須賀の龍門渕家乗り込み事件も、無事決着がつき、六日目となった。
清澄の麻雀部は、透華のことについては特に何も聞かず、いつも通りの対応をした。
あと一日で、透華の出向は終わる。
「さぁて、悔いを残さないよう、今日は存分にやってもらうわよ」
竹井の一言で、本日の部活が始まった。
恐らくはここで対局するのは最後となるだろう。
しかし、部員の顔に寂しさはない。
「最後の対局くらい、一年生に華を持たせたほうがよろしいかしら?」
「油断していらっしゃるようでしたら、遠慮なく足元をすくいますよ」
「ふん、やれるものならやってみやがれですわ!」
透華と原村の関係も、元通りというか、特に進展はなかった。
言うなれば、透華の持っていた強烈な執着心がなくなったおかげか、原村との交流に壁がなくなったといったところだろうか。
しかしながら、雀卓を囲めばそこは戦場だ。生ぬるい友情など───。
「あ、それポン」
「ナイスですわ須賀!」
「と、特定の人を贔屓しないで下さい」
友情ではなく、愛情なのかもしれないが。
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そして、最後の日。
瞬く間に過ぎ去ってしまった一週間を、透華は一つ一つ思い出していた。
日々の中、何を思い、そして何を成し遂げることが出来たのか。
「わたくしはまだまだ未熟、ですが、だからこそ諦めずに進むことが必要なんですわよね」
そう呟くと、透華はゆっくりと歩き出す。向かう先はもちろん、清澄学園の麻雀部だ。
今日は日曜日だ。
授業は無いため、フルに部活の時間に当てられる。
「今日は全力で送別会をやるわよ!!」
しかし、竹井の一言で日曜は完全に送別会を行うこととなっていた。
他の部員もそうしたかったようで、全員ノリ気で準備にかかっていた。
透華には、今日の送別会で何が行われるのか知らされていない。
いわゆるドッキリパーティーというものらしい。
パーティーなど飽きるほど経験してきた透華にとって、そうした試みは斬新に思えた。
期待に胸を膨らませ、透華は麻雀部の部室を訪れる───。
「来た! 来たわよ!」
竹井の声と同時に、透華の頭の上に何かが降り注いできた。
折り紙を切った紙片のようだ。
「く、くす玉……」
とても安っぽいくす玉だった。
しかも、中からメッセージを込めた紙が出てくるようなことは無い。
ただ、紙片を撒き散らしただけの、なんともいえない代物だ。
「龍門渕さんお疲れ様! くす玉ね、あれ難しかったから簡略化させてもらったわ!」
「さすがですわね竹井久!」
「まだまだびっくりイベントはあるわよ。ほら、雀卓について」
「……? 何をするんですの?」
「ふっふっふ」
不敵な笑みだ。
何かあるのだろうと透華は確信を持っていたが、招待されている以上、乗らないわけには行かない。
雀卓には咲、原村、それに竹井がつく。須賀は入らないようだ。
「じゃあはじめるわよ。点数はナシ。四位の人が服を脱ぐ。よし、行って見よう」
『ちょっと待ちなさい!』
場の三人の声が重なった。
「脱衣麻雀じゃありませんか!」
原村も咲も、こんなことは聞いていなかったらしい。
「二人とも、むしろこういう状況で脱衣麻雀をしないほうがどうかと思うわよ」
「何常識人ぶってありえないこと言っちゃってるんですかっ! そんなんだったら会社の送別会で逮捕者でますよ!」
「えーもうノリ悪いわねぇ。じゃあ、勝ったら須賀くんプレゼントで」
「ちょ! 俺の人権を無視しないでくださいよ!」
いきなり自分が話題に登った須賀は、冗談じゃないと竹井に詰め寄る。
しかし、須賀が景品……。透華は少し考えてしまう。
「ほら、龍門渕さんは乗り気じゃない」
「ば、馬鹿なことおっしゃらないでください! いりませんわよそんなのっ!」
急に話をふられて、ついひどいことを言ってしまった。
案の定須賀は「そんなのなのか俺は……」とすっかりしょげかえっている。
「ま、冗談はおいておいて」
『冗談だったのか!』
「あなたたち、本当によく揃うわね。打ち合わせでもしてるの?」
「むしろ打ち合わせしなくちゃいけないのは、部長のほうでしょう!」
「ごもっともで。さ、パーティーパーティー」
のらりくらりと須賀のつっこみをかわし、長テーブルに向かう竹井。そこにはケーキやら料理やらがすでに用意されていた。
「須賀くん、去っていく龍門渕さんに、ぜひとも紅茶を淹れて差し上げなさい」
「りょ、了解です!」
透華は少し心がときめいてしまった。
一週間前、須賀に紅茶の淹れ方を教えた透華。そして今、その技術を会得した須賀が、自分を送り出すために紅茶を淹れる。
これが『受け継がれる』というものなのだろうか。先輩から後輩へ、わたしからあなたへ。
