美穂子はすっかりと浮き立っていた。
 祭りである。須賀である。デートである。
 人生において初である逢引を前に、美穂子の緊張は頂点に達していた。
 朱色の浴衣を着、髪を上げ、普段とは違う自分を演出する。白いうなじを強調できるこの髪形ならば、きっと何かそそるものがあるはずだ。
 そうした意気込みと共にやってきた祭り会場。
 人ごみの中、美穂子は想い人の姿を探す。

「(待ち合わせ場所は、鳥居の前だったはずだけど……)」

 時計を見ると、待ち合わせ時間の三十分前だ。
 早めに来ておこうと思ったが、どうやら少しばかり早すぎたようだ。
 仕方がない。美穂子は鳥居の前で待つことにした

「あら?」

 先客がいた。知った顔だ。と言っても、直接の面識はない。
 龍門渕透華。決勝まで勝ち残ってきた強豪校のメンバー。
 その時の透華は、お嬢様然としたしゃべり方と立ち居振る舞いで、その存在感を際立たせていたが、そんな高貴な彼女が何故庶民の祭りなどに参加しているのだろうか?
 透華のほうを見ていると、彼女も美穂子に気づいたようだ。

「風越の……福路、美穂子さんでしたわね」
「ええ、龍門渕の透華さん」

 軽い会釈。
 決勝でぶつかり合ったとはいえ、そうした事をわざわざ日常にまで持ち込むつもりはない。
 
「あなたもお祭りですの?」
「その、誘われていて」
「あら、待ち合わせはここで?」
「はい」
「……奇遇ですわね。わたくしもここで待ち合わせですの」
「じゃあ、せっかくですからご一緒に」
「よろしくてよ」

 さて、少しばかりの違和感。
 果たして透華を待たせるような人間はどれほどいるのだろう。
 龍門渕の麻雀部だろうか。親と言うことはないだろうし。
 
「待ち合わせは何時なんですか?」
「……後三十分はありますわね」
「えっ?」
「まあ、ちょっと早くつきすぎた感はありますれども、遅れるよりはマシでしょう。浴衣のこともありましたし」

 透華はあでやかた浴衣姿だ。
 髪はいつも通りだが、それでも目を引き付けるものはあるだろう。
 白と桃色を取り合わせ、模様は抽象的な線が、縦横無尽に描かれている。
 美穂子には良く分からないが、恐らくは高名なアーティストによるデザインか何かなのだろう。でたらめな線のように見えて、どこかまとまりがあるようにも見えてくる。
 ……それにしても、待ち合わせ時間が同じとは驚いた。
 けれども、祭りが始まる時間は決まっているわけだし、それなら待ち合わせの時間が被ることはよくあるだろう。

「龍門渕の麻雀部の方たちと?」
「いえ……今日は何というか、少し特殊でして」
「特殊、ですか」

 何だろう。祭りで待ち合わせだ何て、デートくらいしか思い浮かばない。自分がそうだからかもしれないが。
 まさか、彼女もそうなのだろうか? 美穂子はまだ見ぬ透華の彼氏を夢想する。

「べ、別にそういうんじゃありませんわよ」
「えっ、違うの?」
「……天江衣という選手がいたことは覚えてらして?」
「覚えてます」

 ウサギの耳のようなリボンをつけた、小さな子。かわいらしい子。
 けれども一度戦えば、そんな生易しい印象は一変する。
 美穂子は直接対峙したわけではなかったが、映像越しにもその異様さはひしひしと伝わっていた。

