衣が連れられて来たのは、全国にチェーン店を持つ牛丼屋であった。

「おお……吉牛……」
「早い、安い、美味いの吉牛だ」
「おお!」

 衣は歓喜した。
 生まれてこの方、こんな店には入ったことがない。
 町を歩けば目に付く場所だが、一人ではどうしても入れなかったのだ。
 須賀と二人、テーブル席に向かい合い座る。
 
「ほらメニュー」

 メニューを見る。
 何だこれは。本当に肉ばかりだ。
 定食やカレーなどもあるが、やはりメインは牛豚の丼だろう。
 しかし迷う。牛も豚もどっちも食べたいのだ。

「お、おい。両方混ぜてはくれないのか?」
「なんだ、どっちも食いたいのか」
「ああ!」
「なら俺が牛頼むから、そっちは豚にすればいい」
「おお! 何たる知略!」

 衣は再び歓喜した。
 さっきから頬が引きつるほどの笑顔を浮かべ、落ち着かない様子で手を握ったり開いたりしている。

「そんなに期待してたのか。吉牛に」
「お前、吉牛だぞ。キン肉マンでも出てくるレベルの著名な店舗だ。心踊らないはずないだろう!」
「さいですか……」

 店員が注文をとりに来た。
 須賀がさっさと衣の分まで言ってしまいそうになるのには困ったが、とにかく、言いたいことは言った。

「衣のはつよだくだ!」

 衣は知っていた。
 吉牛には隠しメニューとして、つゆだくやネギ多めといったサプライズが用意されていると言うことを。
 須賀も驚いていた。まさか衣がここまで情報通だとは思わなかったのだろう。

「楽しみだな! つゆだく!!」

 三十秒後。

「お待たせしました」
「って早っ!」

 本当に早かった。
 待つのも楽しい時間だと思っていたが、吉牛の配膳速度は常軌を逸していた。
 恐らく店員は何らかの超人に違いない。だが、それを考えるよりもまずやることがある。

「さ! 牛と豚を半分ずつだ!」
「はいはい」

 衣の丼に、須賀の牛が盛られ、反対に衣の丼から豚が半分須賀の丼へと移った。
 まさに贅沢の極み。一品分の値段で両方が楽しめる。衣は今日ここに二人できたことを感謝した。

「食うぞ!」
「そ、そんな力まなくても」

 箸を握る手に思わず力が入る。
 肉とご飯を一緒に救い上げる。つゆだくと言っただけあって、汁気が多い。
 口に運ぶ。咀嚼、咀嚼。

「む!」

 安い肉だ。だがだからこそいい。
 昔、衣が食べていたような、百グラム九十円を切るような肉の味、感触。
 
「懐かしい」
「え? 来た事ないんだろ、ここ」
「昔、父様や母様と一緒に食卓を囲んだことを思い出した」
「ふぅん……そうか」

 衣の家庭事情を知らない須賀にとっては、衣の発言は捉えにくいものだっただろう。
 だが衣はそんなことを気にしている余裕はない。
 食べることに集中する。牛と豚、やはり牛の方が味が強い。クセになる味だった。
 作法も忘れかっこむ。近年稀に見る食欲だった。

「……ごちそうさま!」
「って早!」
「美味かったぞ!」

 美味いの定義は人それぞれだろうが、衣にとって、こういう安い味は、どんな高級食材を使った料理よりも親しみやすく、食べやすかった。
 幸福感。生きていることに感謝し、またいつの日か、この場所でこの味を楽しめることを願う。

「オーバー過ぎるだろ!」
「ひ、人の回想につっこみを入れるなっ!」
「口に出してるんだよ」
「ぬぬっ!?」

 どうやら感動のあまり、衣の口はいつもよりずっと軽くなってしまっていたらしい。

「何か、さっきと印象変わったな」
「そうか?」
「さっきまでは、何か硬くこわばった感じだったんだけど、今は何か柔らかくなってる気がする」
「そうかもな。美味いものを食えば調子も上がってくるということだ。父様と母様が言っていた。病は飯から、食べると言う字は、人が良くなると書く……と」