須賀は迷いのない手つきで、透華が教えた通りに紅茶を準備する。
何度、ここで紅茶を飲んだのか、透華は忘れてしまったが、透華が飲む紅茶は殆ど須賀が淹れてくれたものだ。それだけは忘れずに覚えている。
だから、透華は須賀が失敗しないだろうということを知っている。けれども、何故か心臓がドキドキといっている。心配なんてしていないのに。
ああ、これは心配などではない。ただ好きだから。好きな人に自分のことを思われながら、何かをされるのがたまらなく嬉しいのだ。
「お待たせしました」
かちゃり。コースターの上にカップがおかれる。
ゆらゆらと揺れる湯気、優しい香り。
透華はカップを手に取った。ゆっくりと口元へ運ぶ。
そして───。
「ありがとう」
言葉はそれだけで十分だった。
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パーティーは終わり。透華がいよいよ、この清澄学園を後にする時間となった。
清澄の部員たちとは部室で別れを済ませたが、竹井が「せっかくだから須賀くん、校門まで見送ってきなさい」と言ったため、須賀と二人で校門へと向かうこととなった。
「さびしくなりますね」
須賀がぽつりともらす。
「別に、今生の別れというわけでもないでしょうに」
小さく笑いながら返す透華。
「でも、やっぱり学校も違うし……滅多に会えないっスよ」
「まったくもう、あなたは馬鹿ですわね。合いたくなったら、龍門渕に来ればいいでしょう」
「い、行っていいんですか?」
「来るものは拒みませんのよ」
透華はしれっといってのけたが、顔にはほんのりと赤みが差していた。
「それより」
「なんです? 龍門渕さん」
「その『龍門渕さん』というの、何だか堅苦しくて嫌ですわ」
「いや、でも先輩ですし……呼び捨ては」
「名前でいいですわよ」
「え、ええ!?」
「な、何ですの? そんなに驚くようなことじゃありませんでしょう」
実のところ、須賀は龍門渕透華の名前を知らなかったのだ。
知っていたとしても、もちろん苗字で呼ぶことに変わりは無かったのだろうが、ともかく須賀は龍門渕という苗字以外、彼女のことを何一つ知らなかった。憧れだと言っておきながらだ。
須賀は悩んだ。透華は訝しんだ。
今更名前なんですかとは聞きにくい須賀。もしかしたら自分のことなど名前でよびたくないのかと思ってしまう透華。
一瞬の沈黙が、二人の間に断裂を生んでいた。
瞬間、須賀はひらめいた。
「あ、あの。龍門渕さんは紅茶でも麻雀でも、俺の師匠じゃないですか。だから、師匠って呼んじゃダメですか?」
「し、師匠……?」
透華は頭に大きなはてなマークを浮かべる。
「(なんといいますか。はぁ、恋愛とかにはには縁のなさそうな呼び方ですわよね)」
そんな呼ばれ方、自分に興味がないと言われているようで透華は嫌だったが、少し考え方を変えると、須賀はそれだけ純真なのだとも言える。
「(まぁ、わたくしのような女を、みすみす逃がすわけありませんでしょうし、やっぱりそういう恋愛脳が腐ってしまっているのでしょうね)」
自意識過剰に加え、失礼なことを考えた透華だったが、そのおかげで須賀は窮地を脱した。
自分を取り巻く空気が和らいだことを感じたのか、須賀の表情から緊張が抜けていく。
「まあ、好きにするといいですわ」
「は、はい! 師匠!」
二人は歩き始めた。校門までの短い道のりを。
ゆっくりと歩く透華、それを追い越さないように歩幅を小さくする須賀。
二人はまだ手も繋げない距離があるけれど、夕焼けが映し出した影は、仲良くぴったりと寄り添っていた。
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「透華!」
透華が自宅へ帰ると、即座に一が飛び込んできた。
チェーンが顔に当たって痛い。
「何ですの、一?」
「何ですのじゃないよっ! やっと帰ってきたんじゃないか!」
「毎日帰ってきてましたわ」
「違うよっ。今までは帰ってきても、心は清澄に行っちゃってたじゃないか」
そう言われるとそうかもしれない。
原村和のこと、竹井久のこと、須賀京太郎のこと……。ああ、特に最後はよく考えていた。
「そ、その目! また誰か別の人のこと考えてる!」
「鋭いですわね」
「さらっと認めないでよ!」
「隠すようなことでもありませんし」
「……まさか、あの」
「そうですわよ」
「まだ誰とも言ってないよ!」
「あなたが知っていて、恐らく一番に名前を出してきそうな方なら予想がつきますし」
「じゃあ、本当にあの須賀京太郎!?」
「一、わたくし今日は疲れていますの、少し休みますわ」
「し、質問に答えてよ透華ー!」