「あの子と、その……遊ぶ約束を」
「そうだったんですか」

 別に口ごもるようなことでもないと美穂子は思ったが、それなりに事情があるようだ。
 深く突っ込んだ話はしないほうがいいだろう。
 
「あなたの方は、風越の方々と?」
「私は……ふふ、ちょっと」
「あら、気になる笑い方ですわね。ひょっとして、何か桃色な……」
「さぁどうかしら」

 美穂子はまだ知らなかった。
 自分の思い込みがただの勘違いであると言うことを───。



「モモ! 早くしないと祭りの時間に遅れてしまうぞ!」
「ちょ、ちょっと待ってください先輩」

 桃子と加治木は揃って祭り会場へと向かっていた。
 加治木がすごい速さで進んでいくので、桃子はそれに離されないようについていく。

「大体、まだ時間十分前っすよ?」
「祭りはなぁ、始まる前が一番楽しいのだ」
「そ、そうなんすか」

 桃子は加治木のやたらと高いテンションに面食らっていた。
 浴衣は着ないまでも、服装はいつもよりぐっと力の入ったものとなっているし、何より表情がとびきり明るい。
 祭りの出店をどう回るかの算段や、込み具合から考える最適な並び順などなど、加治木は一人でも楽しむ気満々のようだ。
 桃子はというと、祭り自体はそれほど興味はなく、ただ須賀と一緒にいられることを楽しみにしていた。
 浴衣も思い切って買ってみた。夜の風景に花火をあしらった、極めて基本的な模様だったが、自分の黒髪にも合うだろうと考えてこれにした。
 一番に須賀に見せたかったが、加治木と一緒に行くのであればそういうわけにもいかない。 
 加治木は桃子の浴衣を見て、飾り気のない言葉で『よく似合う』と言ってくれた。それは今の自分への自信へと繋がっている。
 会場が見えてきた。大勢の人でごった返す中、いつの間にか加治木が自分の手を握っていることに気づく。

「はぐれるなよ」
「はい」

 きっと、一度はぐれたらそれきり出会えないかもしれない。
 携帯もあるから大丈夫だと思うが、桃子にはステルスがある。せめて祭りの時くらいは、自分の特殊な力を意識しないでいたかった。
 待ち合わせ場所の鳥居の前には、幾人か同じように待ち合わせをしているのであろう集団がいた。
 その中に、見知った顔を発見する。

「む? あれは龍門渕透華に、福路美穂子か」
「本当っすね」

 二人が一緒だなんて珍しい。
 桃子は予想外の状況で美穂子と出会い、透華と対局をしていて、二人の間に特に接点がないことを知っている。
 まあ、いい。桃子は深くは考えなかった。
 ひとまず二人に挨拶を。特に世話になった美穂子には、改めてあの時のお礼を。間接的に透華にも世話になっているが、まさか負けてくれてありがとうとは言いにくい。
 二人が近寄ると、それに気づいた美穂子が驚きながらも手を振ってくれた。

「お久しぶり桃子ちゃん」
「お久しぶりっす美穂子先輩」

 二人はあれ以降仲良くなった。
 美穂子は右目さえ開いていれば、常時桃子のことを見られたし、とびきり優しくてすごく綺麗であった。桃子にとってはいろいろな意味で参考にしたい女性の一人。
 対して美穂子のほうも、桃子のことを放っておけない荒廃だと思ったらしく、二人はアドレスの交換をしたり、たまにネット麻雀で対局したりと、どんどんと仲良くなっていった。

「珍しい組み合わせだな。龍門渕透華」
「あなたは……加治木ゆみ。偶然ですわね、龍門渕、風越、それに鶴賀の麻雀部が一同に介するなんて」
「これで清澄が来たら、全国決勝カルテットっすね」
「ふむ、じゃあカルテットは確定というわけか。清澄のヤツが来るわけだし」

 加治木の言葉に、透華と美穂子はえっ? と思わず聞き返していた。

「清澄の人と一緒に回るんですか?」
「そうだ。モモとそいつの二人がメインで、私はお目付け役と言ったところだ」
「お目付け役のわりに、ものすごくはしゃいでるじゃないっすか」
「う、うるさいぞ」

 清澄と言う言葉に、透華と美穂子の二人は思考をめぐらせる。
 
「どう思います?」
「……いるとすれば、原村さんとか? ほら、一回対局してるわけですし」
「……原村、和……ということはつまり……」

 透華は何らかの答えにたどり着いたようだったが、美穂子にはさっぱりのだった。
 時間は進み、待ち合わせ時間まで、あと五分。



 祭りの喧騒。幼き頃に感じた興奮が蘇って来る。
 焼けるソースの匂いや、綿菓子の甘さ、そして空に打ち上げられる花火。
 衣の記憶には、薄ぼんやりとそれらが像をなしていた。

「そろそろつくぜ」

 須賀に手を引かれ、衣は歩く。
 浴衣を来た。子供サイズで尺が合ってしまうのが何とも不快だったが、袖を通した時はそんなことも忘れてはしゃいだ。
 薄い青色に、白い点をいくつか落とし、まるで夏の空のような印象を与える模様。あの日、両親のことを考えながら見上げていた空のようだった。
 似合っているかどうかを衣が不安に思う前に、すぐさま須賀が持ち上げてきた。むずがゆい。人に褒められることは慣れていない。
 買いに行く時も、祭りの会場に向かう今も、ずっと須賀に手を引かれている。
 嫌じゃなかった。こうしていると、やはり両親のことを思い出してしまうが、それはネガティブなことではなく、今と向き合うために必要なことだ。 
 過去、手を引いてくれた人。そして今、手を引いてくれる人。
 少しだけ、胸が高鳴った。祭りの熱気に当てられたのかもしれない。

