五日目。とうとうこの日がやってきた。

「ネット麻雀?」

 須賀は桃子に昨日のことを伝えた。
 ネットを介すればステルスの影響なしに、桃子を印象付けられること。
 そして、それが最終的には桃子の存在を確かなものにするということ。

「……やります!」

 桃子の顔に火が灯った。
 昨日までの泣きそうな顔とは違う、戦いへ赴く一人の戦士の表情であった。

「PCは持ってる?」
「大丈夫です、昔からやってましたから」
「よし、じゃあ出来れば誰も来ない場所に行こう。人目に付かないように」
「じゃあ、部室の隣にある準備室なんでどうっすかね」
「鍵は……あるんだな」
「校内で入れない場所なんてないっすよ」

 思いっきり犯罪だろうと須賀は思ったが、何せ桃子はいつ締め出されてもおかしくないのだ。必要なことだったのだろう。
 二人は部室をそっと抜け、隣にある準備室へと侵入した。

「ネットは来てるよな」
「無論っす」

 桃子がPCを立ち上げると、加治木と桃子が二人で笑いあう姿が見えた。どうやら写真を取り込んで、デスクトップにしているようだ。
 
「あはは……ちょっと恥ずかしいっすね」
「恥ずかしいことなんてあるもんか。こうやってもう一度笑い合えるように、頑張ろう」
「うっす!」

 ネット対局用のプログラムを立ち上げる。
 既に五十人以上は中に入って対局をしているようだ。

「これって、校内用だよな」
「です」
「よし、まずは校内制覇。したら全国用のやつにチェンジだ」
「ラジャーっす!」
「っと、ちょっと待て。その前に名前をつけないとな」
「名前……っすか?」
「覚えてもらうには必要だろ」
「……何がいいっすかね」
「本名はさすがにまずいか……。ま、後でどうせばれるだろうけど、とりあえず『ステルスモモ』でいこう」
「あはは、鶴賀の先輩がたが思い出してくれたら、一発でバレますね」

 命名も終わり、いよいよ入室となった。
 対局は入室している面子から四人ずつランダムに選出される。
 193番、それが桃子の初陣となる局番だった。



『どもっす〜』
『おーう』
『はじめての人かな?』



「須賀さん、はじめてって言ったほうがいいですかね?」
「リアルでは打ってるけど、ネットでは初めてのほうがいいかな。その方が後々印象強くなるだろうし」
「了解っす」



『リアルではやってるんすけど、ネットははじめてです』
『そっか〜』
『食いタンは?』
『どっちでもいけるっすよ〜』
『おっけ〜。んじゃ、開始しましょう』



 いよいよ対局が始まった。
 相手の強さの程は分からないが、現役の麻雀部より強いと言うことはないだろう。

「どうだ、東横」
「割かしいい手が入りましたね」

 桃子は落ち着いていた。
 相手のちょっとしたミスを逃さず追撃し、打ちのめし、撃滅した。
 運も味方してか、初めての対局はぶっちぎりのトップとなる。

「やったな!」
「まだまだ、これからっすよ!」



『はじめての人なのにすげぇ〜』
『あんなに振り込んだのはじめて……』



 須賀は携帯で友人に連絡を取った。
 桃子のことをより広く知らせるために、多くの力が必要だったからだ。

「もしもし? あのさ、お前のところのブログで取り扱って欲しい記事があるんだけど」
「俺の友達なんだ。とにかくすげえ強いとか、中の人はかわいいとか色々誇張して書いておいてくれ!」

 電話を切ると、即座に次の友人にチェンジする。

「もしもし? お前のネット麻雀仲間に言っておいて欲しいことがあるんだけど───」

 桃子が対局している間、須賀は持てるコミュニティを駆使して、情報操作に明け暮れた。
 ブログやネットニュース、友人同士の噂話など、とことん桃子の印象をよくするために、友人たちに情報を流してもらったのだ。
 須賀の頑張りを受けてか、桃子も全力で麻雀に打ち込んでいた。
 加治木や蒲原と肩を並べて全国へ行った彼女に、ほんの少しネットで麻雀をかじったような者は敵いはしない。
 いつしか桃子は連勝の山を築き上げ、鶴賀校内での地位を確立していた。

