須賀が龍門渕邸に顔を出すや否や、一はその前にドンと立ちふさがる。

「表へ出ろ!」
「えっ……今来たばっかりなんスけど」

 有無を言わさず、一は須賀の腕を引っ張って外へと連れ出した。
 照りつける太陽が、じりじりと二人の肌を焼くが、それ以上に一の頭は熱く滾っている。

「お前、透華に雇われたんだよな」
「ああ」
「ふん……」

 特に何の感慨もなさそうに頷いた須賀を見ていると、一の心はどうしようもなくいらだっていく。
 透華に声をかけられるということは、すごいことだ。それをこの男はまるで分かっていないのだ。

「だけど、ボクは認めていない」
「それって、どういうことだ?」
「お前にはこの家の敷居を跨ぐ権利はまだないってことだよ」

 須賀はうんざりしたように顔をしかめた。
 呼び出されてきてみれば、いきなりの門前払いだ。一もそれはいささか理不尽に思うだろうとは考えた。しかし、だからといってこれは引けない。

「お前がこの家に入るためには、ボクがお前のことを認める必要がある」
「何だそりゃ。どうしてそんな……」
「つべこべ言うな! そういう決まりになったんだ!」

 ぶつぶつと言う男は嫌いだった。男に限らず、はっきりしない人間は皆嫌いだ。
 
「どうすれば認めてくれる?」
「……そうだな」

 一は考えた。
 正直、一はこの男の人柄云々がどうであれ、家に入れるつもりはなかった。
 一の中にある須賀のイメージは、透華についた悪い虫。これ以上透華にまとわりつかせないためには、切り離してやるのが一番だ。
 衣が待っている男ではあったが、それ以上に透華に男が引っ付いている状況が許せない。
 けれども、ただ帰れと言うわけにはいかない。納得のいく理由をつきつけ、須賀を自ら引かせなければならなかった。

「まずは人格だ。この家に入る以上、粗雑だったり横暴だったりしちゃいけない」
「……はぁ。でもそれはどう調べるんで?」
「こういう時頼りになるのは、お前の近くにいる人間だな」
「げっ。それってつまり」
「ああ、清澄の麻雀部に行くぞ」

 一はさっさと歩き出す。須賀について来いとも、待っていろとも言わずに。
 けれど、後から小走りでついてきた須賀は、数秒で一との差をつめてしまう。その歩幅の違いが、馬鹿にされているようで悔しかった。



 清澄へと向かう途中、一は須賀と普通に会話していた。
 最初は無視してやろうと思ったが、露骨に避けていると思われれば、自分が下す評価に納得せず、透華に直談判してしまうかもしれない。国広一は自分を最初から家に入れるつもりはなかったんだと。
 それは避けたいことだった。一としては、なるべく穏便に見せかけて須賀を排除したい。
 散々考え、一は須賀との会話を受け入れることを決意した。

「うちの部員に聞くって事は……その、部長とかにも聞くってことだよな」
「そりゃ部長なんだから当然だろ」
「……普通はそうだろうけどさ」
「何だ。含みのありそうな言い方だな」
「うちの部長、絶対あることないこと言ってくるぜ」
「…………」

 一の頭の中にある竹井像は薄ぼんやりとしている。
 あまり面識もないのだから当然なのだが、透華から奔放な人だと聞いていたため、不思議と小さなイメージがあったのだ。
 しかし、須賀の言葉から察するに、どうにも真面目な人間ではないらしい。
 そう思わせる須賀の作戦かもしれなかったが、話してみる限り、そこまで頭を回すタイプではなさそうだった。
 期待半分不安半分。一は清澄へと向かう───。



「何、須賀くんのことが聞きたいって?」

 清澄の麻雀部につくなり、一は早速竹井に声をかけていた。
 須賀は外で待たせてある。目の前にいられると、部員たちも中々本当のことを言いにくいだろうと考えたのだ。

「まあ、私の手となり足となりって感じ?」
「はぁ……?」
「ツーと言えばカー。山と言えば川。つまり、以心伝心なわけよ」
「ああ……それで?」
「須賀くんは学校近くのラーメン屋のギョーザ無料券を沢山持ってるわね」
「は?」
「だから、私がギョーザ食べたくなったらすぐ持ってこれるわけ」

 頭が痛くなってきた。
 竹井の話はあまりにも一が聞きたいことから外れている。
 
「そうじゃなくて、もう少し人間性が分かるような」
「逆立ちで十分くらい平気よ彼は」
「だから……」
「あと、貧乳萌えね」

 ギクッとした。
 一瞬、透華の胸のことを考え、確かにないなと思ってしまった。
 瞬間、いや待てと己を律する。そもそも竹井の言っていることは、本当なのかどうかの確証がまったくない。
 怖くなった一は、一旦部室の外に出て、待機していた須賀に真偽を問いただすことにした。