「ひ、人がすごいな!」
「すごいなこりゃ!」

 須賀も驚いていた。
 道には大勢の浴衣姿。皆楽しそうに笑顔を浮かべ歩いている。
 色とりどりの世界。日が落ちて、街灯の明かりの中、それらは盛んに自己主張をしていた。
 果たして衣は、あれらの中で見劣りしていないだろうか。須賀は衣のことを見失ってしまったりしないだろうか。
 須賀を見上げると、それに気づき微笑み返された。

「例え俺が倒れても、第二、第三の俺が現れ、衣のことを守るだろう」
「なんだそれはっ!? 三つ子かお前は!」
「冗談だって。ま、衣は目立つから見失いやしねーよ」

 鳥居の前、待ち合わせ場所はそこだった。
 目立つ場所のわりに、意外とここで待ち合わせをする人がいないらしい。
 須賀は何度か祭りに来たことがあるようで、そうした情報を良く知っていた。
 
「ん、ありゃ和じゃないか」
「おお、あの胸はまさしく原村ののか!」
「そうだな、あのすいかみたいのは和しかいないよな」

 失礼なことを言いながら、須賀は原村に声をかけた。
 気さくな様子の須賀を見ていると、少しだけ心がざわつく。
 そういう時は、ぎゅっと手を握ってやるのだ。

「こんばんわ、衣さん」
「う、うん……こんばんわだ!」

 原村は薄く微笑んでる。
 すごく柔らかい雰囲気がどこか母親を思わせる。

「和にしちゃ時間ギリギリだな」
「浴衣を出すのにちょっと時間がかかって」

 原村の浴衣。
 表は明るめの薄い緑。裏はレモン色で、歩く時少しだけめくれてそれが見える。
 模様は特になく、地味な印象を与えるかと思いきや、そんなものよりもっと自己主張しているものがあるため、その心配は杞憂と言える。

「(胸が大きいと、押し込めるのも大変そうだな)」

 衣は自分の胸がここまで大きくなくてよかったと思った。
 しかし、須賀は一直線にその胸を凝視している。あまりのまっすぐさに、衣は何と言っていいのかすごく迷ったが、結局足を踏みつけた。

「痛いって!」
「ふん」

 原村には何が起こったのか良く分かっていないようだったが、いちいち説明するのも恥ずかしい。
 
「よし、きょーたろの友も待っているだろう。早く目的地に向かうぞ」

 衣は須賀の腕を引っ張り、強引に歩き出した。



 鳥居の前には、透華を含め四人の乙女たちが対峙していた。
 彼女たちは衣と、そして須賀と目を合わせると、一瞬えっという顔をしたが、どこか諦めたような表情になっていく。
 衣には良く分からなかった。深く考えてもしょうがない。

「皆、今日は集まってくれてありがとう」
「アイドルのコンサートじゃあるまいし……まったく。時間ちょうどとは恐れ入りますわ」
「ま、まあその辺は色々とあって。ほら」

 須賀は衣を、正確には衣の着ている浴衣を指差した。

「あら、可愛らしいですわね」
「本当……。ね、ぎゅ〜ってしていい?」
「ふむ、龍門渕の天江衣も、こうして見ると可憐な乙女だな」
「かわいいっす」

 一様に褒められて、衣はすっかり恥ずかしくなってしまった。
 顔を伏せ、須賀の後ろに隠れる。

「随分と懐かれているのね、須賀くん」

 その一言に透華がぎょっとした表情で振り向く。
 加治木も苦虫を噛み潰したような顔だ。

「友達っスから」

 須賀の返しにほっとしたのか、先の二人は肩をなでおろす。
 もしかすると、修羅場というやつだったのだろうか。衣にはよく分からなかった。

「ところで」
「はい」
「私たちも浴衣着てるんだけどな」

 美穂子がすっと須賀の隣に立つ。
 須賀の顔を斜めに見上げ、意地悪そうな笑みを浮かべている。
 
「福路キャプテンは……その、首のところとかいいですね。普段は髪を下ろしているからあんまり分かんないっスけど、こうして見ると、白くて綺麗で」
「あはは、そうかな?」
「そうっすよ」