 須賀が食べ終わるまでの時間、衣は気分良く須賀と話していた。
 こんなに人と話すのは随分と久しぶりだった。今日一日だけで、一週間分くらいは会話をしている気がする。
 
「衣って、面白いな。変な知識はあるくせに、普通のことは知らないなんて」
「ふ、ふん。仕方ないだろう。衣には色々あるんだ」

 須賀は深い事情を聞いてこなかった。
 聞かれても説明に困ることだっただけに、これはありがたい。
 会話の最中、ふと両親のことでおかしなことを言ってしまってもつっこまないでくれるのは、須賀の優しさなのだろうか。
 何となく、衣はこの須賀という男の子とが気になった。

「……須賀、京太郎だったか」
「俺の名前? そうだ、清澄期待のエースってところだな」
「ふん、エースが試合に出れなくてどうする」
「痛いとこつくなー。はは」
「うむ、きょーたろ。きょーたろとこれからは呼んでやろう!」
「う、を省略しただけじゃねーか!」
「では、京ちゃんとでも呼べばいいか?」
「だーもう! それは咲の専売特許なのっ! って、言っても分からないよな」
「いいではないか、きょーたろ。言いやすいぞ。京太郎だと、妙に堅苦しくていけない」
「好きにしてくれ……。じゃあ俺も衣のことを、コロモッコリとでも呼んでやろう」
「んなっ!? なんだそのわけ分からんのは!!」

 喧騒はしばらく続いた……。



 食事を終えた二人は、今度こそゲーム屋へと向かう。
 ゲーム屋へと向かう道すがら、色々なものを見つけては立ち止まる衣と、それにいちいち解説をする須賀。
 数時間の間に、二人はまるで旧友のように接することが出来ていた。

「こ、ここがゲーム屋か」
「そうだ。この町で一番でかくて品揃えがいい店だ」

 目の前に広がるパッケージの山。
 ジャンル分けされているが、その一ジャンルを見るだけで小一時間かかりそうだ。

「ゲームとはこんなにも数があるものなのか?」
「ああ、もっとでかいところになら、もっとたくさんあるぞ」
「ふわぁ……気の遠くなるような話だ」

 適当にパッケージを手に取ってみてみるが、面白いかどうかの判断がまるで出来ない。
 裏にそれなりにゲームの説明が載っているものもあれば、まったく解説がなく、ただサンプルCGだけが貼り付けているものもある。

「きょーたろ。そういうのはどう判断するんだ?」
「パケ裏に説明が載っていないなら、ネットで調べるしかないからな。気になったなら帰って調べる。ま、大抵クソゲーだと思うけどな、そういうの」

 確かに解説の載っていないほうは、印刷も荒く、売れ筋のゲームのようには見えなかった。
 衣は元あった場所にパッケージを戻し、次の散策へと移った。

「まず、どういうジャンルから探すかだな」
「アクションやシューティングというのは分かる。だが、RPGだのアドベンチャーだのが分からないな」
「RPGはロールプレイングゲームの略だ。ま、他のゲームも言っちゃえばRPGだけどな。その辺は深く気にしないことだ」
「ふぅむ……。お、これは知っているぞ。ドラクエ、エフエフ、真・女神転生」
「その辺りはメジャータイトルだな。続編だったり外伝だったりと色々あるけど、一定の信頼がおけるチョイスだ」
「むむ、絶対的な信頼ではないのだな」
「当たり外れは結構あるし、システムが変わって面倒くさくなるってケースもあるな。だから一概に安牌とは言えないんだぜ」

 そのまま色々な棚を見て回ったが、やはりゲームを知らない衣にはぴんと来ない。

「ゲーム機というのは、一つじゃないんだな」
「主要なハードは今大体三つくらいかなぁ。そのハードがないと遊べないんだ」
「むむ、パソコン辺りで統一してしまえばいいと思うが」
「パソコンは利用者のスペックで不具合が色々出ちゃうからな」
「おお〜なるほど」

 中古のゲーム価格はピンキリで、缶ジュース程度の値段で変えるものもあれば、定価とそう変わらない値がついているものもある。
 どの道、一銭も持っていない衣には買えないものなのだが。

「対戦格闘とか、レースとか……。ふむ、相手がいないと遊べないのか」
「そうだな」
「む……衣には、ゲームで遊んでくれる友などいない。なら、これらのゲームは避けたほうがいいのだな」
「何言ってる。俺がいるだろ」
「む?」
「俺は全ジャンル……とは行かないまでも、そこそこ器用に色々できるぜ。お望みとあらば、対戦相手にでも練習台にでもなってやるさ」
「きょーたろ!」