「───ってことを言われたんだ」
「何で俺がラーメン屋通ってるみたいな設定になってるんだよ! ありそうでねーって!」
「……やっぱ嘘か」
「部長ひでぇな。俺が目の前にいても同じこと言いそうだ」
「……全部嘘か?」
「俺は十分も逆立ち出来ないぞ」
「貧乳萌えってのは」
「大きいほうが好きだ」

 瞬間、一は須賀のむこうずねを蹴っ飛ばす。

「痛っ! な、何すんだよ!?」
「知るか!」

 透華を馬鹿にされたような気がして、思わず蹴っ飛ばしてしまった。それだけではない、一自身、それほど豊かとはいえない胸のふくらみはコンプレックスなのだ。
 それを当たり前のように大きいのがいいと言い切った須賀には殺意さえ覚える。好きで小さいのではない。体格がそうなってしまっているのだ。

「(って、別にボクのことはいいんだよ……)」

 一は気を取り直し、次なる人物へ聞き取りを開始する。

「京ちゃんのことです?」
「ああ、そうだ。人柄とか、そういうのを頼む」

 宮永咲。須賀の幼馴染である彼女からは、先ほどの竹井よりも有益な情報が引き出せるだろう。

「う〜ん。ずうっと一緒にいたけど、嫌だって思ったことないかなぁ。人が嫌がることは絶対しないし」
「ふん」
「遠足の時お弁当忘れたら『しょーがねーな』って分けてくれたり、病気の時に一緒にいてくれたり……」
「……ふん」

 段々聞いていて辛くなってきた。
 これはもうのろけだ。仲の良い幼馴染同士の、ただの自慢話だ。
 これでは悪いところなんて利きだせそうにない。

「わ、分かったもういい」
「そうですか?」

 話を打ち切り、一はすぐさま次の人物へと目を向ける。
 原村和。透華のライバルである彼女を前に、一もさすがに緊張の色が隠せなかった。
 しかし、ここまできて引くわけには行かない。意を決し、一は原村に話を持ちかける。

「須賀くんのことですか」
「ああ……頼む」
「……浮気者ですね」

 原村の言葉と、そして刺すような視線に一は思わず背筋がピンと伸びる。
 
「何人もの女性と交際しているにも関わらず、いつまでもフラフラと……」
「(こ、怖い……)」

 念願叶い、須賀の悪い部分を聞き出せたのは良かったが、原村の冷たい声が怖すぎてそれを喜ぶ気にもなれない。
 決して怒りに声が震えているわけではなく、冷静に言葉を吐いている。それがたまらなく怖いのだ。

「───以上です」
「あ、は……い」

 一はそそくさと麻雀部を後にした。
 扉を出、そこにいた須賀の手をつかむと、一目散に退散する。
 須賀には何が何だか分からなかっただろうが、今はとにかくこの場から逃げ出したかった。



「原村和って怖いな……」
「そ、そうか?」

 帰りながら、一は先ほどの原村の様子を須賀に報告する。
 そうでもしないと、恐怖が拭えないのだ。

「普段は普通にしてるけどな。まあ、確かに何かあるとキレちまうって所があるみたいだけど……」
「透華もあんな怖いのをライバル視してるだなんて、本当に度胸があるよ」

 話しながら歩いていると、次第に恐怖も薄らいだ。
 須賀の物怖じしない態度もよかったのかもしれない。この時ばかりは一も須賀に感謝せざるを得なかった。
 しかし、家に入れる入れないはまた別の話だ。
 浮気という話を一は忘れていなかった。
 透華に始まり、美穂子や桃子とも仲がいいらしい。須賀はハーレムでも作るつもりなのだろうか。

「……いやらしい」

 つい言葉に出してしまった。
 複数の女性をはべらせるなど、一にとっては理解しがたいことだった。

「何か言ったか?」

 何も言っていない、と言おうかとも思ったが、この際、とことん追求してみようと言う気持ちが一の中で湧き上がってきた。

「お前、透華の他にも仲いい女がいるだろ」
「ああ……」
「浮気者」
「う、浮気って! 俺は誰とも付き合ってない!」
「付き合ってなくたって、不特定多数の女と仲良くしてるなんて不純だろ!」
「普通に友達として会ってるだけだぞ」
「じゃあ、透華とは一切何もないって言い切るのかっ!?」

