二日目。今日も竹井は後輩の打ち方をずっと見ていた。
けれども、何か指導をするわけでもない。ただ見ているだけだ。
「(何かあるのかしら……)」
聞いてみたいが、竹井とは親しいわけじゃない。
もしも、何か特別な意味を持っていることなのだとしたら、部外者である美穂子には教えてくれないだろう。
なら、最初から聞かない。また悲しい思いをするのは嫌だから。
その日の美穂子は二位。そして一位は何と須賀であった。
「いよっしゃ! これこれ、こういう展開待ってたのよ俺は」
全身で喜びを表す須賀を見ていると、何だか美穂子も嬉しくなってくる。美穂子にとって、勝敗はあまり意味の無いことだった。
「た、たまたまいい牌が来ただけじゃないですかっ!」
信じられないといった表情の原村。彼女は打って変わって四位だ。
「たまには京ちゃんもすごいんだね。もしかして、一生分の運を使っちゃったんじゃない?」
笑顔の咲は三位。彼女も負けているというのに、気にした様子は無い。
須賀の打ち方は昨日とあまり変わっていない。
高めの役をテンパりそうな時にも崩してしまうし、安い役に執着する時もある。
今回はそれがドンピシャであたったので、結果として一位になったのだ。
「おめでとう、須賀くん」
素直に賞賛した。
これほどまでの運の良さは滅多に無い。それこそ咲の言うとおり、一生分の運を使ってしまったのかもしれない。
「へへ、ありがとうございます」
さっきからにやけ顔の須賀。心からの笑顔を見ていると幸せになれる。
こんな幸せな笑顔が出来るなら、昨日あったような辛いことも忘れられそうだ。
美穂子も笑ってみようとしたが、いつも通りにしかならなかった。
「須賀くん」
今まで動かなかった竹井が、須賀を呼び寄せた。
「何スか部長」
「またまた惚けちゃって、俺が勝ったらメイド服で誘惑してくださいって、この間言っていたじゃない」
「い、言ってねー!!」
「実はもう着てきてるのよね」
「マジっすか!」
「見たい?」
「そりゃあもう!」
「どーしよっかなー」
何だか頭が痛くなってくる流れだ。
思い描いていた竹井のイメージが、少しずつ壊れていく気がする。
雀卓の二人も、また始まったという顔で、なりゆきを見守っている。
「じゃあ、掃除当番代わってくれたら見せてあげる」
「か、代わります!」
「そう。じゃあお願いね」
そういうと竹井は鞄を掴み、部室を後にしようとする。
「ちょーっと! メイド服はどうしたんですかっ!」
「今日見せるなんて言ってないわよ。ま、来年とか期待しててよ。おつかれ〜」
バダン。扉が閉められた。
「来年なったら、部長は卒業してるじゃないかー!!」
がっくりと膝をつき、閉められたドアに向かって慟哭する須賀。
その一連の流れが妙におかしくて、つい美穂子は吹き出してしまった。
それに気づいた須賀は「お騒がせしました」とペコリと頭を下げる。
何だか売れない芸人のコントのようで、それがまた美穂子のツボを刺激する。
「京ちゃん、慣れすぎだよ……」
「ンなこと言ったって、毎日のようにああいうことやられてりゃ慣れるっての」
「本当に掃除当番代わるんですか?」
「掃除くらい別にいいだろ。適当にやっとくよ」
「んじゃ、私たちは帰るね。おつかれー」
「お疲れ様です」
そう言うと二人は揃って部室を出て行く。
残された二人。昨日と似たようなシチュエーションだ。
「さってと、掃除しますかね」
大きく伸びをしながら、須賀は掃除用具を取りに行く。
どうしようか。美穂子は少し悩んだ。
今日、部室をざっと見てみたが、やはり掃除が行き届いていない場所が多い。
咲の掃除が荒いというわけではなく、普通の人なら気に留めないようなところだ。仕方ないのだが、一旦気になりだすと止まらない。
「あの、須賀くん」
「ん? なんスか?」
「私も掃除、手伝っていいかな」
「おお! 手伝ってくれるんですか! ありがたいっス!」
意を決して聞いてみると、須賀は悩むまでもないといった様子で、自分の持っていた箒を美穂子へと渡し、自分は雑巾を持ってくる。
「あ、窓を拭くの?」
「そうですよ」
「だったら雑巾じゃなく、新聞紙がいいわよ。塗らした新聞紙で拭いて、次に乾いた新聞紙で拭くの」
「あ! な〜るほど。うまいっすねそういうの」
須賀は部室の隅に置いてあった古新聞を大量に運んでくる。
「吹き方とかもあるんスかね?」
「うん、まず私がやるから、その後にやってみて」