 美穂子は褒められて上機嫌だ。
 だが、そう言われては他の女性陣が黙っているはずがない。

「須賀!」
「師匠!?」
「わたくしはどうです」
「師匠はてっきり、金ぴかとかそういうのかと思ってたので、すごい清楚なイメージの白と桃が意外で、しかもそれがすごく似合っていて驚きました」
「ふっ……ふふ。危なかったですわ、後一歩で、全身金に染め上げようとしていた所……」
「後、やっぱ師匠の髪長くていいっスよね。自己主張激しいところとか、まさに師匠って感じですよ」
「褒められているように聞こえませんわよ」
「俺はそういうの好きっスよ」
「ふん……」

 そっぽを向きながらも、どこか嬉しそうな透華。

「ならば須賀、この私はどう褒める」
「加治木先輩……浴衣じゃないじゃないですか。てか何故に制服……」
「普段着のバリエーションがないわけじゃないぞ。ただ、何となくそういう気分だっただけだ。さあ褒めろ」
「元々加治木先輩は綺麗なんですから、何着たって似合いますよ」
「そ、そう来たか。いいぞ、なかなかぐっと来た」

 加治木は満足げに頷くと、桃子を自分の前に押し出した。

「さ、行って来い」
「は、はい」
「モモちゃんか」
「ひ、久しぶりっすね、京くん」
「そうだな。あの時以来だな」
「……それで、その、どうっすかね」
「……黒い髪にすごく合うね。まさに大和撫子」
「え、えへへ」
「ちょっといい匂いするけど、香水?」
「あ、そうっすよ。ちょっとだけ試しにつけてみたんすけど」
「匂いがきつすぎなくていいね。ほのかに香る程度だ」
「私が選んだんだぞ」
「さすが加治木先輩、いいセンスっスね!」

 都合、加治木を二度も褒めることとなってしまった須賀。
 自分の役目は終わったとばかりに引っ込もうとしたのだが。

「須賀くん、私はどうなんですか」
「の、和」

 まだ大物が控えていた。

「和はもう色々醸し出しだろう……」
「何がですか」
「いやその、胸が」
「な、何ですかいやらしい目でっ!」
「だ、だって強調してる……」
「勝手にそうなってるだけです! 好きでしてるんじゃありませんっ!! まったく、他の人は褒めておいて、私だけ胸ですか? 須賀くんは浴衣よりも胸の方が気になるんですか?」
「面目ない」
「否定してくださいっ!」

 須賀と原村がコントをしている間に、鳥居の前にも人だかりが出来始めた。
 そろそろ祭りが開始されるという前触れだ。

「よ、よし! みんな、今日は目一杯頑張ろう!」
「ご、ごまかさないでください! 須賀くん!」



 流れ込んでくる大勢の人に押されながら、衣たちは祭りの会場へとやってきた。
 途端に聞こえてくる売込みの声。そこらじゅうから縦横無尽に響いてくる。

「きょ、きょーたろ。衣は一体、どう動けばいい?」
「そんなの、適当でいい……。けどま、今回はなるべく一緒に回りたいからな。一応段取り決めていくか」
「それならば任せておけ。こんなこともあろうかと、祭りの配置図から動き方を想定してきている」
「加治木先輩の準備の良さは半端ないな……」

 加治木が持参したマップは、会場を上空から見たものだった。
 いくつかの色が塗られ、それぞれ色ごとに何の店か分かるようになっている。

「まず最初に込むのはここだろう。去年もすごく並んでいた」
「そこは老舗ですから、この界隈では一番おいしいはずですわよ」
「龍門渕は詳しいのか?」
「いえ、この祭り自体、龍門渕も協力していますから」
「……それならもっと詳細なマップをあらかじめ横流ししてくれれば」
「あなたたちが来るなんて知りませんでしたし……」

 透華はちらりと原村の方を見る。

「マップなどなく、手探りで歩き回るのもいいかと思ったものですから」

 特に原村とであるならば、それは望むところであった。
 何だかんだと言いつつ、透華は原村にまだ執着しているのだ。

「……まぁ、確かにそれも面白くはあるが」
「お前たち。ひとまず遊ぶのか食べるのかだけでも決めるぞ! 衣は遊びたい!」
「ふむ……最初は皆やはり食事に向かう傾向にあるらしい。まず遊び、それから食事にしたほうがいいだろう」