 須賀は言葉に詰まった。
 そもそも、須賀にその気があろうとなかろうと、透華のほうが気に入っているのだ。
 片思いでも女が主導であれば、流れは早い。
 だが一が確かめたかったのは、須賀の意思だ。須賀が一緒にいたいと思っていないのであれば、透華の気持ちがどうあれ、一は二人を引き離すつもりでいた。

「……好きだよ」
「むっ」

 意外だった。
 お互いは友達であり恋愛感情はないと言い切ると思っていたのだ。
 
「じゃあ福路や東横のことはどうなるんだよ」
「好きだよ。二人とも好きだ」
「お前……それを浮気って言うんだよ」

 一は怒りを通り越して呆れた。
 須賀の言葉はまるで子供のようだ。己の言葉の意味も分からず、ただ口に出してしまう子供と同じ。

「だったらそれでもいい」
「な、何だって?」
「浮気だとか言われても、それでも俺は皆好きだ。それが俺の気持ちなんだよ」

 馬鹿だった。須賀は己の感情に素直な馬鹿だった。
 
「……そう」

 一ももう何も言い返すことはなかった。
 馬鹿が馬鹿なことを言っている。だとすれば、それは正しいことだ。馬鹿なのだから。
 それに一は少し怖かったのだ。もし、須賀が透華以外の人間を選び、結果透華が傷つくことが。
 透華の思いは本物だ。だからこそ、選ばれなければその傷は深い。表面は取り繕えても、心の深い部分についた傷はきっとすぐには癒えないだろう。

「(だからって浮気はダメだ。誰も幸せになれやしない)」

 一は再度自分の考えをまとめると、胸を張って歩き出す。
 透華は須賀のことが好きだ。しかし須賀は、透華に限らず、他の女性に対しても好きだと言う。
 それではダメだと一は考える。不特定多数の女性と恋愛関係にある男が、透華と付き合うだなんて耐えられない。
 須賀には、他の女性ではなく、透華一筋になってもらわなければ。

「(って、どうして二人が付き合う方向に考えが進むんだよ)」

 けれど、須賀が透華を選ばなければ透華は悲しむのだ。しかし、しかし……。
 堂々巡りの思考に、一はついに嫌気がさした。
 
「そういやさ」

 唐突に須賀が話しかけてきた。
 
「国広ってマジシャンなんだって?」
「……透華から聞いたのか。そうだよ、昔ね」
「やめちまったのか」
「透華の世話をするのに、マジックは必要ないだろ。それに……」

 一は腕の鎖をじゃらりと鳴らす。

「それって何なんだ?」
「見ての通りさ。こうしてボクは腕を封印している。だからマジックは出来ないんだ」

 鎖には色々な思いが込められている。
 けれど、束縛は絆であり、一がここにいられる理由であった。これをつけることに迷いもためらいもない。
 だから、哀れみの視線なんてものは受けるいわれはなかった。

「何だかよくわかんねーけど、もう出来ないんだな」
「ああ」

 嘘だった。この程度の枷があったとしても、一の腕は少しも鈍ることはない。
 だけど、一はマジックを行わない。それは拘束のせいではなく、一の意思だ。

「……須賀。今日はもういい。続きは明日にしよう」
「え? ああ、それでいいならいいけど」

 一の言葉にきょとんとした様子の須賀だったが、特に異を唱えることもなく、そそくさと退散していった。
 本当なら、一は今日一日で須賀に見切りをつけるつもりだったが、その考えは浅はかだったと後悔する。
 何故なら、事は須賀に門前払いをつきつけただけでは解決しないのだ。
 もう少し考える時間が欲しかった。結局一には、問題を先送りにする仕方なかった。



 龍門渕邸に帰ると、まずはふくれっつらの衣との対面が一を待ち構えていた。

「む!」

 言いたいことは分かっているだろうと言わんばかりに、衣は一を睨みつける。

「もう少し待って、衣。見極めたいんだ、あの男のことを」
「透華と衣が認めた男だぞ!」
「ボクだって二人と、その、家族のつもりなんだ。だから、二人が認めた男なら、ボクも認めてやりたいよ。でも、そのためには嘘偽りのないあいつを知らなくちゃいけないんだ。自分の目で見て、確かめたいんだ」
「……家族か」

 いささか卑怯な言葉ではあった。
 家族という言葉を出されては、衣は頷かざるをえないのだから。
 
「分かった。一がそういうのであれば、衣は待つ。だが……なるべく急いで欲しいぞ」

 衣は今日一日、期待に胸を膨らませながら待っていたのだ。
 そのことを思うと胸が痛い一であったが、だからといって今更引けない。

「頑張るよ」

 一言だけ残し、衣の前を去った。
 全ては明日だ───。

 

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