『ステルスモモやばい』
『眠れる獅子を呼び起こしてしまったらしい』
『どうやら全国ネットに行くらしいぞ』

 ネット麻雀用に設置された掲示板からは、そんな書き込みがされ、いつしかステルスモモ専用スレまでが建てられていた。
 
「まぁ、俺が建てたんだけどな」
「須賀さんすごいっす!」
「まだまだだろ! 次は全国で対戦相手を募集するんだ!」
「了解っす!」



 一方その頃、龍門渕邸では。

「透華、透華。コレ見てよ」
「何ですの一、ネットの記事……?」

 透華が手に取ったのは、鶴賀のステルスモモが、全国へ向けて動き出したという内容の記事だった。
 どうやらネット麻雀の話らしいが、急仕立てで作ったのか、装飾のあまり無いシンプルな記事だ。

「別に、ネット麻雀の猛者くらいで騒ぐ必要ありませんわよ」
「じゃなくて、その下」
「下……?」

 透華が目を下へと向けると、そこには『あののどっちを超えた! ステルスモモ新時代宣言!!』と書かれていた。

「のどっち越え……?」

 透華の声が怒りに震えた。

「のどっちを超えるのは、わたくしが先ですわ! どこぞの馬の骨とも知らない輩にやらせてたまるもんかですわ!」

 その時、透華の携帯が震えた。どうやらメールを受信したらしい。
 送ってきたのは須賀だった。

『ステルスモモやばい強い。ネット麻雀界に新たなるプリンセス誕生! のどっちは既に過去の人。倒せるものならかかって来い!』

 透華は携帯を閉じた。

「あの男……師匠を挑発とはいい度胸ですわね」
「と、透華?」
「久々に滾ってきましたわ! やりますわよ、一!」



 全国での滑り出しは順調だった。
 途中、ヒヤッとする場面はあるものの、桃子は危なげない打牌で乗り切り、勝利を重ね続けた。

「す、須賀さん。どうしたらいいっすかね」
「ちょ、ちょっと待て……俺だって断言できねぇって」
 
 危険牌を切る時は、後ろにいる須賀と相談しあい、二人で一つの牌を打った。
 情報操作は順調のようで、ネットを中心にステルスモモはその知名度を上げてきている。

「新着レス……200オーバー!? こりゃもう止まらないな」

 須賀は自分が立てたスレの管理を放棄し、再び友人たちに連絡をつけようと携帯を開く。
 新着メールが一件ある。ごたごたで気づかなかったようだ。

「あれ、師匠……?」

 メールを開く。

『ステルスモモとかいう女に、わたくしが負けると思って? 叩きのめしてやりますわよ!』

 メールを閉じる。

「やばっ……」
「ど、どうしたんすか、須賀さん」
「間違って師匠に煽り文のメール送っちゃった」
「師匠……って、誰です?」
「龍門渕透華!」
「えええぇ!?」

 二人は顔を見合わせて真っ青になった。
 いくら桃子が強いと言っても次元が違う。
 透華のような一級の雀士と比べられるものではない。

「まずい、そろそろ来るぞ……」

 ふと須賀はステルスモモのスレッドの新着レスを見た。
 最新のレスの内容は。

龍門渕透華『ステルスモモを叩き潰しに参りました』

「ほ、本名で来やがったー!!」

 驚くことに、掲示板での宣戦布告であった。
 これをきっかけに『本物? 偽者?』の議論が起き、スレはより一層の盛り上がることとなったが、このままではまずい。

「どどど、どうしましょう須賀さん」
「……安心しろ、東横。俺は師匠に勝てる可能性のある人を一人知っている!」
「だ、誰っすか!?」
「電話一本即来訪、親切心の塊で、これと決めたら押し通す!」

 須賀の前口上に合わせるように、準備室の扉が開いた。

「風越女子キャプテン、福路美穂子!」
「ええええ!?」

 須賀の切り札とは、美穂子のことであった。
 透華に誤ったメールを出す前に、須賀は美穂子にメールを送っていたのだ。
 元々、美穂子なら桃子のことを見えるのではと考えていたし、全国麻雀の切羽詰った状況に意見を出来るのは、彼女しかいないと思ったのだ。