 加治木のお墨付きが出たので、衣たちは歩き出す。
 が、気がつけば須賀と美穂子、それに原村が遅れている。
 
「どうしたんだあいつ等は」
「祭りではぐれるのは危ないっすから、少し待ってあげたほうがいいと思うっす」
「仕方ありませんわね」

 遅れていると言っても、ものの数分で須賀たちは追いついてきた。
 須賀の片腕を美穂子ががっちりと抑え、それを原村が後ろから睨みつけている。

『(怖っ! 原村和怖っ!!)』

 心の声が重なった。
 須賀は心なしか顔が青い。
 
「その、何かあったのか?」
「いや、その……福路キャプテンが横でがっちり俺をホールドしているので、遅れて」

 加治木たちは、そんなことは分かっている。それより後ろの原村のことだと言いたかったが、原村は衣たちと合流するとすぐに、睨みつけるのをやめてしまっていた。
 これ以上蒸し返すのは何か怖い。そう思った加治木は、それ以上の追求を諦めた。

「……あまり遅れるなよ。福路、お前は少し離れろ」
「しょうがないわね。須賀くん、それじゃまた」

 美穂子は特に反省の色もなく、さっと須賀のそばから離れていく。

「お前に隙があるからああいうことになるのだぞ」
「す、すいません加治木先輩」
「まあいい。私がガードする。しばらく私と共に歩け」
「う、ういっス」

 加治木にガードされながら、須賀は衣たちの後を追いかける。
 たどり着いたのは射的場だ。大きなぬいぐるみから、キャラメルの箱まで、大小様々な景品が並べられている。

「あれ! あれやりたいぞ!」
「はいはい、分かったよ」

 須賀はさっと店員にお金を渡すと、銃を借りて戻ってくる。

「撃ち方は分かるか?」
「大体分かるぞ!」
「大体じゃダメだろ……。ほら、この台に乗って」

 須賀は子供用の台を足元に置き、衣をその上に立たせる。

「こうか?」
「んで、こう銃を握って」

 衣の手を取りながら、銃の撃ち方を指南する須賀。
 玉を込め、撃つ直前までの準備も行う。

「どれを狙うよ」
「ふむ……あのぬいぐるみだな!」
「一番デカいのかよ!?」
「何だ、大きいと言っても、三十センチもあるまい?」
「それでも十分デカイよ。ま、やってみるだけやってみるか」

 須賀は衣の腕を支えながら、しっかりとぬいぐるみへと狙いをつけてやる。
 互いに夢中で気づいていないのだが、距離がかなり近い。
 後ろで見ている透華たちは気が気でなかった。

「須賀くん、面倒見がいいですね」

 原村は先ほど美穂子に向けていた視線とは打って変わって、慈愛の表情を浮かべている。
 そんな原村の表情に感化されてか、透華たちも須賀と衣の距離を深く考えるのをやめた。

「よし、狙い定めたら撃ってやれ」
「うむ!」

 放たれた玉は、一直線にぬいぐるみへと向かう。しかし、その重量を押し切ることは敵わず、儚くも玉は地面へと落下していった。
 
「あ、当たったのに落ちないのか……」
「重いんだよ。当たる場所云々より、ちょっとづつ押し出していかないと落ちないぜ」
「むむ……商魂たくましいな」

 玉は後二発だった。
 二発でぬいぐるみを落とせるかと言われると、衣にも自信がない。
 なにせ玉は軽いコルク製。当たったところで大した衝撃にはならないだろう。
 重心を考えて撃たなければ、先ほどの二の舞だ。
 衣はしっかりと狙いをつけ、二発目の弾丸を放つ。

「あ……」

 少し揺れたが、やはりぬいぐるみが落ちることはなかった。
 後一発。これで落ちなければ、今までの二発が無駄になる。

「衣ちゃん。あのぬいぐるみ、どうしても欲しい?」

 思い悩む衣に、美穂子が話しかけてきた。

「……欲しい」
「じゃ、ちょっと私に貸して」

 美穂子は衣の銃を取り、大きく深呼吸をする。
 右目が開かれた。美穂子はその瞬間神の視点を会得し、最適な射撃ポイントの検索を開始する。

「……ぬいぐるみの右頭部、そこに当たれば落ちるわ」
「わ、分かるのかそんなことが!?」
「ええ、でも残念ながら、そこを狙い打つ射撃センスが私にはないの」
「そうか……だが、仕方がないだろう。外れたら外れたまでのことだ」
「ちょっとお二人とも」
 
 今度は透華が前に出る。
 
「わたくしはクレー射撃の経験がありますわよ」
「おお! そういえば透華は本物の銃を撃ったことがあったな!」
「ありませんわよ! スポーツ競技ですわよ! ……ということで、わたくしは射撃には少しばかり自信がありますの」
「……じゃあ、頼んでいいかしら」
「お任せあれ」

