよ」

 本気で手塚くんのことを考えていた。
 昨日、腕に抱えられて感じた胸の高鳴りだとか、今日のように颯爽と現れて、私たちを助けてくれたことだとか、色々だ。
 どんなに考えても、彼はけなす要素の無い人で、もし、告白などされたとしたら、私は……。

「顔、赤いよ?」
「えええ!?」

 思わず自分の顔を触って確かめる。熱い、とっても熱い。

「もう、いつまで経ってもウブなんだから。ちょっと身近な人の話をしただけなのに」
「あはは……」

 フェイトちゃんがそう思ってくれたみたいで助かった。もし私が本気で考えたなんて知ったら……どうなるかは分からないけれど、少なくともいい方向には行かないだろう。
 私はそこでこの話を切り上げ、別の、関係のない話を振った。
 でも、その間中もずっと、頭は一つのことを考え続けていた。
 手塚国光、彼のことを、もっとよく知りたいと。


・SIDE リインフォースU


 手塚さんの部屋に入ると、そこは整然としていて、ゴミの一つも見つからなかった。
 来たことが昨日ということを考えたら、それは当然なのだろうけど、この手塚国光という人は、きっと何年経ってもこの清潔さを保っていそうだな、と私は思う。
 今日は久々に体を大きくした。メジャーを使って体の大きさを測るためには、いつもの大きさじゃ不便だから。燃費が悪いから、早く終わらせないとならない。

「それじゃあ、身長を測りますよ〜」
「ああ、よろしく頼む」

 まずはメジャーの端を足に添え、そのまま頭へ……。

「と、届きません!」

 高い、果てしなく高い。それこそまさに、山のようだった。
 私は大きくなったといっても、せいぜい150センチあるかないか位で、手塚さんの180センチ近い長身までは到底届かない。

「大丈夫か?」
「は、はい。もちろんです!」

 こうなったら、足りない部分は飛んで補うしかない。
 私は右手にメジャーを持ち、身構えた。

「それじゃあ、行きますよ」
「……なにやら少し前に見たような展開だ」

 少しの助走をつけて、私は飛び上がった。
 手塚さんの頭のてっぺんまでメジャーを伸ばし、固定する。これで終了だ。
 あ、でも、落ちることを計算に入れていなかった。

「あわわわわ!!」

 だから、当然勢いづいた体は止まらずに、そのまま手塚さんとぶつかってしまうわけで。

「むぅ!?」

 そのまま、二人して情けなく地面に叩きつけられてしまうことになるのは、当然といえば当然だった。
 大変だ、手塚さんを下敷きにしてしまっている。私は痛みで閉じていた目を開け、すぐに起き上がろうと……。

「む……むぅ!?」

 その先にはもっと大変なことが起こっていた。
 唇が、私と手塚さんの唇同士が、空気の入る隙間が無いほどに密着───キスをしてしまっていた。
 ボンッ! という効果音でも出しそうな勢いで、私は全身を朱に染める。熱い、体中が。

「ぷはっ! す、すみません手塚さん!!」

 はっと気づく。
 今の自分の体勢は、手塚さんを足で挟み込むような形でまたぎ、のしかかっているというものだ。
 それはまさに、襲いかかろうとしているようでいて、しかも、そこにはキスなんていうオマケまでつけてしまっていて。

「はわわわ!!」
「お、落ち着け。体を揺すらないでくれ、その、少し……」

 言われて気づいた。私は今、手塚さんのおなかの下あたりに腰を下ろしている。
 そこはつまり、その、なんというか、刺激にとても弱い場所と思われて、今私が揺すったりしようものなら……。

「はわ! き、気づかなくてごめんなさい!!」
「だ、大丈夫だ。気にするな」

 気にするなと言われて気にしないのは無理だ。
 もし、手塚さんが転んで、私が下敷きになってしまったのなら、それはいい。私が笑って許せばそれでいいから。
 でも、私の状況はまるで逆。押し倒されたならまだしも、押し倒してしまったらどうしたらいいか分からない。
 まるで私が手塚さんを襲っているような、そんな構図が、今目の前にある。 

「あ、あのその、どう謝っていいか……。とにかく、ごめんなさい!」
「分かった! 分かったから、細かな動きをしないでくれ!」
「はわわわ! 元気になっちゃいましたか!?」
「……そ、そういうことを言うな」

 やっとこさ、私は手塚さんの体の上から離れることができた。
 手塚さんは思いっきり恥ずかしそうで、いつもの冷静な表情が、やるせない感じに歪んでいた。

「ご、ごめんなさいです。その、そういうつもりじゃなかったんです」
「気にするな、俺は、その、気にしてはいない」

 それを真に受けるほど、私は正直者じゃない。
 どう考えても悪いのは私で、手塚さんは一方的な被害者だ。
 
「あの、その……私、どうやってお詫びをしたらいいか」
「そういうことを気にするなと言いたいんだ。俺は何ともないのだから、リインフォースは気にする必要など無い」
「気にします! 私だって、女の子なんですから!!」
 
 手塚さんは中学生で、情操教育の途中に、こんなはしたないことをされて……平気であるはずなんて無い。私だって、平静でいられない。
 私がキスをするのは、きっとこれが初めてのことで、もしかしたら手塚さんもそうかもしれない。だとしたら、これは謝って済まされるんだろうか。

「……意識、させちゃいましたよね」
「していないといえば嘘になる」

 視線を横に逸らしながら、手塚さんが恥ずかしそうに言った。
 多分、私が何を言っているのかは分かっているんだろう。

「あの、リインはその、人間じゃないです。だから、その……」

 もし、何かを求められても───恋人同士のこととか───それは、きっと叶わないこと。
 私の体は私だけのものでなく、マイスターはやてのものでもあるから。
 だけど、私は……。

「人間であろうとなかろうと、関係はないだろう」
「……え?」
「リインフォースは共に戦う仲間だと聞く。そうであるならば、俺は何も気にしない」
「あ、あの、それは……その、リインでも恋人とかになれるってことですか?」
「え? ああ、そうしたことを理由に、身を引くことはないだろう。もし、好きな相手がいるのであれば、それが人間だろうと関係なくだ」

 ほんの少し、頬を染めながらも私の事を一生懸命に話す手塚さん。
 嬉しかった。普段、表立っては出していないけど、やっぱり私は人ではないという意識はあって、他のみんなとは、どこか一線を引いてしまうようなところがあったから。
 
「ふふ、でもそれを通すと、私は手塚さんに色んなことをしてあげなくちゃいけないですよ。人間じゃないからって、断ろうとしてたんですから」
「あ……。いや、そういう意味で言ったのでは」
「もちろん分かってます。手塚さん、優しいです」

 今度は完璧に真っ赤だった。
 横に逸らしていた視線は、とうとう下へ行ってしまい、見ているだけで笑みがこぼれそうなほど、可愛らしかった。

「考えてみたら、立って図る必要はありませんでした。寝転んでもらえばよかったです」
「そ、それを先に言ってくれ……」

 ため息をつく手塚さん。まだその頬は赤く染まっていた。
 だから私は、また悪戯のように聞く。

「手塚さん、意識しちゃいました?」

 そうすると手塚さんは、小さく。

「……お詫びとやらは、バリアジャケットの完成でお願いする」

 とこぼした。
 楽しかった。思わず声を出して笑ってしまうほどに。
 もちろん、そんな笑い声は手塚さんをさらに赤く染めることになったのだけれど。

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