激動の五日目が終わり、六日目。
 ようやく部員全員が揃っての部活が開始された。

「須賀さん、昨日はその、大変でしたっすね」
「あ、あはは……大したことは無い、かな」

 加治木に根掘り葉掘り桃子との関係を聞き出された須賀は、洗いざらい今までにあったことをぶちまけた。
 そうしたら青くなったのは加治木のほうだった。
 まさか須賀が桃子のメンタルケアを買って出ていたとは思わなかったらしく、加治木は一心に礼と、そして謝罪をした。
 それが昨日の出来事だ。

「結局、話自体はすぐ終わったし、もう疑われることもないって」
「疑われてても……いいと自分は思うっすけど」

 上目遣いで、しかも消え入りそうな程か細い声で言われてしまっては須賀もたまらない。
 何だかんだで、プロポーズじみたことまでやってしまっているのだ。さすがに今更友達でとは言いにくい。
 
「と、東横」
「須賀さん」
「な、何だ?」
「あの……できれば名前で呼んで欲しいっすけど」

 須賀の心音が一気に加速する。
 別に、咲や原村のことだって名前で呼び捨てている須賀であったが、面と向かってこう言われたこと等そうそうあることではない。

「自分も、その、須賀さんのこと名前で呼びますから」
「まじで!?」

 もはや夢心地であった。
 甘酸っぱい青春という甘美な供物を、どこぞの神様が捧げてくれたのかもしれないと、須賀は信仰もないのに神に感謝した。
 しかし、いざ呼ぶとなると恥ずかしいものであった。

「モモ……モモ……。その、モモちゃんってのは、ダメ?」
「……まぁ、いいっすよ」

 どうやら桃子のほうも相当に恥ずかしかったようで、この申し出には即座に了承が降りた。

「じゃあ、私も須賀さんのこと京ちゃんって……」
「ちょ、それは咲と被るって」
「むー」

 ふくれる桃子。
 他の女性の名前を出したことが気に入らないようだ。

「じゃ、京くんで」
「お、おう」

 言われて思わず照れてしまう須賀。
 京太郎と言う名前からつけられるあだ名としては、割かし普通のものであったのだが、それを桃子が頬を赤らめ、思わず目を合わせていられなくなり、俯きがちに言ったとあれば、その効力は計り知れない。
 あまりの恥ずかしさに、須賀は立ち上がって桃子のほうを見ないようにした。
 こうしてひとたび目を離しても、もう桃子が消えることは無い。
 桃子は最後、原村に敗北したものの、その輝かしい経歴はしっかりと履歴に残っている。
 一日だけ現れた奇跡の打ち手。何パターンもの打ち方を習得し、まるで相手の先が見えているかのように立ち回る。
 掲示板、ブログ、ニュース。一過性の話題で終わるかと思いきや、その正体は誰か!? などと特集が組まれるなど、未だに根強い『ステルスモモ効果』があった。
 
「京くん」
「ん?」
「私のこと、見えてますか?」
「ったりめーだろ。モ、モモちゃんのことが見えなくなるなんて、今後一切ないっての」

 そう言うと、桃子は嬉しそうに須賀の隣に立った。
 抱きついてくるわけでもなく、手を繋ぐわけでもなく、控えめでそれでいて譲らないポジション。
 雀卓から加治木がものすごい眼差しで須賀をにらみつけている。嫉妬の嵐だ。
 
「部室でいちゃいちゃするなど、言語道断だな」
「自分も桃子とやってたくせにね」
「う、うるさい!」

 須賀は昨日の一件から、加治木や蒲原と打ち解けたような気がしていた。
 加治木は博学で、器用で、何より要領がよかった。蒲原は常に冷静でありながらも、探求欲知識欲に溢れていて、時に熱く語り合えた。
 今後ももし桃子と何かあるのであれば、きっと彼女たちとの付き合い方も考えなければならないのだろう。

「加治木先輩」
「……何だ」
「ちょい、こっち」
「あぁ?」

 須賀は加治木を自分の左に立たせ、その間に桃子をねじ込んだ。

「な、何のつもりだ」
「ほら、こうやって間に挟んでブランコとか、よくあるじゃないですか」
「そそそそれでは私とお前が夫婦になってしまうではないか! 確かにモモの件で感謝はしているが、だからといってお前のような男に好意など一切ない!」
「そんなストレートな」
「勘違いするなっ! モモがお前と一緒にいたいというから、私もいてやってるだけだ!」