 美穂子が指示し、透華が撃つ。
 衣はそれを須賀と共に後ろから見守ることしか出来なかった。

「だ、大丈夫だろうか」
「信じろって、俺たちの友達を」

 小さな深呼吸の後、透華は引き金をゆっくりと引く。
 玉はまっすぐにぬいぐるみの右頭部へと向かい、そして……。

「……ふぅ、ざっとこんなもんですわ」

 見事、ぬいぐるみを落とすことに成功した。

「透華っ!」

 衣は感極まって透華に抱きついた。
 急に背中から訪れた衝撃に、思わず透華は倒れこみそうになったが、そばにいた美穂子がそれを支えた。

「もう、本当にこのぬいぐるみが欲しかったのね」

 美穂子の手には、先ほど落としたぬいぐるみがあった。
 愛らしい表情をしたそれは、新しい主人に早速愛想を振りまいている。

「そうではない。お前たち二人が、こうして協力してくれたことが嬉しいのだ!」
「あら」
「ふふ」

 見詰め合う透華と美穂子。
 互いに麻雀部であり、決勝で戦ったと言うこと以外の接点を持たない二人であったが、衣のために手を取り合った。
 
「あなた、意外と見所がありますわね」
「龍門渕さんもね」

 衣のために集められたこの集まりであったが、思わぬところで横の繋がりを生むきっかけになっていた。
 その光景を眺める面々も、どこか緊張の糸がほぐれた様子だ。

「うむ、それでは次だ! 衣はまだまだ遊びたいぞ!」
「そうですわね。わたくしたちももう少し腕試しと参りましょうか」
「あら? 地元のお祭りで私に勝てるかしら」
「ふっ、私は祭り事においても頂点に立つ女ですわっ!」



 金魚すくい───。

「ふん、この町で金魚をすくうと言えば、私以上の人間はいないだろう」
「いや、鶴賀に入ってこのかた、そんな話は聞いたことないっすけど……」
「むう、加治木、そこまで言うならその腕を見せてくれ!」
「ああ、せいぜいその大きな目を見開いておくことだ」

 加治木はやおら右手を大きく後ろに振りかぶると、気合一閃、すさまじい速度でポイを着水させる。
 瞬間、跳ね上がった金魚をすかさず器へ回収する加治木。

「どうだ」
「衝撃でふっ飛ばしてるだけじゃないっスか!」
「それもまた技だ」
「禁止されてなきゃなんでもやっていいって顔しないで下さいよ!」

 須賀の突っ込みが冴え渡る中、衣の目は加治木にすくわれた金魚に向けられていた。

「おお、間近で見るのは初めてだぞ!」
「そうか……。だが、残念なことに、こういうところの金魚は持ち帰っても長生きできない」
「そ、そうなのか」
「悲しいがな。だから私は、キャッチアンドリリースを心情としている」

 加治木は器の金魚を再び水の中に戻す。

「おお……加治木は大人だな」

 衣は感心したが、彼女意外は皆『それならその技とやらの意味は何なのだ』という突っ込みを入れたくて仕方がなかった。
 しかし、衣の手前無粋なことを言うのは予想と配慮し、誰もが口をつぐんでいた。

「それなら、その技の使い道はどこにあるんですか?」

 しかし原村は空気が読めなかった。

「……揚げ物を、素早くとるとか」
「危ないだろうがっ!」

 ついに須賀も突っ込みを解禁してしまう。

「揚げ物か。ふむ、そろそろ衣はお腹が空いてきたぞ!」
「マップでは、この付近にはお好み焼きとたこ焼き……って、大体どこの場所でもこれは売ってるものね」
「この人数ですと、さすがに買いに行くのも一手間ですわね」
「あ、じゃあ自分に任せてくださいっす。ステルスしてれば順番待ちとか関係ないっすから」

 さらっと桃子が非常識なことを言ったが、そもそも桃子は列に並んでいても飛ばされてしまうので、そうする以外に買う方法がないのである。
 
「一人で全員分を買ってくるのは酷ですわよ。もう一人くらい……」
「あ、だったら京く」
「私が行くわ。桃子ちゃんのこと見失わないのは私だけだし」
「任せましたわ」
「う〜……」

 二人きりになれるチャンスを逃した桃子は、恨みがましく美穂子を見つめた。
 美穂子はそれを見て、とてもすがすがしい笑顔を見せる。事情を知っているものからすれば、とてつもなく怖い笑顔である。