「事情はさっきから、扉の外で聞いていたわ」
「話が早くて助かります! じゃ、東横の代打ちよろしくっす!」
「それなんだけど……」

 美穂子は言いよどむ。

「私、パソコンってダメなのよね」
「ダ、ダメとは?」
「使おうとすると、コードに絡まっちゃったり……とにかくダメなのよ、使えないの」

 何ということだ。頼みの綱だったはずの美穂子は機械音痴だった。これでは代打ちなど頼みようが無い。
 もう打つ手は残っていない、須賀の目の前は真っ暗になった。

「あ、でも後ろで指示出すくらいならできるわよ」
「先に言ってください!」

 再び光が戻ってきた。
 桃子の後ろに美穂子が立ち、即座に指示を飛ばす。これならば透華と言えどやすやすとは勝利することは出来ないはずだ。

「……そういえば福路先輩、私のこと見えるんすね」
「右目を開けてればね」
「あはは、ディフォルトで見える人って初めてっす」
「大丈夫、今にきっと他の人もあなたのことを見ることが出来るようになるわ」
「……そっすね。そのために、頑張らないと」

 もう何十回目の対局だろうか。繰り返される戦いの中、いつ透華が来るかと三人は待ち構えていた。
 できる事ならば、このまま来ないでくれるとありがたい。その願いはどうやら届かなかったようだ。

「───来た!」
「本名っすね……」
「よっぽど負けない自信があるのね。彼女」

 美穂子は大きく深呼吸をした。

「この戦い、絶対に勝てるとは言えない。けれど、須賀くんはこの局面で私を頼ってくれた。だから私は、負けるわけには行かない」
「福路キャプテン……」
「あなたが東横さんの未来を守るなら、私はその道標となって二人を守るわ!」
「行きましょう、先輩!」

 この日一番の山場となるであろう戦いが始まった。



 透華はリアルだろうとネットだろうと関係なく、その実力を発揮できる逸材だ。
 幾度となく繰り返された対局を勝ち抜いてきた彼女。勝利するにはそれこそ神の奇跡を願うしかない。

「……先輩!」
「大丈夫、この手からでも挽回は可能よ」

 ネットであろうと運はある。誰も彼もが毎回いい手を引くわけではない。
 そこには無数の可能性が存在している。それは誰もに平等に訪れるものだ。
 しかし、透華はそのロジックを打ち壊す。

「まずいわね。向こうの手は相当早い」

 運も実力のうちという言葉もあるが、まさにそうなのかもしれない。
 透華の元へ引き寄せられるように、彼女が求めるものが集まっていく。
 
「あ……」

 ツモ。2000の安手ではあったが、出鼻をくじかれた格好になったことは言うまでも無い。
 配牌は運だが、打ち手のコンディション次第ではどんな良手も死んでしまう。
 透華の仕掛けた先制攻撃は、じわりじわりと桃子の心を蝕んでいく。

「えげつないわね」

 美穂子は鋭い目を画面に向けた。いや、画面のその奥で対峙している透華を見ているのだ。
 美穂子の右目が青く輝く。蒼天の美しさと宝石のごとき眩さを兼ね揃えた第三の目。
 まばたきひとつ。万物を見通す瞳にとってはそれで十分だった。

「東横さん。今から言うとおりに打って」
「は、はい」

 的確な美穂子の指示を受け、桃子は戸惑いながらもそれに従う。
 そして気づいた。美穂子は何か遠い、人には見ることの出来ない領域を見ていると。
 
「それで最後よ」
「最後って……?」

 牌を切った瞬間、テンパイとなる桃子の手。
 すると、何と言うことだろうか。次に場に捨てられたのは、まさに桃子の求めるそれであった。

「あっ、ロン!」

 宣言、確定。
 透華への直撃ではないものの、この結果は桃子に自信を取り戻すことになった。

「福路先輩……すごいっす!」
「ふふ、この位で驚いていたら勝てないわよ」

 美穂子の目にははっきりと対戦相手の思考が見えていた。
 右目の加護ももちろんあるのだが、何より美穂子の持つ経験が、超常現象じみた予言打ちを生んだのだ。
 しかし、そう言った奇跡的な技も百パーセント決まるわけではない。
 最後にものを言うのは、人間の根気だ。諦めないことが最終的に運を引き寄せることだってある。

「今の所私たちは三位。龍門渕さんは一位……。やっぱりすごいわね」

 ネット麻雀をやったことのない美穂子に対し、透華は幾度となくこの場で戦ってきた猛者である。
 実際に牌に触れない違和感や、相手の表情や呼吸などから心理を図れないことは、美穂子にとって大きな痛手となっていた。
 しかし、美穂子には右目がある。マイナス面を補って余りあるその力が、何とか美穂子と透華の間を埋めているのだ。
 けれど、場が長引いてくれば出てくるものもある。それは疲れ。
 パソコンの液晶に神経を集中させることは、極度の疲労を生む。とりわけ目を酷使している美穂子には、それが顕著に出た。

