楽しかった祭りから一夜明けた。
 目覚めるとそこはいつもの自室。閉ざされた空間、立ち入るもののない寂しい場所。
 ベットから抜け出た衣は、昨日の出来事を思い返す。
 楽しかった。歩いて歩いて、時には走って。多くの人たちの合間を縫うように動き続けた一日。
 僅かに筋肉が痛む。けれどもそれは、昨日の出来事が夢ではなかったと言う証拠だ。
 ふと、衣は自分の手を見る。そこには何もない。昨日はあったぬくもりは、もう既にないのだ。

「ああ……そうか、衣は今、寂しいのか……」

 反動だった。昨日が楽しすぎたことが、今日をひどく閉鎖的なものに感じさせる。
 見渡せど誰もいない部屋。雑然と物が置かれただけの、一人きりの部屋。
 耐え切れなかった。一人でいることがこんなにも空虚なことだとは、つい昨日までは思いもしなかったことだ。
 家族が死んでしまった時に似ている喪失感。心が痛い。寂しさが棘となり、がんじがらめに縛り付けているようだ。

「誰か……いや、誰でもいいわけではない。きょーたろでなくては駄目だ」

 求めているのはぬくもりだ。誰かといった抽象的なものではない。
 衣は歩き出した。歩いたと思った瞬間走り出した。
 一分でも一秒でも早く会いたい。その思いだけが今の衣を支配していた。



「……衣?」

 早朝、起床した透華が見たのは、今にも泣き出しそうな顔で走る衣の姿だった。
 ただごとではない何かを感じた透華は、すぐさま衣を追いかける。

「お待ちなさい!」

 衣とは歩幅が大きく違う透華は、すぐに衣に追いつくことが出来た。
 
「は、離せ透華!」
「な、なんですの朝から。一体全体、何がどうなってますの?」

 衣はじたばたと暴れていたが、やがて力なくうな垂れる。

「……寂しいのだ」
「寂しい?」
「昨日、衣の周りには沢山の友が出来た。しかしどうだ、今日になってみれば、衣は一人だ」
「わ、わたくしがおりますわ」
「違うんだ、確かに透華はいるが、駄目なのだ。きょーたろと一緒でなければ、この心は満たされない」
「えぇ!? そ、そんなことを言われましても……」
「今から会いに行く、邪魔をするな!」
「お、お待ちなさい! 須賀にだって色々やらなければならないこともあるでしょうし、第一家の場所を知っていますの?」
「携帯がある」
「衣、独りよがりの思考では須賀を困らせますわよ!」
「なら……ならばどうしろと言うのだ! 衣の胸は張り裂けそうだ!」

 衣の悲痛な叫びは透華の胸にも届いている。だが、だからといって安易に須賀を呼びつけることはしたくない。
 一度呼べば、後はずるずると呼び続けることになるだろう。ならば、もしもそれで呼べない日が来た時どうなる?
 しかし、このまま放置するわけにもいかない。このままでは昔以上に衣は閉じこもってしまうだろう。

「……分かりましたわ。わたくしが連絡します。衣はしばらく部屋で待っていなさい」
「そ、そうか! うむ、衣は待つぞ!」

 ぱぁっと笑顔を輝かせ、衣は自室へと戻っていった。
 透華はため息を一つつき、携帯を取り出す。

「……もしもし、須賀」
「どうしたんスか? 急に」
「衣が会いたがっていますの。今日は来られます?」
「あ〜いや、その、何ていうか」
「どうかしまして?」
「もう遊ぶための金がないというか……」
「はぁ?」
「いや、昨日の祭りでかなり散財を」

 思い返してみれば、確か須賀は衣と共に常に動いており、帰りの時間には衣の手には様々なものが握られていた。
 衣は普段からあまり金銭を持ち歩かない性質で、祭りの当日も恐らくそうだったに違いない。となると……。

「まさか須賀、全額おごっていたんですの?」
「まぁそんなところで」
「ば、馬鹿! わたくしに一言言えば、衣の分は渡しましたのに!!」
「いや! そんなたかるような真似できないっスよ!」

 これだ。須賀は人が良すぎる。
 自分の金でしこたま遊ばせておいて、見返りを求めないだなんて普通はありえない。

「……わたくしからの金銭は受け取れないと?」
「使っちまった分に関しては、俺も了承済みで使ったわけですし」

 困ったことだ。
 金がなければ遊べないと言うこともないだろうが、自然と行動範囲が狭まってくる。
 そうなると、衣が飽き始める可能性だってある。
 何としても須賀には金を持っていてもらわなければならないのだが、どうにも須賀は受け取りそうにない。

「……分かりましたわ。では、これはわたくしからあなたへの依頼……仕事とさせていただきますわ」
「仕事? バイトみたいなものってことですか」
「ええ、衣と遊ぶことはあなたの仕事として、日給でお給金をお支払いします。これならあなたも納得でしょう?」
「な、何か事務的に遊んでいるような……金もらって遊ぶだなんて」
「そんなもの、遊ぶ当人の心次第でしょう。それで、どうですの?」
「そりゃあ願ってもない話っスけど……その、いいんスかね。俺みたいなのがそっちに行っちゃっても」
「何が言いたいんですの?」
「俺、一般人ですし、地位とか名誉とかないし」
「そんなもの! わたくしはそんなもので来客を選別したりはしませんわよ!」
「家の人とか」

 言われて透華は家にいる人間のことを考える。
 両親は仕事の関係で留守にすることが多く、帰る日には連絡が来る。つまりはその日以外は特に問題がないということだ。
 後は萩善と一の二人からの了承が得られれば、自動的に来客を拒む人間はいなくなる。

「一応聞いてみますけれど、きっと大丈夫ですわ。ですから、あなたはこちらへ向かっていなさい」
「わ、分かりました」

 通話を切り、早速透華は萩善を呼ぶ。

「萩善」
「はい、お嬢様」

 呼べばどこからともなく現れる、それが萩善である。

「話は聞いていまして?」
「ええ、失礼ながら」
「で、どうですの?」
「私には拒む理由はありません。全てはお嬢様の心のままに」
「……では、後は一だけですわね」
 
 透華はほっと胸をなでおろした。
 一も衣のことを大切に思っている一人だ。きっと自分の考えに同調してくれる。
 そう考えていたのだが……。

「反対だよ!」
「な……」

 真っ向からの反対であった。

「大体、須賀っていうのはこの前清澄で会った男で、付き合いだって浅い。そんな男を家に入れるだなんてありえないよ」
「は、一! 須賀は決して怪しい男ではありませんのよ!!」
「どうだかね。透華だって、口先三寸で丸め込まれたのかも知れないよ」
「詐欺師じゃあるまいし、そんな器用なことができる男じゃ……」
「それは透華の思い込みかもしれないでしょ!」

 意見は平行線だった。
 ひたすらに須賀を拒む一と、どうにかして受け入れさせようとする透華。
 
「……分かりましたわ。でしたら一、あなた自身の目で、須賀のことを調べてみればいいですわ」
「いいの? もしボクがダメだって言ったら……」
「構いませんわ。そうなったらそれまでの話です。衣には悪いですが」
「分かった。じゃあ、彼のことはボクに任せて」

 そうして始まってしまった、一による須賀のテスト。
 見事、その試練を乗り越え、須賀は衣の元へとたどり着けるのだろうか……。


 

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