「待機中が暇ですわね」
「須賀、面白い話をしてもいいぞ」
「俺っスか!? ……じゃあ、中学時代の咲の話でも」
「宮永さんの話ですか?」
「ああ、あいつの私服が───」

 その時、須賀は何か得体の知れない視線を感じ振り向いた。
 しかしそこには誰もいない。気のせいかと思い、話の続きを言おうとするが、そうすると再び背中に刺さるような視線が。

「……何か怖いな」
「どうしたんです?」
「こ、この話はやめにしよう」
「おいおい、言いかけておいてそれはないだろう」
「な、何か寒気がするんスよ」



 一方その頃、須賀たちの後ろでは。

「今、京ちゃんが私の失敗談を話そうとしてました」
「ふ、ふぅん……そう」

 咲と竹井であった。
 竹井は今回の祭りの件を須賀に聞いた際、自分は少し用事があるからと辞退したのだ。
 もちろんそれは後ろから須賀たちをストーキングするためだったのだが、当日会場を訪れた竹井は、負のオーラを前回で発する咲を発見してしまう。
 咲は須賀に誘われてすらいなかったのだ。
 透華や福路たちとの会合であればそれも理解できたが、原村までもがいるのであれば、何故自分は呼ばれていないのかということになる。
 思い悩むあまり、やや自暴自棄であった咲を放っておくわけには行かず、このままストーキングの仲間としてしまい、今に至る。

「私、京ちゃんの幼馴染なのに誘われなかった……原村さんは誘われているのに……」
「き、きっと、ちょっと忘れていただけよ。そんなに落ち込まないで」

 落ち込んでいるはずなのに、咲はひたすらに笑顔であった。それが竹井にとっては恐ろしくて仕方がなかった。そして、咲の私服が恐ろしく似合っていないこともまた竹井を震え上がらせた。

「(つ、つっこみたいけど、それを言っちゃダメよね。ていうかきっと、さっき須賀くんが話しそうになったことって、このことよね……)」

 楽しかったはずのストーキングも、陰鬱なものとなってしまい、竹井はただただ肩を落とすばかりであった。



 背後の不穏な気配も忘れ、須賀は衣と共に焼きそばやらたこ焼きやらを、ひたすらに食べていた。
 桃子と美穂子のタッグは予想以上に出店の店員たちに受け、サービスと言う名のえこひいきを大量にいただいてきたのだ。
 しかし、その量が思いのほか膨れ上がってしまい、とてもじゃないが全員で分けても食べきれない程となっていた。

「もはや、店舗ごとの微細な味の違いなどあったものではないな」

 加治木はりんごあめを食べ比べている。

「安い味ですわね……ですが、何故かおいしいと感じてしまえますわ」
「きっとお祭り効果ね」

 透華と美穂子は焼きそばだ。
 
「当たりには蛸が二つ入っているそうですが、これだけの量があると、その当たりが恨めしいですね」
「明石の蛸だろうと、その辺のスーパーの蛸だろうと、これだけ食べればありがたみが同じ程度に感じられるっすよ」

 原村と桃子はたこ焼きを食べていた。
 ひたすらに食べ続ける面々であったが、やはり次第に飽きてくる。

「チェンジですわ!」

 透華の声で担当が変わる。

「たこ焼きも焼きそばも、基本ソースっすから、あんまり変化がない気がするっすよ」
「そ、そもそももうお腹いっぱいだから、何を食べても変わらないわ」
「……というかっ! 何で俺と衣はその全種を同時処理しないといけないんだ!?」
「だ、男子なのですから、それくらい余裕ですわよね?」
「俺の胃袋は宇宙か!?」
「衣はまだ食べられるぞ! が、さすがに同じものばかりで飽きてきた所だ。何か別の、そうだな甘いものが……」
「りんごあめならここにまだまだあるぞ」
「いや……それはいい……」

 結局、食べきれない分は周囲にいた恵まれない観客たち(一人身の方々)に差し上げて事なきを得た。
 かなりの量が残っていたが、美少女が手に取ったものならばと率先して食べてくれる人たちだったので大助かりだ。

「ふぅ……少し、腹ごなしに動きたいですわね」
「私はもう少し回りたいけど……みんなどうする?」
「ふむ、祭りの目的は大体達成したからな。自由行動に移ってもいいかもしれん」
「よし! ならばきょーたろ、衣たちはさらに遊ぶぞ!!」
「はいはい、しょーがねえな」