「キャプテン、目薬!」
「ありがとう……」

 目薬をさし、だましだまし疲労を押さえつけるが、恐らくは長くは持たないとその場にいる全員が感じていた。
 その時、須賀の携帯が震えた。誰かからの着信だ。

「はい?」
「よっ須賀くん」
「部長、どうしたんです?」
「今ネットで打ってる『ステルスモモ』っていうのが、東横さんなのよね?」
「そうっすけど」
「私、西にいるのよ」
「ええ!?」

 驚いた須賀が西のプレイヤーの名前をチェックする。
 見たことの無い名前だった。

「さっき作ったアカウントだから、誰も気づかなかったでしょ」
「な、何で今プレイしてるんですか?」
「もちろん、東横さんを支援するために決まってるじゃない」
「ぶ、部長!」
 
 須賀は喜びに打ち震えた。
 誰かが協力してくれるのであれば、この場の勝利はさきほどよりもずっと確かなものとなる。

「とりあえず、携帯はこのままつなげておいて。お互いの手牌状況を報告したいから」
「了解!」

 須賀は事情を二人に説明し、現在の手を竹井に伝える。
 それが終われば今度は逆だ。

「……なるほどね。じゃ、こっちは完全に支援に回るから」
「お願いします!」
「ふふ、あなたの師匠を涙目にしてやろうじゃない」



 一方その頃龍門渕邸では。
 
「また上がり直前で止められましたわ!」

 先ほどからいい手が入っている透華であったが、その手が完成する前に戦いは収束してしまう。

「さっきからどうもうまく行きませんわね……」

 疑問を抱える透華ではあったが、まさかネット越しに共謀して自分を貶めようとしているものが二人いるとは思いもしなかった。
 透華は憮然としながらも、きっとたまたまだろうと思い込み、麻雀を続ける。
 蟻地獄のように、どんどんと自分が引き込まれていることを理解できずに。



 決着は近かった。
 竹井からの精密な援護を受けた桃子は、連続で上がり続ける。
 まさに追い風が吹いていた。勝利への道は確かに拓かれ、桃子の来訪を歓迎しているかのようだった。

「キャプテン!」
「大丈夫、もう逆転はないわ。次で決着よ」
「はい……最後の一手!」

 終了───。
 桃子はその手に確かに栄光を掴んでいた。
 
「いよっしゃあ!!」

 須賀の歓喜の雄たけびが部屋に響く。同時に桃子の大きなため息と、美穂子の泣きじゃくった声。

「勝っちゃった……っすね。私」
「うう……お、おめでど……ひっく、東横ざぁん……」
「うわ! ちょ、福路先輩、泣かないで下さい!」

 泣きじゃくる美穂子に当てられてか、桃子も少し涙ぐんだ。
 ネットでは既に桃子が透華を倒したことが広まっている。

『本当に勝つなんて……』
『透華ざまぁねえな。大口叩いて惨敗乙』
『上の書き込みは井上純で確定』
『井上自重』
『ちょ……お前ら!』
龍門渕透華『井上純、後でシめますわ』

 書き込み数は増え、もはや須賀もチェックしきれないほど、スレも乱立していた。
 この短い時間で、よくここまで広めてくれたと思う。須賀は自分の友人たちに感謝した。

「それと部長も!」
「ふふん、もっと褒めてもいいのよ」

 恐らく、竹井がいなければこの勝利はもぎ取れなかっただろう。
 美穂子の目と、竹井の頭。二つが揃ったことで、ようやく掴んだのだ。

「須賀さん」
「東横」
「これで、大丈夫なんすかね」
「信じようぜ、お前の先輩たちを」



 桃子が透華を破る少し前、鶴賀麻雀部部室。

「まったく、須賀め。用事があるとか言って部活に出ないとはな……」

 須賀が部活に出ないおかげで、部員全員がネット麻雀に行くと言う事態になっていた。
 このようなことになるなら、集まる意味もないだろうと加治木は言ったが、蒲原の「せっかくだから一緒にやろう」という言葉で解散とはならなかった。
 仕方なしに三人は先ほどからネット麻雀をしているのだが。