 あからさまな慌て方だったが、そういうのも加治木の一面かと思うと、須賀はついにやけてしまう。

「わ、笑っている場合かこの馬鹿っ!」
「暴力反対! 家庭内別居しますよ」
「……そうしたらモモはどっちについていくんだ」
「え、いや、その……」
「うんうん」
「大丈夫っす! 二人が別れることなんてないっす! 死が二人を分かつまで!」
「モモ……いい事言うな」
「えへへ」

 加治木は須賀とセット扱いされていたにもかかわらず、そんなことはすっかりと忘れ、桃子にべったりとくっついていた。
 そんなこんなで、どちらかと言うと練習よりも語らいの方が主となった部活となってしまっていた。



 部活が終わり、普段なら全員が帰る時間となった。
 しかし、夕焼けが部室を赤く染め上げても、誰一人としてその場を離れようとはしなかった。
 皆、桃子との久々の対面で語りたいことが山ほど合ったのだ。
 矢継ぎ早に繰り出される質問に答えつつ、桃子もまた色々なことを聞いて回った。
 そうしていると、すぐに時間は経ってしまう。既に時刻は午後七時を回っていた。

「やばっ。運動部並の時間だ」

 蒲原の声に皆思い出したように時計を見た。

「話に夢中で気づかなかったな。よし、解散しよう」

 加治木の一声で解散することとなったのだが、そう言われても尚誰も帰ろうとはしない。

「……何だ、何かあるのか?」
「ゆみちんこそ」
「わ、私は……その、えっと」

 三人はちらりと桃子のほうを見る。
 同時に三方向からの視線を受けた桃子は、何か身の危険を感じ、須賀の背後に隠れた。

「いやいやいや、隠れなくてもいいだろう」
「いやいやいや、何かみんなの目が怖かったっす」
「ワハハ。ゆみちんは目が怖いってさ」
「何で私一人睨んでたことになってるんだ! ……まあ、恐らくだが皆の言いたいことは分かる」

 加治木は咳払いを一つする。

「飯に行くぞ!」

 よく通る声で宣言した。



 鶴賀を出た一行がたどり着いたのは、大手牛丼チェーン店であった。
 食事時で混雑が見込まれたが、驚くほどに空いていた。

「てか、吉牛でいいんすか?」
「ああ、早いし安いし、なにより美味い」

 蒲原はこの店の常連らしく、皆の先頭に立ち、角の座席スペースを確保しにいく。
 それにぞろぞろと続く鶴賀の面々と、須賀。
 須賀はこの場に自分がいることを、少し場違いではと感じながらも、空腹だったこともありほいほいとついてきてしまったのだ。

「座る順どうしよっか」
「あ、じゃあ俺奥行きます」

 須賀なりの配慮だった。
 ちょっとした退席の際、通路側にいるといちいち立って場所をどかなくてはならなくなる。
 なら、あまり動かないであろう自分が奥にいればいいだろうと思ったのだ。
 
「じゃ、じゃあ私が隣で」

 速攻で桃子が須賀の横に滑り込んできた。
 わりと詰めて来たため、須賀の座るスペースがかなり狭まっている。
 それに対して須賀は何か言おうかとも思ったが、横を向いた時桃子と目が合ってしまい、つい言葉が出てこなくなってしまう。
 桃子の隣には加治木が座り、須賀の正面に蒲原、その隣に妹尾という順になった。

「んじゃ、みんな何頼むか決めてね」
「まあ……吉牛なんだし、牛丼並で」

 須賀は安牌を切った。

「じゃあ私は豚丼で:

 桃子も同様に安牌であった。

「私も牛丼でいい」
「俺と同じっスね」
「別に他意ははい」

 つんとそっぽを向く加治木。

「じゃ私はカレー」
「カレーかよっ!」

 蒲原はチャレンジャーだった。

「あ、私もカレーで」
「お前もかっ!」

 妹尾もまたチャレンジャーであった。
 加治木が端に座っていることもあり、意見をまとめて注文した。
 こういったところが、世話役となっている所以であった。
 ややあって、全員分の注文が運ばれてきた。
 
「それでは、桃子復活を祝して、乾……丼!」
「丼!? ってか蒲原部長はカレーじゃないっスか!」
「細かいことはいいんだよっって、ほら器持って」

 蒲原が自分のカレーを持ち上げる。
 注がれたカレールーが揺れ、周囲に緊張が走る。

「ほ、本当にやるんですか?」

 妹尾も続く。揺れるカレールーが二つ。緊張が強まる。
 この時点で残り三人の意思は一つだった。さっさとすませて、この危ない状況を抜け出そう。
 
「……よし! 丼!」
『丼!』

 よく分からない掛け声で互いの皿と丼をぶつけ合う面々。
 揺れるカレールーの被害はなかった。全員がこのことに安堵した。
 食事が開始され、牛肉と豚肉とカレーの合わさった匂いが充満する。

