二日目。初日からかなりしごかれた須賀は、部室を訪れる前から、どっしりと肩に重いものを感じていた。
願わくば、自分も初心者であることを理解してもらいたいものなのだが。須賀がそう思いながら部室の戸を開けると、既に部員は揃っていた。
「お疲れ様です」
「お、諦めずにちゃんと来たか」
「そりゃ来ますって。ちゃんと練習して強くならないと、帰ってからひどい目にあいますから」
須賀は部室を見渡す。
昨日の『ステルス』は見当たらない。当たり前だ、見えたらステルスではないのだから。
「あの、東横ってちゃんといるんですよね?」
須賀の言葉に首をかしげる蒲原。
「東横……? 誰だ、それ」
思わぬ言葉に、今度は須賀のほうが首をかしげた。
「いや、昨日会った鶴賀の部員ですよ。東横桃子、一年。ステルスの能力があるとか」
そこまで言って、ようやく蒲原の表情が変わる。
「桃子!」
「……はい?」
大声で桃子を呼び、その所在を確認する。
桃子は部室の隅のほうにいたようだ。
「そこにいたのか……。一応、入ってくる時は声をかけてくれ」
「すいませんです」
蒲原はそう言うと、どこか腑に落ちないと言った表情で椅子に腰を下ろした。
……また忘れられていた桃子。
蒲原の口ぶりからすると、もしかすると本当にすっかりと忘れられてしまっていたのかもしれない。
そのことを他の部員が指摘したりもしない。
「(まさか……。だって、こうして呼びかければ応えてくれるし、昨日も会ったんだぜ?)」
須賀は桃子の方に歩き出す。
先ほど、蒲原に声をかけられた場所から動いていない。
「東横」
「須賀さん。どうもです」
「その、さ。何かみんなおかしくないか?」
「……何がっすか?」
「だって、昨日の今日で東横のこと忘れてたぞ、蒲原部長」
「あはは、自分は存在感薄いっすから」
そう言いながら笑う桃子。
しかし、その笑顔はどこか乾いているよう須賀には感じられた。
・
・
・
対局中、須賀はいやがおうでも気がついてしまった。
ずっと同じ面子でしか対局していない。
昨日は須賀の実力を見るのを含めて、桃子を入れなかったのかと思ったが、違った。それならば初心者の妹尾を外すだろうし、二日連続でやることではない。
蒲原も、加治木も、妹尾も、そのことについて疑問を抱いてはいないようだ。対局が終わっても桃子を呼ぶことなく、また同じ面子で麻雀をし続ける。
「その、東横は入れないんですか?」
痺れを切らした須賀が言うと、今朝の蒲原とまるきり同じ反応が、全員から返ってきた。
『東横って、誰?』
須賀は、ようやくこの学園で起こっている異常事態を把握した。
・
・
・
放課後、すっかり人のいなくなった部室に、須賀と桃子がいた。
「合鍵持ってるんだな」
「あはは……その、自分がいる時でも容赦なく閉められちゃうんで、仕方なく」
須賀は桃子と話をするのに、わざわざ部室でなくても良かったのだが、桃子の方からここがいいと頼まれた。
蒲原たちが下校した後、再び鍵を開け入り込み、今へと至る。
「何が起きてるんだ?」
須賀は単刀直入に聞いた。
部員全員が桃子のことを覚えていない、思い出してもすぐに忘れてしまうこの異常事態。
野次馬根性ではあったが、須賀は気になってしかたがなかった。
「私の能力のことは聞いてるんですよね?」
「ああ、ステルスとか言われてるんだよな」
「最近……全国大会が終わった後くらいから、その力がどんどん強くなっていってるんです」
はじめは小さな違和感だった。
例えば、配られるお茶の数が足りない。桃子が言えば慌てて用意しなおされるが、言わなければそのままだ。
それらの違和感は次第に大きくなっていき、やがては今日のような状況を生んでいった。
桃子は対局にも呼ばれなくなった。部室にいても何もできない日々が続いた。
とにかく目立とうと、桃子は精一杯頑張った。しかし、その時は認識されても、すぐに元通り忘れてしまう。
そして、今となっては桃子の名前を出しても『そんな人は知らない』とまで言われるほどになってしまった。
桃子はぽつりぽつりと、今までにあったことを話した。
「どんどん強くなってる、か」
「はい。……きっと、みんなもう私のことなんて忘れてしまってます。先輩だけじゃない、先生や親でさえも」
桃子の言葉は重かった。
誰からも認識されないと言うことは、世界でたったひとりになってしまったいうことに他ならない。
友達も、家族も、みんなが自分を忘れていく。きっと、それは何よりも深い絶望だろう。
「でもさ」
須賀は分からないことが一つあった。
「俺は忘れてないぜ?」
須賀は前日に桃子と会い、今日までその記憶を保持できていた。
今までの事例の中で、ただ一人の例外だ。
「……分からないっすよ。明日になったら忘れてるかも」
桃子の顔はすっかりと絶望に染まっていた。
須賀に今までの経緯を話すことで、現状を再度認識させられたことが原因だろう。
須賀はこんな時にかけられる言葉を知らなかった。全てが安く思えてしまい、どんな言葉も意味を成さないように思えてならない。
けれども、須賀は知っている。自分が傷ついていても、後輩に暖かく接し続けた一人の少女を。
「大丈夫!」
「……え?」
「根拠なんか無い。自信も無い。でも、大丈夫だ!」
福路美穂子の言葉だった。
大丈夫、大丈夫。その言葉だけで、人は安らぎ、落ち着きを取り戻す。
美穂子の言葉には不思議な魔法が込められていた。須賀は、彼女のように桃子のことも救ってやりたかった。
「……大丈夫、か」
桃子は噛み締めるように呟く。
「須賀さん。明日もきっと来てください」
「来るさ。そして絶対に君の事を忘れない」
「……もし、覚えていても、先輩たちには私のこと、言わないで下さい」
「どうして?」
「忘れられるのって、結構辛いんすよ」