「掲示板、何か騒がしいね」
「ああ、やたらと新スレが立っている。夏だし厨が沸いたか?」
「あ、あの……厨って何ですか?」
「中学生のような思考をしている連中のことだ。本当に学生もいるが、そういう時はリア厨と呼ぶ」
「気にしないでいいよ。生きていく上で全然必要の無い知識だから」
「は、はい……」

 新規スレッドの一覧を見てみると、そこにはやたらと『ステルスモモ』という言葉があった。

「ステルスモモ? どこかで聞いたことが……」

 加治木は頭をひねるが、どうにも思い出せない。
 だが、記憶の奥底。深い深い場所に何かがある。
 人は、一度見たものは思い出せないだけで、実はしっかり頭には入っていると言うが、一体いつこの単語を見たのかさえ、加治木は思い出せない。

「すごいね、この子。鶴賀のネット麻雀で連戦連勝。全国に出たら、あの龍門渕透華が喧嘩をふっかけてきたんだってさ」

 早速スレを閲覧していた蒲原が、嬉々として話す。
 謎めいた打ち手の出現。それが鶴賀からとあっては興奮を隠せないようだ。

「い、今やってるみたいです。対局」
「何……?」

 三人はディスプレイに釘付けとなる。
 いくつかの台は他のプレイヤーが視聴できるようになっていて、どうやら話題の一戦はそこで行われているらしい。
 急いで接続するが、中々繋がらない。回線が込み合っているようだ。

「貧弱な運営め!」

 加治木はF5を連打して、圧力をかけた。
 しかし、そんなことをしても回線の混雑が解消するわけではない。

「あ、こっち繋がりました!」

 結局、妹尾の方に全員が集まり、視聴することとなった。

「へえ〜。今三位か」

 ステルスモモは三位だった。
 点差はそう開いていないものの、じわじわと離されているようだ。

「トップが龍門渕透華。なるほど、実力は確かなようだな」
「てか、普通喧嘩なんか売るかなぁ……。たかだかネットで強いって言われてる人間にムキになって」
「……さぁな。そんなことより、今はこのステルスモモだろう」

 加治木は何故かこのステルスモモという打ち手が気になって仕方が無かった。
 蒲原も、妹尾も。三人が三人とも、口では言えない何かを感じていた。
 願わくば、このステルスモモという打ち手に勝利して欲しいと、いつしかそう考えていた。

「……むっ」
「すごい、今の絶妙」

 西からの援護のような打牌を受け、速攻で手を組み立てていくステルスモモ。
 それは偶然ではないようで、段々とキレのよくなっていくステルスモモは、時間と共に透華を圧倒し始めた。

「ぎゃ、逆転しました!」
「恐ろしいねこりゃ」
「……そうだな、異常だ」

 この闘牌の行方も気になるが、三人はもう一つ別のことが気になっていた。
 ステルスモモという人物についてだ。
 鶴賀から出たと言うことは、この学園のどこかにいたのだろう。
 であるならば、何故これだけの腕を持ちながら麻雀部に入部していないのか。

「……何故、入部していないかか」
「あ、あの先輩」
「ん? なんだい」
「本当に部員って、私たちだけでしたっけ?」
「変なことを聞くね……。でも、何だかな。誰かもう一人いたような気もするんだよね」

 蒲原は深く考え込んだ。
 頭の奥にかかっている霞を払い、記憶の旅を続ける。
 
「……紅茶のカップ。人数分しかセットしていないはずなのに、五人分ある」
「一人は出向している津山だとして……もう一人?」
「予備かもしれないけど……多分違う。もう一人いるんだ。きっと」

 ふと、加治木はこんなことが前にもあったような気がしていた。
 誰かの存在感がどうとか、忘れてしまうとか。

「あ……先輩!」
「何だ!?」
「勝ちましたよ、ステルスモモ!」

 ディスプレイには、トップの欄にステルスモモと表示された順位表が映し出されていた。
 それを見た瞬間、加治木の目から涙が溢れた。

「……あ?」

 不思議そうに涙を拭う加治木。
 そうだ、いつだったかこんな風に涙を流した時、そばにいてくれた人がいたはずだ。

「誰だったか……」

 屈託の無い笑顔。優しげな瞳、黒くつややかな髪。
 そうだ、そんな彼女には何だったか、あだ名があったはずだ。
 加治木はディスプレイをハッと見る。
 トップに記されている名前、彼女のあだ名。
 ああ、何と言うことだろう。加治木は真っ青になった。