「京くん京くん」
「何だモモちゃん」
「豚と牛、ちょっと交換しない?」
「ああ、いいぞ」

 須賀と桃子は少しずつ互いの肉を交換し合った。
 
「……お前たち、そんな風に呼び合うようになっていたのか」

 桃子の横から加治木が睨みつける。

「い、いいじゃないですか。あだ名くらい。自分だってモモ、モモって呼んでるんだし」
「私はお前よりも付き合いが長いからな。その位は当然だ。だが、お前達は知り合ってまだたった六日じゃあないか」
「あ、愛に日数は関係ない……っす」

 言葉尻を濁しながらも、加治木の目をしっかりと見ながら言い切る桃子。
 これには大分面食らったのか、加治木はため息と共に、須賀への口撃をやめてしまう。
 須賀は何か言うべきか迷っていたが、何を言おうにも空気が重くなりそうで、結果何も出来なかった。

「べったりだね二人とも」

 そこに付け込んで来たのが蒲原だ。

「まあ、二人は色々あったしね。でも、吊り橋効果ってのもあるし、あんまり急ぎすぎないほうがいいよ」
「な、なーんか余裕な発言じゃないスか」
「余裕だよ。だって私ら見てるだけだし」

 ワハハ、と笑いながらカレーをかっ込む蒲原。
 須賀は何か仕返しをしてやれないかと思ったが、そんなことを考える間もなく、加治木の一撃が見舞われる。

「私は認めんぞ」
「って親かあんたは!?」
「色々と世話を焼いてくれたことは感謝するが、私の目の黒いうちは、桃子との男女交際など認めん」

 まだ付き合っていないのだが、と須賀は言いかけたが、桃子の手前不必要な発言はやめておいた。
 須賀の気持ちがどうあれ、桃子の想いは本物で、今なお熱を持っているのだから。

「そういうわけで、こっちを見るな」
「ええぇ……そこまでしますか」

 こっちを見るな、と言われたので、仕方なく須賀は蒲原を見つめる。
 カレーをかっこむ蒲原。見つめる須賀。
 スプーンをそう持つのかとか、意外に綺麗に食べるなとか、色々なことを考えたが、須賀はあえて何も口にしなかった。

「……あのさ」
「はい」
「恥ずかしい」
「ああ、やっぱり」
「こっちの娘の方がおいしいから」
「ふぇ?」

 妹尾はやたら綺麗に、皿にカレーの残滓がまったく残らないほど美しく食していた。
 どうやったらそんな風に食べられるのかは分からない。口の周りもまったく汚れていない。

「なんでそんなに綺麗に食えるんだ?」
「あの、おばあちゃんが言ってたんです。『食事は一期一会、毎回毎回を大事にしろ』って」
「へぇ〜いいおばあちゃんだな」
「テレビのおばあちゃんですけど」
「架空の人物かよっ!」

 再び蒲原のほうを向き直る須賀。

「何でこっちに視線を戻す」
「えーっと」

 須賀は何か恥ずかしいことを言って、蒲原を困らせてやろうと画策した。

「カレーを食べている蒲原先輩が、一生懸命でかわいかったから」
「ぐふっ」

 危うく乙女とは言いがたい行為をしてしまいそうになった蒲原であったが、そこは部長、さすがにこらえ、水で流し込む。

「ご飯食ってるだけでかわいいとかどんな天然記念物だっ!」
「いやだから先輩……っ」

 右足をつねられる感触。桃子がじとっと須賀に視線を向けていた。

「神原部長、かわいいですか」
「いやその」
「私もご飯、一生懸命に食べてます」
「う、うん。すごくかわいいと思うよ」
「えへへ」

 ちょっと桃子のことを怖いと感じた須賀であった。
 談笑を挿みながらの食事であったため、随分と時間がかかったが、それでも入店してから三十分後には、全員の皿が空となっていた。
 
「んじゃあ出ますか」

 蒲原が腰を上げた直後、加治木はすかさず。

「ごちそうさま」

 と言ってのけた。

「……いやさすがに全員分はちょっと」
「そうですよひどいっスよ加治木先輩。蒲原部長一人だけに押し付けるだなんて」
 
 思わず須賀が蒲原の援護に入る。
 すると加治木は微笑みながら。

「冗談だ。ちゃんと払うさ割り勘で」
「何でちょっと安く上げようとしてるんですかっ!」
「……気づいたか。少し見直したぞ、須賀」

 妙にケチな加治木を苦笑いで見送りつつ、その日の食事会は修了となった。

 

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