二日目。
勝手知ったる……とまでは言わないが、昨日の一件で入ることに抵抗の無くなった清澄の麻雀部に、透華は今日も足を踏み入れる。
扉を開いた先には、須賀が一人でいた。
手に持っているのは、昨日渡した紅茶の入門書と、さらに麻雀の教本であった。
「……何をしてますの?」
「あ、龍門渕さん。早いですね」
「片手に紅茶、片手に麻雀? 随分と器用ですこと」
「いやぁそれほどでも」
「……褒めていませんわ。行儀が悪いですわよ」
透華はもう殆ど須賀に対しての警戒は解いていたが、やはりまだ原村との関係は気になっていた。
ちょうどいい機会だし、この際聞いてみてもいいかもしれない。
「時に須賀」
「はいはい?」
「あなた、原村和とはどういう関係?」
「どうって。同じ麻雀部の部員ですよ」
「そういうのではなく……その、男と女としてです」
「うえぇ!? そ、そんなこと急に言われても……」
赤く染まった頬を、指でポリポリと掻きながら、須賀は恥ずかしそうにうつむいた。
「何ていうか、憧れ的な存在っていうか」
「憧れ?」
「かっこいいじゃないですか。データ麻雀。打つのもすごい早さだし、それでいてミスも殆どしないし」
そんなことは誰よりも知っている。
何せあののどっちなのだ。
「つまり、あなたは原村和の打ち方に好感を持ったというわけですのね」
「いやぁ、もちろんかわいいからってのもありますけどね」
「渇!」
透華は持っていた鞄をフルスイングして、須賀の側頭部に叩きつけた。
「何するんですかっ!」
「まともな動機かと思ったら、やぁっぱりそういうことだったんですのね!」
「そういうって……そんなの誰だって思いますよ」
「渇!」
再びのフルスイングは、さすがに須賀も対応した。
「危ないですって!」
「不純を制裁してやってるんですのよ!」
「大体、何で和のことをいちいち気にしてるんですかっ!?」
言われて思わず鞄を握る手を緩めてしまう透華。
その隙に、須賀は危険物隔離だと言わんばかりに、透華から鞄を奪い、自分の後ろへと持っていってしまう。
「あれですか? この前の決勝の対戦相手だからとか」
「……そんなこと、あなたには関係ないですわ」
答える気はないと、透華は須賀に背を向けた。
その瞬間、ガチャりとドアが開き、原村が姿を現す。
「あ、お二人とも早いんですね」
「は、原村……和。あなたも早いんですのね」
「っていけね。昨日の掃除忘れたから、今日のやろうと思ってたんだった」
「……まったく。掃除はサボるわ、不純だわ。とんだ男ですわね」
「不純、ですか?」
「うわぁあ何でもないからっ!」
慌てて遮る須賀のせいで、原村との会話はうやむやになってしまった。
「須賀くん。手伝います」
「ああ、いいよ。昨日サボった俺が悪いんだし」
「手持ち無沙汰ですし。それに二人のほうが早く終わります」
「そっか。じゃあ……」
いけない。また再び須賀と原村が接近している。
須賀の不純な動機が分かった以上、このままにしておくわけにはいかない。
のどっちを毒牙から救わなくては。
「お待ちなさい!」
「な、何ですか今度は一体?」
「わたくしも手伝いますわ」
「ええっ!? いや、いいですってそんな」
「……わたくしも手持ち無沙汰ですし。それとも何です? わたくしがいると、何か不都合なことでも?」
「……ないです」
「よろしい」
透華の言葉にぐうの音も出なかった須賀は、しぶしぶ箒を透華に渡し、自分は窓の縁などをぞうきんで拭く作業へと切り替えた。
五分もかからないうちに掃き掃除は終わったが、窓の拭き掃除はまだかかりそうだ。
「手伝いましょうか?」
原村の助けを、須賀はやんわりと断った。
ふと、須賀の手を見ると、水仕事ですっかりと赤くなってしまっている。
「(ふん、一応は気を使ってるんですのね)」
よく考えたら、最初に箒を渡してきたのもそういうわけだったんだろう。
しかし、そんな気配りが出来るからといって、原村のことを許すわけには行かない。
まるで娘の結婚を拒む父親のような心境だった。