「了解っス! 福路キャプテン!!」
敬礼のポーズで応える須賀。
こんな風に頼られるのは久しぶりのことだ。美穂子の顔には、自然と笑みが浮かんできていた。
「(こういうの、やっぱりいいなぁ……)」
・
・
・
三十分以上経っただろうか。
本格的に始めた掃除のおかげで、時間はかかったが、かなり綺麗になった。
気になっていた部分の汚れも落とせたし、何より人に教えながらというのが良かった。
「しかし福路キャプテンはすごいっスね。ゆで汁で油汚れが落ちるとか、そういう知恵袋」
「知恵袋っていうと、なんだかおばあちゃんみたいじゃない」
「ああ、すいません。そういうつもりじゃ……」
「ふふ、分かってる。冗談よ。あ、でも私が手伝ったこと、他の人には言わないでね」
「どうしてです?」
「その、昨日手伝おうとして、宮永さんに止められたの。そんなことさせるわけにはいかないって」
「う〜ん、分からなくも無いけど、やりたいって意思を尊重してあげたほうが、俺はいいと思うんだけどな」
「でも、宮永さんの言ってることも分かるから。だから、ね」
「了解っス」
何だか掃除が終わってすぐ帰る気がしなかった。
もう少し、彼と語らっていたい。そんな美穂子の考えが伝わったのか、須賀は二人分の紅茶を運んできた。
「ありがとう」
「掃除を手伝ってくれたお礼っスよ」
カップを持ち、口元に持っていくと、ほのかに甘い匂いがした。
一口すすると、それは今までに味わったことのない、上品な味だった。
「……おいしい」
素直に感心した。
お店で飲むような紅茶ともまた一味違う、独特の味わい。飲み終えた後の清々しさは、とても言葉には表せない。
「須賀くんって、家が喫茶店とかなの?」
「へへ、これは師匠に教えてもらったんですよ」
「師匠? 紅茶の師匠がいるの?」
「どっちかっていうと麻雀の師匠ですかね。紅茶の淹れ方もすごかったんですけど」
何だか、その師匠という人物はとてつもない上流階級の存在のように思えてならない。
しかし、そんな人物と須賀は一体どうやって知り合ったのだろう。
とはいえ、そこまで気にすることでもない。今はこの紅茶の味を楽しもう。
「そういえば須賀くんって、すごい打ち方してるよね」
「あはは……多分そう見えますよね」
「あれも師匠直伝なの?」
「いや、あれは自己流っス。師匠の打ち方を真似するだけじゃ、ただのコピーですから」
須賀はどこか遠い場所を見るような目つきで語る。
須賀は清澄で一番の初心者だと思っていたが、単純にそうくくれるほど、小さな器ではないようだ。
「和も咲も部長も、みんな強い。でもみんな打ち方が違う。だったらまず、全部の打ち方を試してみようって思って」
「そっか、あれって竹井さんの……」
「ま、初日はあえなく惨敗ですけど」
須賀は頬をかきながら恥ずかしそうに言う。
「じゃあ次は宮永さんか原村さん?」
「それなんですけどね、咲のはもう天性っていうか、チートっていうか、無理なんですよ。んで和の打ち方っていうのは師匠と被るんで、どっちか片方でもいい。そうなると、もう打ち方を真似る人がいないんですよね」
「ありゃりゃ。そうなんだ」
「真似てばっかりじゃダメってのも分かりますし、そろそろ自分の打ち方を見つけろってことなんですかね」
天井を見上げ、ため息をつく須賀。
そうしていると、急に彼のことが小さくなったように感じる。
悩んでいる姿は、母性本能をくすぐられる。
「大丈夫よ」
幾度となく後輩に送り続けた言葉。
大丈夫。安心して。きっとできる。曖昧な励ましだけれども、だからこそ、伝わるものがある。
「そうですかね」
「ええ、きっと」
たった一言の魔法の言葉だった。
落ち込んでいる時にこの言葉をかけられると、心が安らぐのだ。
気休めだと言われたこともある。けれども、その時確かに心が安らぎを覚えるのであれば、美穂子はその気休めを何度でも言ってあげようと思う。
「もしかしたら、福路キャプテンの打ち方も真似するかもしれないです」
「あら、なら未来の強敵に塩を送ることのないよう、頑張って見破られないようにしないとね」
笑い声が部室に満ち、また夕焼けの赤さも降り注いでいた。
どうやら頃合のようだ。二人は美しく生まれ変わった部室を後にする。
「それじゃ、また明日」
「ええ、また明日」
笑顔で別れられるということ。
それは素晴らしいことだと、美穂子はかみ締めていた。