 思わず須賀の腰に飛びついた。
 彼もまた、衣と友達になってくれる……透華たちのように。
 それが嬉しくて、気がついたら体が動いていた。
 そんな衣の頭を、須賀は優しく撫でる。事情は分からないものの、友達があまり多くはないという事実から、色々と察するものがあったのだろう。
 それからもしばらくゲームの話をしていたが、結局何がいいか判断するのは難しかったので、須賀が勧めるものを後日借りさせてもらうことになった。
 奥深いものだ。高々ディスク一枚に、すさまじい量の情報が詰め込まれ、それに人は一喜一憂する。
 またも衣の知らない世界を見せられて、今までの自分がいかに小さな世界で育ってきたかを痛感した。
 店舗を出て、少し歩く。
 もう須賀と衣は一緒にいる理由はない。
 この後二人とも家に戻り、また閉じこもった生活へと戻ってしまうのだ。
 そう思うと、衣はとても悲しくなった。
 今がずっと続けばいいと、切に願う。

「……きょーたろ」
「あん?」
「帰るのか?」
「どうすっかな。帰っても大してやることなんてないし」
「……衣もだ」
「はは、お互い暇人だな」

 衣は須賀の近くに寄り、きゅっと手を握った。
 こうしていれば、きっとまだ遊んでくれる。この男は自分の手を払いのけるようなことはしない。
 衣の願いは届いたのか、はたまた最初からその気だったのか、須賀は一言。

「次はどこ行く?」

 未来への道筋を示した。



 町は広かった。
 一人で歩いていた時、衣は前を見ているようで、気持ちは下を向いていた。
 自分一人、まるで違う生き物になってしまったかのような孤独感。知った顔もなく、流れていく人ごみの中、自分だけが取り残されていく。衣にとって、町とはそういう場所だった。
 けれども、二人で歩いているとまったく違う。
 例えば気にも留めなかったショーウィンドウ。壁に施された塗装。漏れ聞こえてくる会話。全てが新鮮に感じられた。
 衣は須賀のことを気にかけた。自分の世界を塗り替えていくこの男は、一体どんな人間なのかを知りたかったのだ。
 包み隠さず自分のことをあけすけに言う須賀。それを漏らさずに聞こうとする衣。
 そうしていると時の経つのも忘れてしまう。気づけば既に夕刻。

「ありゃ、もうこんな時間か」
「む……」

 衣の携帯には、現在時刻午後四時と表記されている。
 夏の一日は長いというが、既に太陽は沈みかけていた。

「きょーたろ……」

 まだまだ遊びたかった。
 面白い話、悲しい話、驚くような話。何でもいい、聞いていたかった。
 けれど、きっと誰もが帰る場所を持っていて、そこには待っている人がいる。ならば、衣のわがままで引き止めていてはいけないのだ。
 けれども、頭では分かっていても、心の中では葛藤が続く。
 結局のところ、衣も子供であったのだ。

「明日さ」
「うん」
「そこの神社で祭りがあるんだ」

 神社。先ほど通りがかった時、なにやら準備をしている人間が大勢いた。
 ちょうちんを吊るし、電飾をつけ、案内板を立てている姿が記憶に残っている。

「よかったら明日、一緒に行かないか?」
「衣、行っていいのか?」
「ああ。予定がないなら、ぜひな」
「行く! お祭り、行くぞ!」
「よし! じゃあ連絡先を交換しておくか」

 衣の電話帳に、須賀の名前が記された。
 決して多くはない友人たちの名の中に、新たに刻まれたその名。
 そして、須賀の電話帳にも衣の名前が記された。
 衣は一度電話帳に入れた人のことは、決して忘れない。何故なら、そこにあるのは大切な人たちの名前だからだ。
 ジャンル分けもされていない、簡素な文字列の中、衣のかけがえのない人たちの笑顔がそこにある。分ける必要もない、中途半端なものには教えるつもりのない情報だ。

「そうだ、せっかくだから他の人も呼ぶか」
「他の?」
「龍門渕さんとか、和とか、この間の大会に出てた人でさ」
「おお! 透華やののかと一緒にお祭りかっ!」
「他にも呼ぶと思うけど、心配すんな。みんないい人だ」
「きょーたろの友達なら、きっといい人だろう。衣は信頼しているぞ」
「うし、じゃあまた明日だ」
「また、明日か!」

 また明日。なんと希望に満ちた言葉だろうか。
 明日になればまた会えるのだ。いつかの未来ではなく、明日に。
 そうだ、そう思えば今日ここで別れるのも苦ではない。明日訪れるであろう楽しみのために、英気を養っておくのだ。

