三日目。今日は須賀、竹井、原村との対局を行った。
再び原村と対峙したというのに、透華は別の人間が気になっていた。
「(ああ……妙な手牌になっちまった〜って顔してますわね……)」
須賀は感情の動きがやたらと表情に出てしまうようで、いい配牌になれば喜ぶし、悪ければ落ち込む。
ポーカーフェイスを心がけるように言っても、どうにもそれは直らないようだ。
「(でも、勝負は非情。遠慮なく行かせてもらいますわ!)」
気合を入れなおし、透華は自分の牌と向き合った。
今日こそは原村和を打ち砕く。その一念を再び心に刻みつける。
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「やった! 部長に勝ちましたよ!!」
須賀の喜びの声が部室に響いた。
勝ったといっても、竹井が四位で、須賀が三位だったというだけの話だ。
「うわあ……何かもう全然ダメだったわね」
竹井は負けたというのに、さして気にした様子もない。
しれっと。
「こりゃ、龍門渕さんの教え方がよかったのかな?」
なんて透華を褒めるくらいの余裕っぷりだ。
とはいえ、透華は素直に喜ぶことなど出来ない。
結局のところ、透華は二位。原村にはついに勝利できなかったのだ。
須賀に気を取られていたとはいえ、透華は透華なりの全力を出した実感があった。にもかかわらずのこの結果に、さすがの透華も少々萎んでしまう。
「ど、どうかしたんですか?」
心配そうに顔を覗き込んでくる須賀。
落ち込んでいる姿など、いつまでも見せていられない。
「何でもありませんわ。それより、多少は打てるようになったからといって思い上がらないこと!」
人差し指を弾き、須賀の額に打ち付ける。
小さな悲鳴の後、須賀の額に小さな赤色がともった。
「…………」
ふと、原村の方を見る。
一位を取ったというのに、さして興奮した様子もない。
恐らく今は、先ほどの対局をロジカルに分析しているところだろう。
それでこそ透華のライバルと言えるが、透華は何か寂しいものを感じてしまった。
「(結局、わたくしだけがライバル視しているだけなんですわよね)」
こちらがどんなに思いの丈を牌に乗せようと、原村はそれを柳のようにいなしてしまう。
それこそが原村の持ち味ともいえるのかもしれない。しかし……。
「(原村が見ているのは、わたくしじゃあなく、わたくしの打った牌だけ、ですわよね)」
急に透華は冷めてしまった。
対局後の冷めやらぬ熱気とやらも、心の中に沈んだ大きな氷の前では大した効果も上げられないらしい。
「龍門渕さん?」
まだ額を押さえていた須賀が、再び心配そうな表情を向ける。
「さっきも言ったでしょう。何でもないから気にしないでくださいまし」
「は、はぁ……分かりました」
その後も何度か対局を行ったが、透華はどうにも調子が出なかった。
透華の頭の中には二人の自分がいて、冷静であろうとする自分と、熱く猛ろうとする自分がせめぎあっている。
しかしながら、どうやら片方が居眠りでもしているらしい。もちろん原因は分かっているが───。
結局、部活終了まで透華の調子は戻ってこなかった。
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自宅に帰ってからも、透華はどこか呆けていた。
今まで原村和に執着してきた自分であったが、結局のところ、それは独りよがりの妄執でしかない。
差し出した手は握られることはなく、視線も絡まず、心などもちろん交わることなど無い。
「はぁ……」
ため息をつくと幸せが逃げるなどというが、つかなければ幸せが来るというのだろうか。
そんな俗説を真面目に考えるなど、自分らしくない。どうにも疲れているようだ。
「透華ぁ……大丈夫?」
メイド服に身を包んだ一が、心配そうに透華の顔を覗き込んでいる。
それがどうにも、今日の須賀とリンクしてしまった。反射的に一の額に手が伸びる。
「あいたっ!」
「あ、ごめんなさい。つい」
「つい? ついで人のおでこ弾かないでよっ!」
そもそも、須賀だったからといって、何をしたっていいというわけではないのだ。
どうやら疲れはピークに達しているようだ。どのみち起きていても、ネガティブなことばかり考えてしまうだろう。こんな日は早く寝るに限る。
「透華、紅茶入れたよ」
「ええ、ありがとう須賀」
カップを渡そうとする一の手が止まる。
「ちょっと、何しているんですの?」
「透華、今……何て言った?」
何か言っただろうか。とりたてて妙なことを言った記憶は無い。というより、そもそも何かを言った記憶も無い。
「よく覚えていませんが、ちょっと疲れていますの。自然に出てしまった言葉でしょうし、聴かなかったことにしてください」
「し、自然にぃ!?」
「……大げさですわよ、一。もう夜も遅いのですし、少しは静かになさい」
「透華っ! 透華は自然に他校の男子生徒の名前を呼ぶの!?」
「……はぁ?」
一が何を言っているのか、透華には理解できなかった。
ただ、冷静な自分が、今の一の言葉から何が起こったのかを推理しだす。
「……いやまさか」
すぐに浮かび上がった答えを、頭を振って否定する。
いくら他校の部活動が刺激的だからといって、自宅で疲れている時に、ふと口に出してしまうほど意識するだろうか。
「本当に、言ってましたの?」
無言で一が頷いた。
透華は体が茹蛸のようになるのを感じた。
何かを言おうとするが、うまく声になってくれない。
「わ、忘れなさい!」
「と、透華?」
「いいですこと、今さっきあったことは、他言無用ですわよ! 絶対に!」
「ちょっと透華! 卑怯だよっ。何があったのかくらい……」
「うるさいですわよ! 足にも鎖巻かれたくなかったら、言うとおりにしなさい!」
突如として怒り出した透華にかかっては、一も借りてきた猫のようにおとなしくなるしかなかった。
一が部屋を去ったのを確認すると、透華は置き去りにされた紅茶のカップを手にとる。
「まさかそんな……。いやでも……」
今の透華の頭を覗けるものがいたとすれば、きっと桃色に染まって見えたことだろう。
色恋沙汰に疎かった透華にとって、男子に対しての特別な感情など生まれようが無かった。
しかし、しかしだ。一度意識してしまえば、疎いだなんて関係ない。一直線に突っ走ってしまうだけだ。
「ああもう! きっと全部疲れのせいですわ! 寝ますっ!!」
誰もいなくなった部屋で、一人大声で叫ぶと、透華はベットに飛び込んだ。
長い長い夜の始まりであった。