三日目。幸いなことに、須賀は未だ桃子のことを忘れないでいられていた。
 部室に入り、蒲原たちに挨拶をし、奥のテーブルへと移動する。
 そこには飲み終わったカップが置かれていた。誰も座っていない場所に、ぽつりと。

「いるんだな」
「はい」

 認識できた。
 もしかしたら、誰か他の人が置いていったものなのかもしれなかった。しかし、須賀には何故か確信に近い予感があった。

「覚えてるぞ」
「……はい」

 桃子は笑った。
 はにかんだ笑顔は、昨日の乾いた笑いより何倍もましだ。

「……行ったほうがいいっす。一人で話してると思われますよ」
「ああ、また放課後に」

 須賀は何事も無かったかのように、桃子の前を立ち去った。
 できることなら、もっと桃子と話していたい。
 しかし、部活もせずに一人で会話をする須賀を、部員たちはどう思うだろう。実際は桃子がいても、彼女たちはそれを認識できないのだ。
 
「(くそ……俺、ひどいよな。こんな時に体裁ばっか気にして)」

 須賀は情けなさでいっぱいになった。
 しかし、そんな顔で蒲原たちの前に立つわけには行かない。
 気合を入れなおし、表情を引き締める。

「よっし! 今日も一日、よろしくお願いします!」



 長いようで短い部活が終わった。
 須賀は加治木によってしこたま打ちのめされていたが、そんなことでくじけている場合ではないと必死に抗った。
 結果としてそれが好印象だったのか、加治木はよく須賀に打ち方の指南をしてくれた。
 平時であればありがたい話であったが、桃子のいる手前、申し訳ない気持ちを感じていた。

「お疲れ様です」

 桃子が須賀に声をかける。
 部活中、須賀以外の部員は誰一人として桃子に気づくことが出来なかった。
 予想していたこととはいえ、須賀はかなり心にダメージを負っていた。

「お疲れって、そりゃ東横のほうだろ」
「私は何もしてませんから」
「何もしないってのも、疲れるって。俺は清澄で全国行っても、何もしてなかったから良く分かる」
「もう、自慢になりませんよそんなの」

 こうして会話すること事態、桃子にとっては久しぶりだったという。
 それを聞くだけで須賀は泣きそうになったが、桃子のいる前で涙は見せないと誓った。せめて自分だけは、笑顔でいようと。

「東横、ヒーロー物が好きなのか?」
「どうしてです?」
「初日、変身ポーズしてたろ」
「ああ、そうでしたね」

 桃子は恥ずかしそうに微笑んだ。

「小さい頃からヒーローに憧れてたんです。その、目立っていいなぁって」
「そんな時からステルスだったのか?」
「ですよ。……ああやって、みんなから称えられて、羨まれてる姿を見てると、何だか自分もそうなれるような気がして」
「誰かが言ってたぞ。人間はみんなヒーローになれるって。ただし、走り出したらの話らしいが」
「歩いてちゃダメってあたり、ヒーローっぽいっすね」

 桃子は昔を思い出しているのか、遠い目で窓の外を見つめている。

「須賀さん、私のこと忘れて無かったですね」
「約束したからな」
「どうしてなんでしょう?」
「分かったらよかったんだけどな。あいにく、俺にも分かんね」

 須賀はお手上げのポーズをした。
 見えていることはいいことだ。しかし、何故見えているのかが分からないというのも困った話だ。
 見える理由が分かれば、対策のしようもあるというのに。

「こんなこと言うと、すっごいネガティブだと思われるかもしれないっすけど、多分、今の私って本当に誰からも見えてないんすよ。須賀さん以外」
「……そうかもな」
「人って、誰かに見られて初めて形を持つって言うじゃないですか。自分自身では自分を見ることは出来ないから。じゃあ、誰が見てるんでしょうね……私のこと」
「神様とか?」
「あはは、じゃあ須賀さんは神様っすね。人には見えないものが見えるなんて、かっこいいじゃないっすか」

 神様。そう言われてふと思い当たる節があった。
 須賀自身のことではなく、身の回りにいる人のことだ。
 よく、神の申し子だとか、神の子だとかいう言葉を耳にするが、そうではなく、本当に神の力を宿した者が、周りにいなかっただろうか。

「……あ」
「どうしたんすか?」
「俺が東横のこと見れる原因、分かったかも」
「本当っすか?」

 福路美穂子。彼女の右目は第三の目と呼ばれ、万物を見通す力を持っている。
 桃子は例え他人から認識されなくなったとしても、確かにここにいる。いるのならば、万物を見通す目に映るはずだ。

「この前まで福路キャプテンの家でコーヒーの淹れ方習ってたんだよ。その時、何かもらったのかも」
「……神の力的なものをですか?」
「神の力的なものを」

 お互いに吹きだしてしまった。

「……マジです?」
「マジだよ」
「でも、そんな目の力なんて、やすやすと他人に渡せるものじゃないっすよね」
「そうだろうな」
「……何で須賀さん、そんなのもらえたんです?」