 須賀が衣と言ってしまうと、その場に気まずい雰囲気が流れ出した。
 皆、実のところ何かにかこつけて須賀と二人きりになろうとしていたのだ。

「な、何だお前たちあからさまに」
「あなたには分かりませんわよ。恋を知った者の気持ちなんて」
「ふん……そうやって詩人気取ってくっちゃべってろ」
「ええ!? どうしてわたくしそこまで言われなくてはなりませんの!?」
 
 祭りはまだまだ続いていく……。



 衣は須賀と共に、ゆっくりと祭り会場を歩いていた。
 気を引くものがあれば立ち止まり、興味を失えばまた歩き出す。
 須賀は衣が何も言わなくても、その調子に従った。衣の知らないことは丁寧に教え、共に楽しめるように計らう。
 
「あ、お面!」
「おー懐かしいな。昔はよく買ってたもんだ」
「むむ……」
「何か欲しいのあるのか?」
「タイガかギルスかで迷うな」
「またアレな選択を……」

 ふと、周囲の喧騒が収まりつつあることを感じ、衣が周りを見渡すと、先ほどまでごった返していた人が一様にどこかへと向かっていく所だった。

「きょーたろ、皆はどこへ行くのだ?」
「……そろそろ花火の時間だから、見やすい場所に移動してるのかもな」
「花火! 衣も見たいぞ!」
「うし、じゃあ取って置きの場所を教えてやろう」
「おお!」

 興奮しながらも、衣は決して須賀の手を離さない。
 しっかと握り締めたその手から、須賀の鼓動の音が伝わってくる。
 互いの鼓動の音が混ざり合う感覚。衣にとって、ここまで近くで人と触れ合ったのは随分と久しいことだった。
 駆け出す二人。須賀の足は、人の流れから外れ、会場の端へと向かっている。

「ほ、本当にこっちでいいのか?」
「大丈夫だ! 小高い丘みたいになってる場所があってな、あそこはあんまり人もいない。いい場所だ」

 衣はどきっとした。
 まさか須賀は、人だらけのこの場所で、少し衣がまいりつつあることを知っていたのだろうか。
 なるべく一つの場所に留まらず動き続けようとしたのは衣だったが、須賀はそれに対し一言も文句を言わなかった。
 もしかしたら偶然かもしれない。けれど、衣にとってはどうでもよかった。須賀が自分を思いやってくれていると言うことは、触れている手のひらのぬくもりで分かる。
 だから、衣はただ一言だけ返し、そして笑顔を浮かべるのだ。

「それは楽しみだな!!」



 二人は小高い丘にいた。
 この辺りは薄暗く、街灯もまばらで、祭りの明かりも届かない。
 須賀は小さな懐中電灯で足元を照らしながら、ゆっくりと歩く。
 衣はしっかと須賀の腰に抱きついてそれに続く。

「この辺りなら良く見えるだろ」
「おお……すごいな、本当に誰もいない」
「昔、咲と遊んでる時に見つけてさ、それ以来ずっとここは秘密の場所だったんだ」
「衣に教えても良かったのか?」
「ああ、せっかくならとことんこの日を楽しんでもらいたいからな。それに、友達なら構うことはないさ」

 友達。衣にとっては特別な意味を持つ言葉。
 沢山の友でなくてもいい、家族のように深い繋がりのある数人がいれば、それでいい。
 衣にとっては龍門渕の部員がそうであった。これ以上の友はいないとすら思えた。
 しかし、こうして目の前に現れた男は、いとも簡単にその壁を越えてくる。

「ほら、そろそろ打ち上がるぞ」

 慌てて空を見上げる衣。
 儚げな音と共に玉が撃ち上がり、そしてけたたましい炸裂音とともに破裂する。
 浮かび上がる大輪の花。色とりどりのそれらが、ぱっと咲いてはぱっと消えていく。
 繰り返される光の点滅。まばゆい光が、暗がりだった足元すらも明るく照らす。
 声も出なかった。衣はただただ感動に打ち震えることしか出来なかった。
 幼き頃、このように花火を見たことを思い出す。遠い日の思い出が、心を締め付けるようだ。
 思わず衣は強く手を握り締めた。すると、衣の手は何かあたたかいものに触れる。
 ああ、そうだ。一人ではなかった。衣は隣にいる男の顔を見上げる。
 花火のまばゆさに目を細める須賀。赤や青の光がその表情を染め上げていく。

「きょーたろ」
「何だ」
「楽しいぞ」
「そうか」

 それだけで十分であった。
 二人の間には言葉はなかったが、その代わり、二人はしっかりと手を握り合う。
 祭りが終わるその時まで───。
 

 

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