「また明日!」

 衣は大きな声で言うと、須賀に背を向けて走り出した。
 名残惜しい気持ちはあったが、振り返らない。明日へと希望を繋いだのだ。ならば衣は明日を待つ。

「……明日、明日か」

 期待に胸を膨らませる帰路であった。



 衣と別れたすぐ後、須賀は透華へと連絡を取った。
 
「……須賀? 何ですの、急に」
「あ、師匠。実は今日、天江衣と会って」
「衣と? ……そう、それで?」
「色々話してたんスけど、何か遊んで欲しいみたいで」
「ああ……わたくしが忙しくしていたからですわね。申し訳ございませんわ」

 電話越し、恐縮した透華の声が聞こえてくる。
 少し疲れているのか、いつもの覇気は感じられない。

「んで、せっかくだから明日の祭りに誘ってみたんスけど」
「祭り、そういえばありましたわね……」
「師匠も一緒に来てくれませんか?」
「なるほど、衣を最大限に楽しませようというわけですわね。いいですわ、この龍門渕透華。全力で祭りに参加させていただきますわ!」
「ぜ、全力でなくてもいいっスけど……。あ、それで他にも何人か呼びたいんで、これから声をかけます」
「……あまり突飛な人を呼んではいけませんわよ?」
「うちの部長のことですか?」
「いえ、まあ……あの方は大丈夫だと思いますけど。衣と合わなさそうな人は出来るだけ避けて」
「ああ、和とかなんで大丈夫だと思いますよ」
「は、原村和と一緒ですの!?」

 急に元気になった。
 やはり透華はいまだ原村のことを気にかけているようだ。

「まだ了解は取ってないスけど」
「そ、そうですわよね。ええ……そう、そのあたりは任せますわ」
「はいはいっと。それじゃ、詳しいことは後で連絡します」

 須賀は通話を切り、次の連絡先にすぐさま繋げた。

「あ、もしもし福路キャプテン?」
「あら、須賀くん?」
「明日、祭りあるんですけど一緒に来ませんか?」
「……っ!」

 美穂子がやたらと咳き込んだ。
 何か飲み物でも飲んでいたのかもしれない。

「い、行く。行くわ! 絶対に行くから!」
「そ、そうですか。それじゃ後で詳細を送りますんで」
「うん! 明日、楽しみにしてるから!」

 通話を切り、次の人物へ。

「もしもしモモちゃん?」
「あ、京くん。どうしたの?」
「明日お祭りがあるんだけどさ、一緒に行かない?」
「えっ!? わ、私とっすか?」
「うん、それで……」

 須賀が言葉を紡ぐより早く、桃子の側で何か大きな声が聞こえた。
 ややあって。 

「加治木だ」
「なんでモモちゃんの携帯に出てるんスか!?」
「話は後ろで聞かせてもらった。祭りか、いいな。すごくいいぞ」
「はぁ」
「私も行くぞ。モモと二人きりになどさせるものか」
「いいっスよ。どの道加治木先輩も誘うつもりでしたし」
「な、何!? ダ、ダブルデートという訳かっ!!」
「違いますよっ! 普通に遊びに行くだけじゃないっスか!!」
「そ、そうか……ならいい。うん、それならいいんだ。じゃあ、明日な」
「って、先輩……切りやがった」

 詳細はメールで送ればいいとして、さて最後だ。

「もしもし、和?」
「……須賀くんですか。どうかしましたか、携帯番号を教えてくれと切願したにも関わらず、最初の一回以外連絡してこなかったのに」
「いや、それは大して用もないのに連絡したら嫌かと思ったからで……って、それはいい」
「何かありました?」
「実はかくかくしかじかで」
「衣さんと一緒にですか……」
「師匠にはもう連絡したんだ。とりあえず、賑やかしって言うか、楽しくやれたらいいかなって」
「私、龍門渕さんのように周りを笑わせたりできませんよ?」
「いや、きっと師匠もそれは狙ってやってるわけじゃないだろう……。いいって、和は、いてくれるだけで場が和む」
「上手い事言ったつもりですか」
「い、いや……そういうわけじゃ」
「まあ、いいです。行きます。衣さんとは友達ですから」
「おう、ありがとな和!」
「え、ええ……それじゃ」

 これで全ての人間に約束は取り付けた。
 後は、祭り当日を待つばかりである。

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