 愛の力だろうか。須賀はそう言いかけたがやめた。
 何と言うか、美穂子の家に招かれた須賀は、どんなに鈍感であっても、彼女が自分に好意を抱いていることに気づかされるような行為を受けたのだが、それはまた別の話だ。

「とにかくだ。俺のほうでも色々考えてみるよ。何とかして、東横をみんなが見られるようにな」
「須賀さん、ありがとうっす」
「気にすんな。やりたくてやってるだけだ」
「もし、私のステルスが暴走するのが運命だとしたら、こうやって須賀さんと会うのも運命だったのかもしれないっすね」
「恥ずかしいことを言うやつめ」
「須賀さん程じゃないっす」

 二人は少しの間雑談をした後、笑いながら別れた。
 別れ際に湿っぽい顔をしていたら、明日も曇った心になってしまうからと、桃子が言ったのだ。
 須賀は、桃子がいなくなってすぐ、自分の頬に流れる熱いものに気づいた。
 泣いていた。須賀は桃子の境遇に同情し、涙を流していた。
 
「くそ……泣くなよ。泣いてたら、曇っちまうんだろ……」

 がしがしと腕で強引に涙を拭く。
 めそめそしている時間なんて無い。須賀は、何としてでも桃子を救おうと、更に強く意思を固めるのであった。



「ふ〜ん、そんなことになってたんだ」

 その日の夜。須賀は竹井に携帯で連絡を取っていた。
 桃子に関することを話し、対策を練るためだ。

「俺、見えるって言っても、やっぱり目を離したらまた見えなくなっちゃうんですよ」
「でも、忘れてないだけマシなんでしょ?」
「そうなんですけど……」
「分かってる。あなたが東横桃子を見失えば、彼女は生きるための道しるべを見失うことになる」

 竹井の声も、心なしかいつもより暗い。
 いつも飄々としている竹井も、この時ばかりはふざける気になれないようだ。

「まずはあなたが東横さんをいつでも認識できるようにしないとね」
「それなんですけど、ステルスでも隠せないものがあるはずなんです。そこを突こうかと」
「あら、それは何?」
「体温です」

 体温。人間は生きている限り発熱している。
 桃子がいかにその存在を隠そうと、存在している限り体温はある。呼吸をし、エネルギーを燃やすその熱さを認知できれば、桃子を見つけるのはたやすくなる。

「サーモグラフィーとかあるじゃないですか。ああいうのをリアルタイムで見られればいいかなって」
「軍用のスコープとかでそういうのありそうよね」
「部長、そういうの手に入る所知りませんか?」
「う〜ん、あるっちゃあるわね」
「ほ、本当ですか!?」

 思いがけない竹井の言葉に、須賀は一気に体が熱くなった。
 
「今日中に依頼しておくわ。須賀くんはもう寝なさい」
「は、はい! ありがとうございます!!」

 須賀は通話を切ると、急いで寝る準備に入る。
 到着がいつになるかは分からないが、少なくともこれで須賀はいつでも桃子を認識できるようになるわけだ。
 問題はまだまだ山積みだが、一筋の光明が差した気持ちだった。



「さて、電話電話っと」

 竹井は須賀との通話を切った後、新たな番号へとかけなおす。
 一コール、二コール。

「……何の用ですの? 竹井久」
「夜分遅くにごめんなさい。龍門渕透華さん」

 電話の相手は龍門渕透華だった。
 この間の交流の際、連絡用と称して番号を交換していたのだ。

「ちょっとうちの部員が困ったことになっていてね」
「……はぁ」

 竹井は須賀から聞いたいきさつを、透華にも伝えた。

「ね、大変でしょ?」
「なんとも信じがたい話ですが……」
「何言ってんのよ。須賀くんが困ってるのよ? 須賀くんよ須賀くん」
「な、何回も言わなくても分かりますわ! それに、別にわたくしは……」

 言いよどむ透華に、竹井は追い討ちのように言葉をかける。

「須賀くん携帯できるサーモグラフィーみたいのが欲しいんだって。あなた師匠なんでしょ? 好きな男の欲しいものくらい買ってやりなさいよ」
「ど、どさくさにまぎれて変な事言わないで下さいません!?」
「で、どうするのよ。買うの、買わないの?」
「……須賀には色々と貸しがありますわ。仕方がありません。我が龍門渕の誇る技術と権力を持って、手に入れて見せましょう」
「あっそ、じゃあ明日には届けておいてね」
「え、ちょっとそれはさすがに───」

 ぶつっ。竹井は透華の返答を聞き終える前に通話を切った。

「これでよしっと」

 竹井は携帯の電源を切ると、枕元に放り投げ、自分も一緒に倒れこんだ。

「後はうまくやんなさいよ〜須賀くん」

 

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