「モモ……モモ!!」

 加治木の声を受け、蒲原と妹尾も思い出す。彼女の声を、姿かたちを。

「東横、桃子! そうだ、どうして忘れてしまっていたんだ!」
「ステルスモモっていったら、あの人しかいません!」
「モモ、モモ、モモー!!」

 加治木は部室を飛び出した。
 それを追う蒲原、妹尾。
 何故だか分からないが、加治木が向かう先に桃子がいるように感じたのだ。



 突然、桃子たちのいる準備室のドアが開かれた。
 大きな音、そして涙ぐみながら桃子の名前を呼ぶ声。
 加治木であった。溢れ出す涙を拭おうともせず、ただひたすらに流れるままにしていた。

「モモ!」
「……思い出して、くれたんすね」
「ああ……ああ!」

 加治木は歩み寄り、ゆっくりと桃子の体を抱き寄せた。
 加治木の涙が、ぽたりぽたりと桃子の制服を濡らしていく。
 桃子に不快感は無かった。それどころか、きっとこれは神様からの贈り物なのだと思っていた。
 きっと神様が今日のこの時のために、加治木の涙を取っておいてくれたのだと。
 桃子も泣いた。声を上げて泣いた。
 いつしか二人分の鳴き声が響くようになった準備室。廊下では蒲原と妹尾が入りたくても入れない情況となっていた。

「まったく。泣きたいのはこっちもだっての」
「でもよかったです……」
「しかしまったくもって、自分が不甲斐ない。まさか桃子のことを忘れてしまうだなんて」

 準備室内では、須賀と美穂子もどこか落ち着きのない様子だった。
 さすがに二人の間に割って入る程野暮ではないし、かといって他にすることも無い。

「二人が出会ったら、きっと俺泣いちゃうと思ったんですけど」
「けど?」
「何か、今すっごい充実感と達成感で、胸いっぱいで……涙出ないっスね」
「あはは、私も。涙もろいってみんなに言われてるけど、さっきからもうずっと目が痛くて」

 酷使に酷使を重ねた美穂子の右目は、アクアマリンの輝きを僅かに朱色に染めていた。
 それを見て須賀は、アクアマリンとルビー両方の色を楽しめるんですね、などとはやしたが、美穂子はまんざらでもないようだった。

「……あ、メール来てた」

 須賀の携帯には一通のメールが届いていた。
 差出人は原村和。内容は……。

「うげ」
「うげ?」
「これ、見てくださいよ」

 須賀は美穂子に自分の携帯を手渡した。

「……人の名前を勝手に使って宣伝なんて、いい度胸ですね。いいでしょう、戦って倒します」

 宣戦布告だった。
 もしやと思ってディスプレイを見る。
 
「やばい。対戦待ちリストから抜けるの忘れてた!」
「ええ!?」

 透華を破ったその興奮から、須賀も美穂子も誰も気に留めていなかったが、対戦待ちリストに名前が載っている以上、例え桃子が加治木と抱き合っていようとも関係ナシに試合が組まれる。
 そして、既に原村はこの場にいるらしい。となれば答えは一つ。

「き、来やがった〜!」

 須賀の奇声じみた叫びに、自分たちの世界へとトリップしていた桃子たちも現実に戻される。
 
「す、須賀さん。どうしたん……」
「東横! もう一戦だ! 今度の相手は……原村和だ!!」
「うぇええ!?」
「ふっ。面白い。モモ、今度は私もサポートに回る」
「せ、先輩」
「誰が来ようとも、二人で打てば負けることは無い」
「はい!」
「ちょっとお二人さん。勝手に盛り上がって、部長のことを忘れないでほしいかな」

 中の様子に折り合いがついたことを確認し、神原たちも準備室に踏み込んできた。

「鶴賀学園一同で、桃子を応援する。これでいいよね」
「……ああ、もちろんだ!」

 桃子が振り返った。

「須賀さん!」
「え? お、俺?」
「でもやっぱり最後に隣にいて欲しいのは、あなたです!」
「い、いい!?」
「お前……いつの間にモモとっ!」
「まあまあ、こらえてこらえて」
「しかしっ!」
「ほら、先方さん待ってらっしゃるから」
「ちっ! いいか須賀。この対局が終わったら、みっちり話を聞かせてもらう!」
「は……はい」

 須賀はすっかりと萎縮しながらも、何故かこみ上げてくる笑いを抑えることが出来なかった。
 
「何を笑っている!」
「すいません!」

 

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