やがて、須賀の掃除もかたがつき、三人は特にすることもなく椅子へと腰掛ける。
「…………」
腰掛けた原村を観察する。
愛くるしい顔立ち、美しい桃色の髪、そしてやたらと大きな胸。
「デカいですわ……」
「何がです?」
「あわわ……この椅子のことですわ」
「そんなに大きいですか……?」
とっさに変なことを言ってしまった。
適当を言うにも程がある。
「まあ、海外のやたらとアーティスティックな椅子とかって、何か座らせるのが目的なのか、鑑賞が目的なのか分からないのってあるよな」
「そ、そういうことですわ!」
「ふぅん……そうなんですか」
当たり前のように、透華の訳の分からない言葉を拾った須賀に、透華は心の中で感謝した。
当の本人は、そんなことも気づかずしれっとしているが。
「やっぱり龍門渕さんの家って、豪邸だったりするんですかね?」
何を言い出すかと思えば。
須賀は目を輝かせてそんなくだらないことを聞いてきた。
「当たり前です。我が家がおんぼろでは、他の生徒に格好がつきませんから」
「そっかーいいなー。俺も一度でいいから豪邸に住んでみたいぜぇ」
「玉の輿狙いだなんて、浅ましい考えですわ」
「ちょ、夢くらい見たっていいだろう!?」
ふと見ると、原村が笑っていた。
「お二人、息ぴったりですね」
『なっ!?』
二人の声が重なった。
はっと顔を見合わせる。見る見るうちに顔が熱くなってくるのを感じる。
「こ、こっちを見ないで下さいませ!」
「み、見たくてみたんじゃないっての!」
二人してあさっての方向を向く。
そんなさまを見て、原村は声を出して笑った。
まったく……。透華はため息をついた。その横で、須賀もやはりため息をついてた。
奇妙な連帯感がそこに生まれてしまっていた。
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長いようで短い部活が終わり、透華は自宅へと戻ってきていた。
「お嬢様、清澄はどうですか?」
執事の萩善が、いつものように就寝前の紅茶を持ってくる。
完璧な工程を経て淹れられたそれは、透華が自分で淹れるものとは段違いに美味だ。
「(でも、あの騒がしい場で飲む紅茶も、あれはあれで味わい深いものですわよね)」
何度飲んでもおいしいと、自分の淹れた紅茶を飲んでくれる須賀。合計で十杯以上は飲んでたはずだ。
案の定、帰りの間際になってトイレに駆け込むことになるという始末だ。
思い返すだけでおかしい。
「そのご様子だと、随分と楽しまれているようですね」
「あ、あら。顔に出てまして?」
「ええ、穏やかに微笑んでいらっしゃいましたよ」
ショックだ。須賀なんて男のことを考えて、そんな穏やかな表情をしていたとは。
別に、彼のことは嫌いではない。清澄に来てからというもの、よく自分を助けてくれるし、馬鹿みたいに明るくて、妙に気が利く。
ただ、彼は原村に近づく不貞の輩なのだ。故に透華は彼を認めるわけにはいかなかった。
「原村和はどうですか?」
「え? ええ……のどっちはのどっちでしたわ」
思えばこの二日間。まともに原村と話したことなど数えるほどしかない。
打ち筋などを見ることは出来たが、正直、清澄に行く前と今とで大して理解が深まったわけでもない。
自分の目的であったはずの雪辱戦は、一体どこへ消えてしまったのだろう。
「……って、須賀のせいですわね」
須賀の指導に熱が入りすぎて、それどころではなかったのだ。
須賀は砂漠に水を撒くように、教えたことを吸収していくのはいいのだが、そのまま流れ落ちてしまうのが困りどころだ。紅茶の入れ方だって、中々上達しない。
「はて、須賀というと、清澄の男子部員。もしやお嬢様……」
「───萩善!」
「これは失礼いたしました。それでは、失礼致します」
そう言うと音もなく萩善は去っていった。
萩善が何を言いかけたのかは何となく分かる。だが、それはない。断じてない。
透華は紅茶を飲み干すと、頭からベッドに飛び込む。
「そういうんじゃありませんのよ……絶対に……」
独り言は夜の闇へと吸い込まれていった。